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「オケバトル!」 34. ウィーンバトルの幕開け


34.ウィーンバトルの幕開け



 舞台における審査の時間以外、長岡幹と青井杏香のレギュラー審査員二人は上層階のスタッフ専用隔離フロアにこもり、ミーティングルームで様々な打ち合わせをしているか、あるいは自室にて、既に審査の終了した演目におけるリハーサル状況の録画をつぶさにチェックするなど、バトル参加者個人個人の資質を見いだすことに多くの時間を費やしていた。

 最終的には、たった一人の「オーケストラ・マイスター」を選出せねばならないのだ。

 既に有力候補と目星をつけられている者。逆に、これまでの態度や演奏能力から完全 × 印がつけられ、審査員の権限行使で即刻脱落の崖っぷちにいる者。さほど目立った活躍はないものの、ちょっと気になるダークホースなど。
 今回の〈美しく青きドナウ〉において、本番を前に両チームがいかに努力し工夫を凝らしたか、といった情報を、スタッフ一同は把握していても、AB勝敗の決定を演奏のみで審査したい姿勢の長岡、青井の二人にはあえて知らされず。

 しかしスタッフミーティングなどには加わらず、舞台本番での審査のみを請け負い、他の時間は自由に下界をうろつけるゲスト審査員の耳には、ふとした情報が入ってきてしまうもの。
 アントーニア嬢もまたしかりで、事前情報による先入観は否応なしに審査に影響を及ぼしていく。審査のプロではなく、ゲストであるからなおさらだ。彼女は先攻のBチームには各々の内面から発せられる大いなる歌心を、続くAチームからは全身からあふれ出る優美な舞踏のリズムを素直に感じとる。

「ジョージに代わっての新たなるゲスト審査員は、既に皆さんにもお馴染みの、ダンサーにしてソプラノ歌手でもある、アントーニア・リーバー嬢です!」
 司会の宮永鈴音に高らかに紹介され、立ち上がって可愛らしいお辞儀をぴょこんとしてから、非常に美しい日本語でアントーニアは述べた。
「長年ウィーン人の心に染みつき愛されている伝統の音楽を、真夜中のダンスや早朝の森での合唱など、皆さんが全員で力を合わせて、最善の努力によって、楽しみや喜びとともに理解しようと努めてくださいましたことに、心からの感謝を申し上げます」

 丁寧な彼女の挨拶からは多くのことが推測できよう。まずは、そこいらの邦人よりも上手といっていいほどの、すらすら完璧で発音もイントネーションも自然な日本語。しかし容姿は完全な欧米系だし、名前もドイツ系。恐らく彼女は日本と何らかの深い縁がありながら、〈青きドナウ〉を愛する者の立場からお礼を述べる姿勢からすると、祖国はオーストリアで、ウィーン人としての意識も持ち合わせているのだろう。
 そうした皆の憶測を補足するべく、司会が簡単に彼女の素性を伝えていく。
「アントーニアさんは、幼い頃からウィーン国立歌劇場の公演やミュージカル舞台にて、子役ダンサーとしての経験も豊富。オペレッタの殿堂フォルクスオパーでは既にヒロイン、《こうもり》のアデーレ役として華やかなデビューも飾っています。ですが、今のうちに学んでおきたいとして、ご自身のルーツでもある日本の伝統文化を研究すべく、現在は我が国で学生生活を送っておられます」

「アントーニア」が、やはり本名だったか。審査員席の斜め後方の客席から、彼女の優美に広がる巻き毛の後ろ姿を遠慮がちに眺めつつ、浜野亮は思った。
 昨日は《コッペリア》のスワニルダ、《ホフマン物語》のオランピア。踊りと歌の舞台を楽々こなし、医務室で凄腕マッサージを施す白衣の天使に変身した次には、楽器室で「クレスペル顧問官」の娘、夭逝のアントニエ役を演じたかと思えば、今朝は喜歌劇《こうもり》で牢獄に捉えられている青年アルフレートの呑気な歌声を聴かせてくれた後、一介のオケバトラーの淡い恋心を冷酷に拒絶する審査員に徹した彼女。
 しかして、その実態はプロのソプラノ歌手にしてダンサーで、目下、いかれた祖父の元に身を寄せて日本文化を学ぶ学生さん、というわけか。なるほど、なるほど。

 長岡審査委員長が補足する。
「既に二つの課題曲を皆さんと共演済みのアントーニアは、両チームの特色を身をもって感じられておられることだろうし、そうした観点からも貴重な審査の意見を拝借したいところだが……」
 そこまで語ってから長岡は身を少し乗り出し、青井杏香の向こうに座るアントーニア嬢を見やって続けた。
「どうやら今回の〈青きドナウ〉は、どちらの演奏も彼女のお眼鏡にしっかりかなったようだね」
「ええ、Bチームとは一緒に歌いたくなるような、Aチームとは思わず踊り出したくなりそうな、本当に楽しくて素敵な、いい演奏だったと思います」
 嬉しそうに答えるアントーニアに、長岡は訝しげに確認する。
「さっき言ってたけど、何? 夜中のダンスに、朝の森での大合唱が決行されたって? いい演奏が出来たのは、そうした成果のたまものと?」
「はい、本当に。別に本場ウィーンの音楽を、完璧に再現しようとまで意識する必要はないと思いますし、チーム独自の魅力が演奏に現れたっていいんです。ですが、曲が作られた舞台や作曲家に想いを馳せて、その時代や現地の空気に少しでも近づこうという姿勢や努力は、充分な評価に値しますよね」
 長岡がうーん? と首をひねる。
「舞台審査では純粋に音楽だけで評価されるべきであって、そうした努力の過程の詳細は判断材料にはならないんだよ」
「本番の演奏のみがすべてを語る。というわけですね? 努力の成果云々は、少なくともこの場では論外と」
 司会が確認し、今度は青井杏香が説明を引き取る。
「このバトルでの審査の方法としては、先にAB決戦の本番で勝敗が決まる。まずは結果ありきで、個々の事情のほうが後からついてくるんです。本番の後で初めて、さあ? どんな過程で楽曲を仕上げていったでしょうか? と、記録に残されたリハーサルの映像を入念にチェックして、各自の働きぶり、チームへの貢献度、協調性など、オケマイスター選考に向けての、個々の評価の参考とするんです」

 そうだったか。我々の動向を始終撮られているのは分かっていたが、リハの流れまで審査員によって、いちいちチェックされていたのか。
 わー、やだな。
 収録映像は番組放送用に適当に編集して流す程度と軽く認識していたが、善しも悪しきも醜態バトルも、すべては見られていたか。聞かれていたか。と、バトラーたちは改めて思い知る。

「つまり舞台では、あくまで問答無用のAB対決だから、どちらのチームががどれだけ努力したか? 工夫を重ねたか? なんて先入観は判断の妨げになってしまうと」
 司会がさらに分かりやすく言葉を置き換える。
「ごめんなさい。私、余計なことを言ってしまったんですね」
 すっかり困ってしまうアントーニア。
「ああでも、ジョージや、あなたみたいなゲスト審査員の場合は、自由な判断でいいんじゃないかしら」
 杏香が大丈夫、大丈夫、と安心させてやる。
「単純に好きか嫌いか、といった個人的好みを入れたって大いに結構。私たちレギュラーみたいに冷酷な判断でなく、人情があっていいの。枠にとらわれなくていいの。そのためのゲスト審査員なんですもの」
「そうだね。かのジョージなんて、『先に聴いたほうの演奏がいいと思っちゃうかも』なんて、平然と言ってのけてたものね」
 長岡も笑う。
「おひいきの奏者がいるから、こちらのチームの勝ち! なんてのも、アリですか?」
 と鈴音が調子よく言う。
「実際、お気に入りの奏者がお目当てで特定オケの定期演奏会に足繁く通う音楽ファンだっていますものね」

 そう考えると、アントーニア嬢の立場って微妙だよな、と気づく者も若干名。ディレクターの指示による演出だったとはいえ、舞台から落ちゆく身を救ってくれた奏者がAには二人。Bには一人だが、楽器を放り出して下敷きにさえなってくれた奏者までいるのだから。彼らに恩を感じずにはいられまい。しかも今回の課題曲では、うち二人が指揮者で一人がコンマスという重要ポストにも就いている。

 さあ、どちらに軍配を上げる? アントーニアさん。

「二度の共演でも分かりましたが、Aチームは、他に変えようがないほど緻密に完成されたイメージで、素晴らしいわあ! と尊敬の念を抱かずにはいられない。
 Bチームは、逆に新鮮な驚きをもたらしてくれて、心が躍って胸がときめいて、ん〜ステキって投げキッスを送りたくなちゃう」
「その感想、かなり的を射てますよね」
 青井杏香が手を叩いて感心する。
「ごもっとも」長岡も認める。
「Aは誰も寄せ付けない洗練された芸術って感じで、Bは大衆から愛される親しみやすさがあるね」
「リードする指揮者の影響力も大ですよね」
 と杏香。
「影響どころか、今回どちらも良かったのは、百パーセント指揮者の資質といっても過言じゃないよ」
 どちらも良かったという審査委員長の言葉には、誰もが素直に嬉しく思った。

「例えばだがね、英国の『プロムス』最終日に〈威風堂々〉を振れと言われたら、指揮者を志す者ならば、何ら躊躇することなく喜んで受けるだろうよ」
 舞台に残るAチームも、客席のBチームも、この場の誰もが長岡の言わんとすることは即座に理解したが、さほど音楽通でない視聴者のために司会がすかさず補足を入れる。
「えー、『プロムス』というのは毎年二ヵ月間にわたる夏の恒例とされる音楽の国民的祭典で、最終日にはロイヤルアルバートホールにて観客も巻き込んだ大合唱とともに、エルガーの〈威風堂々〉第一番がBBC放送交響楽団によって奏されるのがならわしとなっています。
 この曲の核である荘厳な歌、〈希望と栄光の国〉は、英国民の誰もに愛される第二の国歌ともされています」
「どうもありがとう」と、長岡。
「どちらも第二の国歌の位置づけとしても、〈威風堂々〉と〈美しく青きドナウ〉では、話が違う、と委員長はおっしゃりたいのですよね?」
「そのとおり」
 司会の言葉に長岡が大きくうなずく。
「〈威風堂々〉の演奏では、よほどのトンマが振らない限り、演奏の差が歴然とするというほどの事態は起こらない。例え全世界に流される『プロムス』の大舞台であろうとも、ペーペー指揮者であろうとも、威風堂々と振れるだろう。しかし〈青きドナウ〉となると、そうはいかない」
「それは国民性とかではなく、楽曲そのものの性質の、根本的違いからくるものですか?」
 そうした理由など、宮永鈴音も当然のごとく理解していたが、話を分かりやすく伝えてゆくのが司会の務めなので、時にはなんにも知らないかのごとく振る舞ってみせる手腕も必要になる。損な役回りであろうとも割り切るしかないのだ。それで番組が親しみやすい内容になれば良しとしましょう、と。
「〈威風堂々〉だって名曲中の名曲だよ。しかし実に明快なんだ。だが〈青きドナウ〉は、一筋縄ではいかないんだな。決してね。指揮者やオケの性質が如実に表れてしまう。違いは歴然。はったりは通用しない。そうした意味でも、今回の二人はよくやったね」
 二人の指揮者への称賛と感謝の拍手が起こる。
「皆さんがウィーンで演奏されても、充分受け入れられますよ」
 ウィーン人アントーニアからも、お墨付きがでる。
「Aの有出絃人くんと、Bの浜野亮くん。そう、浜野くん、昨日は遠慮して名乗らなかったが、調べはついてるんだからね。きみたちはどちらも、ウィーンの音大でヴァイオリンを学んでるんだね」
 参加者データを眺めながら委員長が言った。
 ウィーン留学中の数年間、どのように音楽を学んだか、といった詳細は経歴欄に記載されていなかったが、ウィーンの音楽やダンスのステップまでをしっかり身につけている様子の二人の揺るぎない音楽性からして、長岡には彼らが各々、ただ楽器の練習に励んでいただけではなく、それ以上に現地の音楽にどっぷり浸かって溶け込んで、可能な限り吸収してきたであろうと気づいていた。
 二人の年齢は有出のほうがひとまわり上で、音楽的スケールも人格的器もはるかに大きいが、続く課題曲を考えると、これは面白いウィーン対決になりそうだと、期待する。無理矢理指揮台に上がらされていた感がなくもない二人は、次の《こうもり》序曲では、自ら指揮に名乗りを上げるに違いない。
「二人とも現地の音楽をさぞかししっかりと学んできたんだろう。これからも大いに期待してるよ」

 しょっぱなから活躍し、オケマイスターの最有力候補と皆からライバル視されていた有出絃人と、舞台からの転落をきっかけに一気に檜舞台に躍り出た伏兵の浜野亨。こうして二人は制作総指揮にして審査委員長に、完全に一目置かれたか、と他のバトラーらは嫉妬や諦め、あるいは憧れの入り交じった複雑な心境とともに、羨望のまなざしの一斉砲火を当の二人に交互に浴びせるのだった。

「だが、もちろん、指揮者だけの功績でないこともつけ加えておかないとな」
 長岡が言う。
「今回は実によくまとまっていた」
 杏香も口をそろえる。
「これまでは、指揮者が提示したひとつの方向に向かって、皆が足並みをそろえようとする感がありましたが、そうした方向性、というか、姿勢が変わりましたよね。皆が平行線で同じ方向を目指す。というのではなく、何というか、中心でひとつにまとまった。というか、呼吸がちゃんと揃ってる、というか」
「いかにも。微妙なハモり加減がいい具合になってきたね。互いの『声』に、きちんと耳を傾けつつ、自分のパートを、その一部として乗せている」
「勝敗は、つけられませんね」と杏香。
「つまり、引き分けということでしょうか」
 ほっとした様子のアントーニア。
「引き分け、というより、両チームとも勝利としよう」
 委員長の宣言にわあっと歓声が上がる中、
「つまり今回、脱落はナシ? ですか?」
 と司会が明るい声で尋ねる。
 長岡は静粛に、とジェスチャーの後、厳正な調子で語った。
「しかし、これはたった一人の生き残りをかけた大バトルであることを忘れないでくれ。人数は減らすのがルールだからね。今後は、同時に五人、とか、チーム全員がいっぺんに脱落とか、判断次第では容赦せんからね」

 せっかく両チームで仲良く盛り上がったってのに、平気で釘を刺すんだな。ぬか喜びさせて。と、しゅんとする一同。
 しかしBチームの中には、森での合唱が、実はAの深夜ダンスに対抗すべくの発想から企てられたという事実が完全に伏せられたことに安堵する者もいた。大方のお気楽Bメンバーは、そうした動機があったことなど、とうの昔に忘却の彼方ではあったのだが。

 それでは午後の新たなる課題に向けて、いったんは解散といったところで、司会が懐かしのジョージについて、「あ、みなさーん」と、一同にお知らせを伝える。

「三日間審査員を勤めてくださったジョージから皆さんへの激励と感謝のメッセージが、独白ルームで既に収録済みなので、どうかご覧くださいね。それから初日の〈レ・プレリュード〉に感動したジョージが優勝者にプレゼントを約束してくれた絵画の贈り物は、既に仕上がって、一点はアトリエに。もう一点はライブラリーの壁に飾られています。素晴らしい芸術作品ですよ。そして!」

 ここでいったん勿体ぶってから厳かに締めくくった。

「優勝者はお好きな方を選べます。皆さん、ぜひ観に行って、ジョージの名画のどちらかが自分の物になるようイメージなさってみてはいかがでしょうか」



35.「課題のヒントを見逃すなかれ」に続く...



♪ ♪ ♪ 今回フルネームが初登場の人物 ♪ ♪ ♪

アントーニア・リーバー 歌って踊れる可憐なゲスト審査員





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