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「オケバトル!」 70. 足りない奏者の調達術


70.足りない奏者の調達術



〈レオノーレ序曲〉ときたからには、続く課題もベートーヴェンで、しかも交響曲に違いなかろう。
 短いながらも演奏効果抜群で、アマチュアオケの演目としても人気が高く、比較的気軽に取り組みやすい今回の課題曲そのものよりも、その先の大曲に勝手に思いを馳せるバトラーたち。
 楽器庫じいさんの扮装からすると、〈田園〉では? いや、〈運命〉か、七番あたりではないか? などと浮き足立つチームメイトらをよそに、両チームのトランペット陣は真っ先に考慮すべき問題に直面していた。

 舞台裏のソロをどうするか。

〈レオノーレ序曲〉第三番では、曲の途中で大臣の到着を知らせるファンファーレが舞台の裏手で吹かれる演出が、作曲者によって指定されている。舞台上の2人とは別の、「第三のラッパ奏者」が必要なわけだ。元々各チーム二管編成で開始されたバトルなのだから当然人数は足りず、これもまた、参加者を困らせ、彼らが問題をどう対処するかを見極めるための番組側の意地悪作戦であった。
 指揮者は両チームとも、今回も己パートの出番がなく、前回まあまあ無難な出来、つまり可もなく不可もなしということで仲間からの信頼を得たパーカッション奏者が引き続き ── 渋々 ── 担当することになる。

 Bチームのにわか指揮者、谷内みか嬢から、自分はスコアとにらめっこするだけで手一杯なのでと、問題のソロをどう奏するかの判断を丸投げされたトランペット奏者の2人、熟年おやじと彼を崇拝する若者は、とりあえずの打開策を検討してみた。

案① 舞台上のトランペッターがいったん台から降りてそっと袖に下がり、到着のファンファーレを奏でた後、再び舞台にこそこそ戻ってくる。

案② 舞台に乗ったままミュートをつけて吹く。あたかも遠くから聞こえてくるように。

案③ 二番手奏者は最初から裏手に回り、元の編成から一管を削ってしまう。

「案三は音響的にかなりの痛手だし、案一の段取りは、なんか間が抜ける感じですよね」
「やはり第二案のミュート作戦しかなかろうか」
 そう言いつつも、上之はまだ決断しかねていた。
「しかし遠くから響いてくるっていう、作曲家の狙いが出せるかどうか」
 そこへ、「ちょっと相談なんですが」と、仕切り屋の有出絃人が、室内に撮影クルーやスタッフがいないことを確認した上で、2人の会話に割って入る。流し撮りの固定カメラに背を向け、唇の動きが読み取られないよう注意を払い、広げたスコアを見せるそぶりをしつつ、マイクに拾われないよう、聞こえるか聞こえないかの小声でトンデモアイディアを持ちかけた。

「Aチームから借りてくるっていうのはどうでしょうね? 第三のラッパ奏者を」

 ええっー? おおっ! と大仰天で耳を疑うラッパ陣。有出さんたら、また何てこと言い出すんですかいなー! と。
 先輩格に無礼にならない程度に、絃人は(しいっ!)と、ラッパ陣に警告しつつ、
「皆の了承を得る前に、まずは当事者お二方の意向を伺っておきたくて」と説明する。
「うーん、むむむ」
「そんなのって、明らかなルール違反じゃないですか?」
「対戦相手を舞台に乗せるのは、さすがにマズいでしょうが、裏で勝手に吹いてもらうくらいは構わないってことにしちゃいましょ」
 何ら気にする必要ないですよ、とばかりにさらりと言ってのける絃人。
「しかもAのテリトリー、下手側の袖でやっていただければ」
「そもそもAの奴らが承諾しますかね?」
「より良い舞台を作りたい想いは彼らだって一緒なんだし、当然、賛成してくれると思いますけどね」
 絃人はいったん言葉を切って、おまけのアイディアを動揺する彼らに持ちかけた。

「ついでに交換条件として、お2人のどちらかが相手方の本番でも裏で吹いて差し上げてはいかがですか?」

 曲中、二度に渡って挟まれる舞台裏からのファンファーレは、僅か六小節、たった四つという単純な音の組み合わせながら ── しかも、うち二つは一オクターヴ離れただけの同じ音 ──、オーケストラの入団試験などで必ずと言って良いほど課題とされる定番の、難しいフレーズである。短い中で技量が如実に表れ、トランペット奏者にとっては実に奏し甲斐のある、危険を承知で取り組まずにはいられない、魅惑的な聴かせどころなのだ。
 要となるファンファーレを奏でる貴重なチャンスを仲間から奪ってしまうのは、提案者の絃人にしても辛いところ。だが交代作戦ならば互いに納得できるはず。

「ふうむむむ」
「なら、その役目は当然おやじさん、お願いしますよ」
 考え込む上之に、相方青年はさっと身を退く姿勢を見せる。
「もちろん、Aチームからも交換条件として同じ要請が出されたらの話ですが」
 Aチームの出方によっては晴れやかな出番が完全になくなる可能性についても、絃人は一応つけ加えておく。
「だけどAの奏者が我々Bのために立派に吹いてみせたら、彼らの仲間に裏切り者として脱落に追い込まれるって可能性はないでしょうかね」
 青年が心配そうに言った。
「それか、わざとしょぼく吹いて我々を敗北に貶めるとか」

「ラッパ吹きにそんなせこい手を思いつく輩はおらん!」

 ラッパおやじの一喝に、若い衆は、すいません! と素直に頭を下げた。
「ただしリハの段階では、あくまでチーム内で事を進める前提でお願いします。そんなのルール違反って止められたら嫌だから番組側には内緒にしておきたいので」
 有出絃人が念を押す。
「舞台裏からの演奏に限っては、互いにぶっつけ本番になっちゃいますが」
「しかし後攻Aの本番では裏のガードが厳しくなるんでないかな」
 賛成しつつも懸念する上之。
「持ち場の確保が課題だな」
「確かに。先攻我々の本番で計画はバレるわけだし、後攻の舞台では厳重警備で袖に侵入できない処置を取られるかも知れませんね。最悪、ラッパのお二方がAの本番に参加できないよう拘束されたりして」
 絃人もそうした可能性を否定しきれない。しかしリスクは覚悟の上での提案だ。
「だったら僕がおとりになりますよ!」
 後輩の青年が言った。
「まず、リハでは自分がファンファーレを吹く。うちらの本番後に番組サイドが慌てて警戒し始めたとしても、マークされるのはきっと僕になるはずだから、Aの本番前にわざと楽器片手にバックヤードをうろついて警備をかく乱させる。その間に上之さんはご自身の持ち場を確保しといてくだされば」
 つまり上之忠司はリハーサル段階ですらも試し吹きができないわけだ。しかしそこはベテランおやじさんのこと、〔レオノーレ〉のファンファーレなど、練習せずとも、いつ何時でも呼吸のように吹けるのだろうと、後輩の青年も絃人も敬意を払い、あえて確認はしなかった。

 要のトランペッターらがすっかり乗り気になってくれたので、他のBの仲間には各パートのリーダーにそっと伝えるのみにしておき ── 異議を申し立てる余地は与えず、決定事項として ──、後は休憩などのタイミングでパート内ごとにこっそり耳打ち伝達していただくことにする。
 多くの者は、ラッパ陣が最初に示した反応と同じく、いったんは身をのけぞらして驚愕するものの、さすがの妙案! 大賛成! と、反対の声は一切出ず。
 あとはAがこの提案を受け入れるかどうか。
 加えてそれ以前に、この件を番組側に悟られることなく、いかにしてAに持ちかけるか。
 では交渉役は? ということで、当然のごとく言い出しっぺの有出絃人が古巣のAチームに談判に出向く心づもりであったが、
「俺に任せてくれたまえ」
 上之忠司が力強く胸を張った。
「説得するまでもなかろう。ラッパ奏者どうし腹を割って話せば事は簡単」
 しかしライバルチームのトランペッターが直々に敵陣に乗り込むのでは、あまりに目立ちすぎる。この後、後攻のAから先に舞台リハが開始される運びとはいえ、我々同様あちらでも既に地下リハ室に集合して、あれこれ段取りを相談している頃だろう。メインの撮影隊はまずはそちらに出向いているようだし、不穏な動きを悟られてはならないのだ。
 呑気な腹ごしらえで打ち合わせに出遅れ、そこいらをうろついている輩でも捕まえられれば、極秘の伝達を頼めるのだが、そいつが呑気=本物の間抜け、だとしたら計画もおじゃんにされかねない。
「いっそのこと、スタッフの誰かを巻き込むとか」
 一同が思案する中、誰かが提案した。
「それ、いいかも。番組の連中は信用ならずとも、ここの施設の元々のスタッフなら簡単に抱き込めそうじゃない」
「なら、怜美さんの三銃士は? 忠誠心も固そうだし、秘密は守ってくれるでしょうよ」 
「当てにならない」とは当のフルート王妃。
「彼ら、意外と協力してくれないんだから。スタッフの倫理に反するとか言って」
 否定的なご意見である。
「それに音楽とは無縁のレストラン系のスタッフがいきなりリハ室に顔を出すなんて、もろ違和感でないかしら」
「それに彼らは既に怜美さんの取り巻きって、周囲にバレてますものね」
 との意見も出て、気のいい三銃士案は却下されるも、この館に一週間も滞在するうちに、ロビーや飲食系、清掃スタッフなどと、親しげに挨拶を交わすようになったり、さりげなく情報を聞き出せる仲に発展しているバトラーも結構いた。各々が信頼できそうな人物の心当たりを思い浮かべる中、
「医務室のドクターなら」
 浜野亮が遠慮がちに言い出した。オランピア=アントーニアの舞台転落騒動で痛めた腕を診てもらって以来、対して具合が悪くなくてもなんだかんだと理由をつけて顔を出しては、あれこれ互いの内輪話などを語り合っていたのだった。
「彼女、バトルの裏事情に結構通じてるらしくて、極秘情報なんかも結構さらりと教えてくれちゃったりするんですよ」
「極秘情報?」
「それって、どんなこと?」
 亮は記憶を辿ってみた。
「えっと……、〈青きドナウ〉が翌朝に延期だとか、楽器庫のストラドやデル・ジェスといった貴重な名器が、実は自由に借りれるんだって話とか」
「何!? 自由にって?」
「そんなうらやましい話、知りませんでしたよ!」
「いや、だってそれは」
 亮が慌てて訂正する。
「ゆくゆくはコンチェルトの課題で、各自にソロが振り当てられるような際の話ですよ」
「何!? コンチェルト?」
「やはりソロ審査があるのか」
「そんな重要情報を聞いときながら、うちらに隠してたんだね、きみは」
 面白半分にマエストロ浜野に詰め寄る金管連中に調子を合わせ、弦のまとめ役の別所が「まあまあ」と宥めに入る。
「ともかく彼が言いたいのは、その女医さんとやらが我々の味方になって協力してくれそうだってことなんですから」
 ターゲットにされた当事者は別として、金管の強面囲みは大方は本気でないことくらい誰もが分かっている。弦や木管奏者に比べ体格も大柄系の割合が多めなので、連中に取り囲まれたらおっかないには違いないのだが。
「しかし極秘情報を簡単にこちらに教えてくれるってことは、逆に言えば──」
「そう。今回の秘密作戦も、番組サイドにあっさり漏らしちゃう危険もあるのでは?」
「口止めしとけば大丈夫です」
 皆の懸念を浜野亮は毅然と否定した。

「Aの舞台リハまでに話をつけないと」
 行動を起こすべく、絃人が具体的な指令を出す。
「Aチームのラッパか指揮者──、指揮は多分こちらと同様、今回も出番ナシの打楽器くんだろうけど、もしくは陰の支配者、安条さん辺り。単独で即断できそうな人間を医務室に呼んできてもらうとこまで、そのドクターに頼んでもらえないかな」
「なんて理由つければ? 『熱がありそうだから、医務室にいらっしゃい』とか言って誘い出してもらいます?」
「そうしたことは、ドクター本人に任せればいい」
 有出絃人がさらりと言った。
「あと、Aへの提案、肝心の話もマエストロ浜野さん、あなたがつけてね」
「ええっ? ぼくが?」
 そんな重要な役をペーペーの自分なんかに任せないでくださいよお~と、ウサギ目で鬼の有出氏に訴える浜野亮。
 一方のトランペットの2人は、あ~あ、敵方とラッパどうし腹を割って協力作戦を話し合い、厚き友情を育む覚悟だったんだけどな~、と肩すかしを食らう流れに少々がっかり。

「マエストロは既にドクターとの信頼関係が成り立ってるようですし、何よりも極秘任務なんだから。関係者の関与は極力少ないに限るでしょ」
 絃人は亮にこれ以上の有無を言わせず促した。
「時間がないから、ダッシュでどうぞ」


 数分後、「どなたかの忘れ物」と称した楽譜が、女医の手によってAチームに届けられた。
〈レオノーレ〉序曲第三番のミニチュア版総譜である。
 表紙には「チームA」の付箋がご丁寧に貼られていた。





71.「第三奏者の胸の内」に続く...





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