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「オケバトル!」 48. 現状復帰令はヒントかワナか?


48.現状復帰令はヒントかワナか?


 舞台に備えられたベーゼンドルファーに対しての有出絃人の大喜びによって、Aチームにおいては完全うやむやにされた ── どころか、大変喜ばれた ── 「ソリスト不在の協奏曲」という、過酷かつ卑劣な番組側の仕掛けは当初の狙いどおり、Bチームでは誰もが動揺の事態に陥った。

「もしもし、ステマネさん」
 ステージマネージャーの岩谷氏を呼ぶ止めるトランペットのおやじさん。
「我々はオーケストラの一員として、この番組に参加してるんですよ。いきなり舞台にピアノを乗せて『勝手にやれ』、『ソリストは自前で調達せよ』ですと? 俺たちがあたふたするのが、そんなに面白いんですかい? しかも、参加者の専門楽器をソロに立てるならまだしも、ピアノだなんて論外もいいとこですよ。そりゃあ、あなたの責任ではないんでしょうけどね、演奏家を馬鹿にするのもいい加減にせよと、主催者さんに伝えて頂けないですかね」

 おや? Aの皆さんは大いに喜んでましたけど? なんてすっとぼけた返事は、課題曲へのライバルチームの取り組みヒントになりかねないので、岩谷は「では、伝えておきましょう」とだけ答え、さっと姿を消した。

「自分はどうせ次に落ちる運命なのだし、今度の課題曲のリハは、ぜひ仕切らせてもらおうかしら」
 前もって張り切っていたファゴット女性。昨夜の木管仲良し四人組の楽しいゲーム大会では、クラリネットの女友達が先に負けて去ってゆき、次点が自分という結果。せっかくだから好き放題やって大いに目立って、思い残すところナシに華々しく脱落したいものだわと、仲間と話していたのだった。
 舞台にどーんと置かれたフルコンサートのピアノにも、ラヴェルの〈道化師の朝の歌〉という課題曲にも、しかも「ピアノも入れたオリジナル版を作り上げよ」という意地悪な指令にも、
「名乗りを上げるんじゃなかった」
 と、いったんは躊躇するが、持ち前の楽天主義で怒り狂う仲間を明るく励ましていく。
 ソリストをどうやって立てたら良いものかと、皆が途方に暮れる中でも、
「決められること、先に片付けちゃいましょ」
 話をどんどん進めていく。

 まずは木管ソロの問題について。
 Aのリハーサルでも触れていた、オーボエ → オーボエ持ち替え楽器のコーラングレ → クラリネットと間髪を入れずに続く短いソロのリレーだが、ここBチームではオーボエはもはや一人しかおらず、一人の奏者が瞬時に楽器を持ち替えるのは物理的に不可能。しかも音が一拍重なっている。そこでコーラングレの代わりにクラリネットに合間に入ってもらうことで、オーボエ奏者はすばやくコーラングレに持ち帰るのが妥当な線。それでも綱渡り的な瞬間芸に等しいが、他に方法はなさそうだ。

「コーラングレと、クラリネットのソロ、入れ替えさせてもらっても構いませんよね?」
 との仕切り役ファゴット女性の指示に、
「そうですね。チェンジしても何ら支障はないですし」
 わずか二小節のソロが、ありがたくも四小節に増えたので、クラリネット奏者に拒絶の理由はない。
「こっちがオクターヴ上がって、逆にコーラングレは下がるだけですしね」

 ちなみに「コーラングレ」とは、先の《ウィリアム・テル》の序曲でフルートとの長大な掛け合いのソロでもお馴染みとなったオーボエ持ち替え楽器、イングリッシュホルンのフランス名。課題曲がフランスものであるため、スコアに記載されている楽器名の「コーラングレ」という呼称が、先ほどのAチームと同じく、この場では仲間の間で自然に用いられている次第である。

「今回ハープはいないんですよね? ということはピアノは独奏楽器としてではなくて、ハープの代用と考えてもいいのではないでしょうか」
 というリーダー役の意見にも皆が賛同する。
「オケ版って、ピアノのスタッカートを弦のピッツィカートに、音の連打をラッパに、そしてグリッサンドはハープとフルートに代用してるんだから、そのはずですよ」
「誰かハープ係、やって下さる方~?」
 これまで同様、弦楽器からパーカッションに回る際の気楽さのごとく、リーダーが、あえてピアノと言わず、ハープ係と言って促すも、すぐには誰もやりたがらない。

「気をつけないといけませんよね」
 ヴァイオリンの会津夕子が、今回プルトを組む隣の女性にこっそり話していた。
「この曲のピアノ版って、元々グリッサンドが多いから指を痛めないよう気をつけないと。ハープの代わりってことなら、なおさらですよね」
「じゃあ、普段から指に負担がかからない楽器の人にやってもらう?」
 とは、表側の女性。
「何があるかしら? 打楽器なんかは基本、指というよりも手のひら全体で楽器を持つわよね。でも、指が重要でないパートなんて、オケの中には他にないでしょ。グリッサンドは絶対に必要?」
「ピアノ版の特徴のひとつなのに、しかもコンチェルト版でそれを抜かしちゃうなんて、ルール違反な気がします。例えば、タン、タタタタタタってやる Gis (嬰ト)や Cis (嬰ハ)の連打に続く三度や四度の大きなグリッサンド、普通、二の指と三の指をそろえて指の背で流すのがやりやすいけど、ベーゼンドルファーみたいに鍵盤が重めのピアノが相手だと、大きな音を狙って指の腹を使った方が弾きやすかったり。でも、指の背や脇ならさほど支障はなくても、腹を火傷なんかしちゃったら、弓、持てなくなっちゃう」

「やけに詳しいじゃないの」
 斜め後ろの別所が言い、夕子はドキっとして振り返った。
「弾いたこと、あるんですね? ピアノ版。というか、弾けるんですね?」
「弾けません! 楽譜、見たこともないです! 曲も知りません!」
「《地獄のオルフェ》の時に言ってましたよね、あなた。まだまだ知らない曲ばかりだって。でも、この曲は明らかに知ってるということは、少なくともピアノ版は仕上げてるんでしょ」
「じゃあ夕子ちゃん、今回はピアノお願いしますよ」
 周囲の面々から期待の声がかかる。
 夕子は飛び上がって、それから小さく縮こまった。
「絶対に無理ですう……」
 別所さん、ひどいです。一度は ── 三日前、少しの間だけ ── とっても好きになってしまった相手なのに、なんておっかないこと言う人! と思えてしまう。きりっとした有無を言わさぬ笑みの裏に、何か恨みでも隠されているのではないかと、自分は彼に何かやっちゃたんでないかと心配になってしまう。

 夕子のあまりの怯えように、隣パートのヴィオラ青年が助け船を出してやる。
「ピアノ=ハープの代用でいいのなら、ピアノの位置を普段ハープが置かれる場所に動かしてもいいんじゃないでしょうかね」
「ピアノはただ正面に置いてあるだけで、協奏曲をやれってわけでないとか?」
「『原状復帰せよ』と、あえて申し渡されてるのは、そういうことか!」
「『=ピアノの位置は自由に変えてもオーケー』っていう暗黙の了解ともとれますものね」
「じゃあ、ピアノはハープの位置に移しましょう!」

 設定された配置に大人しく従って無茶な協奏曲形式を強行するか、ピアノを独奏楽器と見なさずオケの一部としてエキストラのハープのごとく扱うか。

「ねえ、夕子さん? 譜面はハープ用でもピアノ版でも、どちらでもいいから、基本のオケ版に、できる範囲でちょっと音を添える程度なら、きっと大丈夫ですよ」
 憧れのヴィオラのきみからの、自分を安心させるような、とびっきりの爽やか笑顔によって、夕子は催眠術にかけられてしまう。
「じゃあ、やってみます」
 それから、保証が必要とでも言いたげにヴィオラ青年に確認する。
「私の手に負えないようでしたら、代わってもらえます?」
 大丈夫ですよ! という青年の明るい微笑みが、「大丈夫、夕子さんならできますよ」なのか、「いいですよ。いつでも交代オーケーです」というニュアンスなのかは謎であったが、まずはスコアでハープの動きを確認してみることにする。

「ファーストとチェロの間、急いで場所を空けて! ピアノをハープの位置に移動するから」
 ファゴット女性が元気に号令をかける。
「元の位置も覚えておいて、原状復帰も迅速にしないといけないんだから」
「ピアノの移動、ちょっと待って下さい。まだ動かさないで!」
 言い捨てて、さっと飛び出していったヴィオラの青年が、すぐさま黒いビニールテープをどこからか調達してきて、ピアノの三本の足が位置していた床に目印をつけた。
「これですんなり戻せるでしょう」

 ファゴット女性は、元々リハーサルの段取りを仕切るだけのつもりだったので、いざ音出しの段階になると、演奏面に関してはコンサートマスターにお任せしますと、自分は背後に退いてパーカッションに回る。木管の仲間内で決められた脱落前の特権として、有終の美を飾るべくファゴットの首席を務めるも、二番手を吹くも自由だったが、ファゴットを奏して脱落したというイメージは避けたいもの。カスタネットやトライアングルといった賑やかな楽器を鳴らして、この曲の派手などんちゃん騒ぎを思い切り楽しみたいとも開き直っての選択であった。

 そつなくこなす中年コンマス氏の元、リハーサルの最初のうちは、ピアノの前に座りながらも、どこをどう弾けばよいものかと混乱しまくっている会津夕子の脇にヴィオラのきみが立ち、的確な助言をしてやっていたが、勘のいい夕子のこと、一回通してコツを掴んだか、後半は遠慮気味ながらも上手にピアノでオケ版に彩りを添えられるようになった。


 すぐに続く本番は、全員がいったん袖に下がってから再び入場するならわしである。
 対向配置にて、今回はセカンドの最後尾で何のプレッシャーもなくのびのびと演奏に参加していたマエストロこと浜野亮は、皆がスムーズに退場できるよう ── ちなみに本番では番組のスタッフがドアの開閉をやってくれる ──、いち早く席を立ち、上手の袖に通じるドアを開けた。

 薄暗い舞台袖の、すぐ手前の位置に上半身が裸の老人が立っていた。
 手にはハンマーが握られている。

 いったん開けかけたドアを亮は無言で閉め、後ずさり。当然、続いてはけてきたヴァイオリンの女性と楽器もろとも衝突する羽目になる。
「きゃっ、危ない!」
 何なの~とにらみつける彼女や周囲の皆に、亮は慌てて言い訳した。

「裸の男がいたんです。しかもハンマー持って!」

 見てはならない異様な光景を見てしまった気がするが、あれが目の錯覚や幻だったら恐ろしすぎる。
「舞台に乱入してくるかも!」
「ありえない」
 先輩格の女性は通せんぼする亮を押しのけ、
「きっと裏方の作業スタッフが、どこか緩んだネジでも締めようと待機してたのよ」
 と、勇敢にもさっとドアを開けた。

「ダメです!」

 楽器もろとも皆殺しにされちゃう! という亮の杞憂はからぶりに終わった。
「どうも~」
 女性の脇をすり抜けて入ってきた裸老人は、舞台中央を突っ切り、まっすぐピアノ向かった。そしてひょうひょうとした表情から急に職人の顔つきになってハンマーをピアノ椅子に置いてから、どれどれ? と、複雑な和音や音階を軽く流してみるのだった。

「なあんだ。調律師さんだったのね」
「でも、どうして裸なんだろね」

 裸の調律師は、ほうほうとうなずいたり、むむむ? と首を傾げたりしながら、鍵盤一本一本の弦に巻き付いているピンにチューニング・ハンマーをあてがい、微妙な調性を施していく。
 その様子に、ようやく浜野亮は気がついた。

 アントーニアのじいさんじゃないか! 

 弦楽器製作のマイスターというだけでなく、ピアノの調律もできるってわけか。しかし分からなかったな。実に変幻自在なじいさんだ。
 そして今回の彼の風貌、長めの銀髪を真ん中で分けた髪型や上半身裸に黒タイツの姿が、今は亡きバレエダンサー、ジョルジュ・ドンによるベジャールの〈ボレロ〉の舞台と重なり合うことに、はっとする。

〈道化師~〉の次の課題曲は、〈ボレロ〉だ!





49.「道化師の朝の暴走ピアノ」に続く...




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