「オケバトル!」 63. 遥かな血筋と、呪いのベッド
63.遥かな血筋と、呪いのベッド
否でも応でも、このままでは彼ばかりがオケマイスターまっしぐらのようですね。
ピアノにヴァイオリン、演奏技術もセンスも抜群で、タクトのリードも文句なし。加えて歌にダンス、何やらせても様になるし、自然体でありながら、やたらかっこ良く決めてくれる。
「拒絶男」の言われようも、本人どこ吹く風で逆手にとってるみたいだし。何事にも動じないクールさを強調するのにも、この呼称、かえってひと役買ってるんでない?
悔しいことに男から見たって容姿も端麗。立ってるだけで絵になるオーラ。太刀打ちできる相手なんて、我々の中にいる?
彼に踊らされるばかりの私たちって、ただの操り人形、もしくはピエロじゃないの。
いやいや、むしろ彼の方が自己犠牲をもいとわぬ精神で、我々のような下々の者を助けてくださってるんですから、踊らされてるわけではないですよ。
しかしリーダー役って失脚転落の危険と常に隣り合わせ。どんでん返しであっさり脱落の可能性だって無きにしもあらずなんだから、当面は彼に従い支えつつ、真面目に堪え忍んで頑張ってれば、そのうち我々だって脚光を浴びるチャンスも巡ってくるでしょ。
そんなことをぶつぶつ考えつつ、舞台から、客席から、そぞろ解散しゆくバトラーたちであったが、当の有出絃人が明るいロビーに出たところで、一人の青年が実に爽やかな調子で声をかけてきた。
「有出さん、よろしくお願いします。今夜から同室になるので」
一人部屋でなかったことに絃人は少しがっかりするも、まだ学生風の青年は、好感度大。しかも彼は確かコンバスだし、うるさ型の金管辺りに見張られる展開にならなくて良かったではないか。と自分を納得させる。
「それはどうも。お邪魔します」
有出絃人のルームメイトとしては、当初はトランペットおやじの上之か、既にお馴染みヴァイオリンベテランの別所辺りに、見張り兼洗脳役を任せようといった案が有力であった。あるいは逆に、ウィーン対決での好敵手、マエストロ浜野亮などの有能な若手を託そうという案も出ていたが、下手に小細工するよりは、今回、有出と引き替えに脱落させられた犠牲ヴァイオリニストの部屋をそのまま提供する形、つまり残されたコントラバスの青年と同居するのが妥当ということで、話は落ち着いた。
「コンバスの、多岐川 勉(たきのがわ つとむ)といいます」
海外でもすんなりなじめるファーストネームをと、両親は勉と書いてトムと読ませたかったものの、誰も彼もがツトムと読むばかりでトムとは読んでくれないだろう、通称をトムとすればよろしかろうということで本名はツトムでも、実際はトムでとおってますので、どうぞトムと呼んでください。と彼は説明した。
ここまで言われれば、どんなぼんくらだってその名を忘れることはあるまい。
「勝手ながら、お荷物は部屋に運んどきましたから」
その行為が、フロントに依頼してのことか、彼が自ら運んだのかは不明であったが、絃人が礼を言うそばから、トムくんは、
「楽器が一緒でさえなければ行動も迅速。といったところが、売りでして」と恐縮する。
番組スタッフ、及び施設に元々属する地元のスタッフら、あちこちの関係者と初日からちゃっかり親しくなり、その気さくな物腰から相手を完全に油断させ、隙あらば貴重な情報を引き出してくるBチームの情報屋であった。
すらりと背が高く、屈託ない態度とは裏腹の、日本人離れした異国風のミステリアスかつ繊細な容姿は、明らかに外国の血が混じっているものと思われる。初対面の度に繰り返されるであろう彼の出生に関する質問には当人もうんざりしているだろうとの配慮から、絃人はあえて尋ねないことにする。
部屋に向かう道すがら、多岐川勉は己の素性を手短に語った。ピアノ少年が金管に憧れて中学で吹奏楽部に入るにあたり、穏やかながらも力強い響きのトロンボーンに挑戦したかったのに、人材の足りなかったコントラバスをあてがわれてしまう。思いもよらぬ弦楽器であったが、やがてこの楽器の深みのある音色や奥行きの豊かさに魅了され、アンサンブルを根底から支える楽しさにも目覚めていく。自分にとっての天性の楽器と信じ、高校では室内楽部を立ち上げ、目下、音大の四年生。当然のごとく目標はどこかのオーケストラへの入団だが、幼い頃から弦楽器の専門教育を受けてきたわけでない自分はまだまだ勉強不足と自覚しているので、卒業後は海外で更に学び続ける計画とのこと。
「僕だって似たようなもの」絃人は言った。
「ヴァイオリンに初めて触れたのも小五になってからだったし。ピアノをちゃんと学んできたとか、家庭環境の土壌があれば」
「父方の祖母がロシアの血筋で、そちらの一族には音楽家とか音楽関連の職についていた者も多かったようですけど、自分の両親は音楽好きなだけで、大した土壌は……」
やはりロシア系だったか。ずいぶんと穏やかで感じのいい青年だな。絃人は感心した。楽器がなければフットワークも軽いと言いつつも落ち着いた懐の深さも感じさせる。トムくん、素敵なルームメイトじゃない。Bチームも気の利いた計らいをしてくれたものだ。
部屋に入りながら渡されたカード型ルームキーの部屋番号を見て、絃人が言った。
「いい数字だね」
「608が?」
「シューマンの誕生日」
「シューマン、お好きなんですか?」
「大好き! 作曲家の中では一番好き。ピアノ曲はもちろん、オケ曲も歌曲も室内楽も」
目を輝かせ純真な子どものような反応を見せる絃人。「2010年の、生誕200年の6月8日誕生日には、生まれ故郷のツヴィッカウにお祝いしに行くほどの熱の入れようでして」
室内はA棟で白城教授と四夜を過ごした部屋と、向きは違えど広さも造りもほぼ同じ。荷物の散乱もなく、きれいに整頓されていた。
「ツヴィッカウでは演奏もされたんですか?」
「まあ、ささやかにシューマン・ハウスで。シューマン協会の仲間とお祝いしたくて」
「ピアノですか? それか、ヴァイオリン?」
「両方」
「いいなあ! シューマンには疎いんで、ぜひ色々教えてくださいよ」
「それより僕は、チャイコフスキーとかのロシアもの、オケでもソロやアンサンブルなんかでも、ロシア人が演奏してるのを聴くと、心の底からうらやましく思ってしまうんだ。彼らの身体には作曲家と同じ民族の血が流れているんだなあって」
「ロシアものには血湧き肉躍る……、と言いたいとこですけど、ロシア系といっても曾祖父母の代にはアメリカに移住してるので」
ふと遠い目をして、彼は祖先の遙かな軌跡に思いを馳せた。
「ロシア音楽をいくらかでも血のレベルで理解できるなんて、考えたこともなかったかな」
「国籍はどうあれ民族の血って、自国の作曲家の紡ぐ音楽の流れ、音符のひとつひとつを、意識せずとも細胞レベルで感じ取れるんだろうなって、むなしくなることも」
「ロシア1/4濃度の血でよろしければ、お分けしたいところですが」
遠慮がちに申し出ながら、トムくんは首を傾げた。
「例えば交換で、有出さんの血を分けていただいたなら、僕の音楽的才能もいい感じに開花するとかって、ありですかね?」
怪しげな実験室に並べられた二台のベッドに横たわり、太い管で互いの血液の一部を入れ替えている図を大真面目に想像する二人であったが、その発想のばかばかしさに気づいて吹き出してしまう。
「第一、血液型、合ってる? 僕はB型だけど」
「ザンネン。自分はABですね」
「まあ骨髄移植の場合は、血液型が提供者の型に変わっちゃうこともあるらしいけど」
「そもそもロシアの血とか音楽家の血筋とかって、実際の血液の問題じゃなくて、DNAレベルの話なのでは?」
「確かに。それに実のところは決定的な影響って、生まれ育った環境に負うものだしね」
「ベッドは窓側でいいですか?」
さりげなく尋ねながら、トムくんはそっとつけ加えた。
「枕は全部替えてもらいましたから」
「誰か居たの?」
何気なく絃人は尋ねた。
返事をためらう僅かな沈黙が、言いたくない事実が隠されていることを物語ってしまう。
奇妙な反応を見せつつトムは思案した。聞いてなかったのか。だったら知らない方がいいのかも。だけどいずれは知ることになるだろうからと、トムは窓を開ける動作をしながら相手とは顔を合わせずさらりと打ち明ける。
「あなたと入れ代わりに脱落したヴァイオリニストさんが」
「ああ、そう」
つまりこれは脱落者の怨念のこもった呪われたベッドということか。しかも俺の引き抜き作戦の犠牲として。だから「枕カバー」を交換ではなく、「枕そのもの」をわざわざ交換したというわけか。
「それとも壁際の落ち着いた側のベッドにされますか?」
仮に怨念が残っていたとしても、それは有出絃人に向けられたもので自分に影響は及ぶまい。だから自分は平気、とトムは勝手に思い込んでいた。敵対するチームのリーダー格を選んだ仲間にこそ恨みは向けられるものではあるまいか、などとはみじんも考えないお気楽性格なのだ。
「大丈夫」
絃人は平然と窓側のベッドに腰を下ろし、積み重ねられた枕の上にバーンと気持ちよさそうに仰向けになった。
「脱落者の無念をいちいち気にしてたら、こんなバトル生き残れないから」
そう言いつつも、理不尽に追い出されてしまった罪なきヴァイオリニストの心情を思いやる。若手かベテランかは知らないが、願わくば、今回の脱落が彼の音楽人生にとって貴重な意味を成すものとなりますように......。
そして犠牲の上に成り立つ自分の立場としては、たとえ横暴の掟破りだと責められようと、チームを勝利に導く役割を着実にこなしてゆかねばなるまい。エキストラも交えての審査員との一悶着のあった初日の騒動を受けて、少しは遠慮するどころか開き直り、益々張り切って身を引き締める有出絃人であった。
64.「金の斧、銀の斧、あるいはブリキのフルート」に続く...
♪ ♪ ♪ 今回名前が初登場の人物 ♪ ♪ ♪
多岐川 勉(タキノガワ ツトム)Bのコントラバス
楽器さえ一緒でなければ身軽な「トムくん」