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「オケバトル!」 49. 道化師の朝の暴走ピアノ


49.道化師の朝の暴走ピアノ


 

 Bならではの自由な発想で積極的に工夫を凝らしたように見えながら、実際はソリストとしてのピアニストを立てる意欲も見せず、完全なる「逃げ」に回ったBチーム。果たして、その代償は……? 

「Bはダブル敗北ね」という長岡審査委員長のひと言で片付けられた。

 事の次第はこうである。

 水平に置かれたガラス板の上に、氷の塊を乗せた状態を思い浮かべて頂きたい。
 氷はじわじわ静かに、ゆっくり溶けてゆき、ガラスの盤面の上で、いつ何時スルリと滑り出してもおかしくない状態となる。そこに第三の力が僅かに働きさえすれば、氷はツルンと動いて華麗なダンスが始まるであろう。
 そうしたことが、Aチームの本番で起きてしまった。
 舞台がガラス板でピアノが氷だとしよう。曲の中盤までは、激しい打鍵など、どんなに負荷をかけられてもまったく動じなかったピアノが突然、ある瞬間を境に臨界状態となる。

〈道化師の朝の歌〉では、ひとつの音のすばやい連打がリズミカルに繰り返される印象的な音型がある。仕切り役兼ピアニスト役の有出絃人によるアイディアでは、その音型が最初に登場する前半部分においては、トランペットだけに任せて遠くから聞こえてくるような音色を際立たせ、中間部では、トランペットとピアノが交互に掛け合って立体感を出す、という構成になっていた。
 その中間部の掛け合いの場面で、まずトランペット女性の嬰ハ音の連奏に合わせてピアノの有出が軽く和音を鳴らし、次に勢いよく派手なグリッサンドの上昇を ──

 ズリッ!
 いきなりピアノが後退した。

 その先に配置されていたチェロの首席は、自分に向かって暴走してきた巨大ピアノに、「きゃっ!」と悲鳴を上げるのを何とかこらえた。
 ピアノはいったん止まり、移動も僅かにすぎなかったが、ともすればチェロの彼女を楽器もろとも轢き殺し ── いや、倒し ── かねないと絃人は判断し、下降のグリッサンドも、それに続く聴かせどころの連打も諦めて、とっさにトランペットの首席を指さし左腕を突きつけた。

── この先は任せた! ── と。

 突然の指令を受けた彼女もピアノの異変には気づいていたので、すぐさま対応、自分の受け持ちでなかったはずの連奏を的確に吹くことができた。それを見届けるや、絃人はピアノの下側に素早く潜り込む。左右の足のストッパーを固定すべく。
 チェロのフォアシュピーラーとして最前列に居た白城貴明も、既に楽器を脇に置いて背をかがめ、三本目のストッパーを固定していた。
 その間オーケストラは全合奏で、びっくり仰天が次第に収まっていくかのような、盛大に流れゆく下降音型が弱まりゆくディミヌエンドで続けていたが、これが何とも、このハプニングにぴったりの効果音のようで、客席の審査員らもBチームの面々も、番組スタッフも、サスペンス映画の危険なシーンに投げ込まれたような、はらはら気分を味わうことになる。
 絃人は「もう大丈夫」とばかりに今度はオーケイの合図をトランペットに送り、続きの連打をまったく動じもせず、呼吸やタッチの乱れもなしに正確に弾いてみせ、まだ動揺を隠せずにいた仲間や客席の一同を安心させてやる。


 舞台上のフルコンサート規模のピアノの三本の足が、スタッフのうっかりミスにより、固定されないまま本番を迎えようと、滅多なことではピアノの暴走は起こらない。
 惨事を迎えた事例も稀にはあるが、移動の目的で横から水平に強く押さない限り大概は動かないものだし ── 大の男三人がかりくらいの力で、ようやく動き出す ──、足の車輪が三つとも違う方向を向いていれば、なおさら安全だ。
 しかし今回は原状復帰のルールに従い、Bの有志らによってハープの位置から元の正面の位置にピアノを戻した際、三つの車輪は同じ方向にぴたりと向きを揃えて停まった上に、位置決めの目印として床に貼られたビニールテープの上に、ご丁寧に乗っかるように置かれたために、より滑りやすくなってしまったことも災いしたようだ。

「本当に驚きましたが、怪我や楽器の破損といった大事には至らなくてほっとしました」
 Aチームの演奏が華々しく終わり、まずは司会の宮永鈴音が胸をなで下ろしながら登場した。

「まあ! 審査員の方々は立ち上がって拍手をしてらっしゃいます」

 舞台では主役の有出絃人がコンサートマスターと握手を交わし、とっさの対応で重要な掛け合いの場面に穴をあけずにフォローしてくれたトランペット奏者をねぎらう姿勢も見せた上で全員を促し、審査員のスタンディングオベイションに感謝の一礼で応えていく。
 まずは審査委員長の長岡幹が興奮気味に語る。
「ラヴェルの〈道化師の朝の歌〉の、ピアノ版と管弦楽版のいいとこ取りのピアノ小協奏曲版の、まさに決定版ともいえようね」

 ああ~、ちょっと待って下さい。ピアノ版の原曲とオケ版を適当に組み合わせて、やっつけで片付けただけの大雑把なアレンジなので、そんな風に過大評価されてしまうなんて、かえって不本意なんですけど。そもそもラヴェルの音楽って、音色や響きの緊密な関わり合いが重要なのだからピアノ版もオケ版も、まったく別次元の音楽と捉えるべきであって、それをあえて結びつけようなんて、どうしたって無理が生じてしまうわけで。
 こんなのが有出版とかって世に広められたりしたら、かえって大迷惑……、といったことを絃人は釈明したかったが、審査員やオケ仲間らの感激気分に水を差すのは気の毒だし、ひとたびオケを鳴らしてしまったからには、この期に及んでどんな言い訳も見苦しいか。と、これまでもこうした審議の場で悶着を起こしてきたことも踏まえ、ここは黙して語らないことにする。追々機会があったらきちんと説明すればいいか、と。

「はらはらしてしまいましたが、演奏が中断されることもなく、何よりでしたね」
 こうした場合、通常はステージマネージャーが責任を問われるものだが、今回は明らかにBの落ち度。審査員からつるし上げを食らう前にと、まずは客席より、
「我々がピアノを移動した張本人です。本当にすみませんでした」
 と、三人の若者が名乗りでる。
「いや、大ぽかのとんだミスには違いないが、そもそもピアノの位置を変えようとした発想が問題だ」
 憤る長岡委員長。
「Bチームには心底がっかりだね。せっかく華やかな協奏曲形式のお膳立てを用意したというのに!」
 しかもベーゼンドルファーの最新型という貴重かつ最高のピアノに活躍の場を与えなかったどころか、短時間でいかに絶妙なアレンジを施せるかという腕の見せどころも台無しにしのだから。ピアノを自在に操れる者もかなりの割合で混じっていると把握しての課題だったのにね! と、散々文句を言った挙げ句、
「ハープの代用などという『逃げ』に回った上に、ライバルチームを危険な目に遭わせた上、Aチームのまさに歴史的とも言える最高のアレンジに、一瞬のことだが隙を作らせてしまうなんて、ひどすぎる大失態としか言えないね」と締めくくる。

 救いの神の青井杏香もアントーニア嬢も、Bチームに同情の余地はないと判断。W敗北のいけにえとして、今回は四名の脱落が義務づけられた。



 失態をやらかしたか、あるいはその要因を作ってしまった者の中から、四人の脱落者を選出するのが筋であろう。

 今回のチームリーダーとして、責任を負う立場にあったファゴットさん。
 演奏面では見事に全体をまとめたが、肝心の構成には無頓着だったコンサートマスター。
 主役のピアノパートを受け持ちつつも、完全に背後に隠れてしまった会津夕子。
 怯える夕子を安心させるべく、ピアノを奥に追いやるアイディアを出したヴィオラ青年。
 快くピアノを移動させた気のいい若者三人組と、移動の際の誘導係。

 とはいえ、次なる課題が、同じくラヴェルの〈ボレロ〉ではないか? とのマエストロ浜野による指摘を考慮して、
「敗北の責任云々よりも、抜けても〈ボレロ〉の演奏に支障がないパートから脱落者を出すべきでは?」
 との意見も出されるが、
「〈ボレロ〉って三管編成じゃないですか。我々初日から二管編成だったんですし、エキストラの補充も怪しいものとなると、編成なんて今更ねえ」
「明らかに人数どんどん減ってるのに、この期に及んで大規模編成の課題を出すこと自体、番組側の意地悪作戦なんだから、いちいち振り回されたくないですよね」
「そうですよ。ピアノの役割だって、こちとら知恵を絞って背後に回そうと判断しただけで、適当に逃げたわけじゃいのに、W敗北とか非難されて」
「真剣に考えるのもバカらしくなっちゃいません?」
 と、一同「どうでもいいや」モードになってゆく。

「いや、真剣に考えないと」
 とはラッパおやじ。
「アマチュアだって二管編成だったり、エキストラのハープやチェレスタなんかが抜きの状態でも意欲的に〈ボレロ〉をプログラムに取り入れたりしてるんだ。人数が少ないなら少ないなりにバランスを調性して、一人一人が最強の実力を発揮して、今後も最高の演奏を聴かせてくれようじゃないか」

 それでは話を元に戻すとして ──と、ファゴット女史が仕切り直しにかかる。
「〈ボレロ〉に限らず今後の課題曲だって、抜けても支障がないパートなんて、もはや抜けすぎて考えようがないのだし、やはり当初の案、不本意ではありますが、敗北要因の心当たりのある者が脱落を志願するってことで」
 冷静に流れを定めていく。
「というわけで私、最初から脱落は義務づけられていたわけですし、まずは一人決定でーす」
 次に移動係の三名が、先ほどの審議の場と同様に潔く立ち上がり、ちょうど四名になるから、これで決まりか。と一同ほっとするも、
「ですが彼らを誘導したのは自分で、ストッパーについても指示を出すべきでした」
 と、やはり責任を感じている誘導係のチェロ奏者が、三人の脱落に待ったをかける。

 ピアノの暴走を引き起こした、恐怖の「原状復帰」令。

 ストッパーの止め忘れは明らかなミスだったとはいえ、回りが面倒がって手を出さない中、三青年はボランティアとして積極的に働いてくれたのだから、落とすにはしのびない。と、皆の意見も一致する。今後、こうした下働きを気軽に買って出てくれる者がいなくなっては困るのだ。
 青年三名を免除として、誘導チェロ氏に二番目の犠牲者となって頂くと、あと二名?

「そもそも逃げに回った形を提案した自分にこそ、大いに責任がありますよね」
 次に言い出したのは、かのヴィオラのきみ。
「すみません。なるべく目立ちたくないというヴィオラ族の習性もありまして。それに僕が床に貼った目印のビニールテープのせいでピアノが滑った可能性も———」
「そんなのダメです! いけないのは私なんです」
 慌てて立ち上がる会津夕子。
「ピアノの役割、ちゃんと果たせなかったし、私が降ります!」
 続いてコンサートマスターを務めた男性が、
「それを言うなら、自分こそが的確な意見も出さず役立たずだったし、責任をとって辞めますよ」
 と名乗りを上げる。

 フルートの淳くんが抜けて、夕子さんは今やBの最年少。彼女の怯えた様子や、自己犠牲のけなげな印象に、「ちょっと可哀想よね」、「ピアノ弾ける人には一応残っててもらいたいし」といった、免除の声も多く、結局、彼女の身代わりとしてのヴィオラ青年と、演奏ではしっかり務めを果たしつつ貧乏くじコンサートマスターの脱落意思を受け入れることとなる。

 これにて一件落着……、でもなさそうだ。

 どうにかこうにか決定したのに、「自分も降りる、自分が降りる」と取り乱す会津夕子を、ヴァイオリンの女性陣が何とか落ち着かせるべく彼女の部屋に連れて行く。
 泣こうが騒ごうが、憧れのヴィオラのきみの脱落は止められず。
 夕子は彼に寄せるほのかな想いを告げることも出来ず、何でも打ち明けられたルームメイトも、もはやおらず、先輩格の仲間らが部屋をそっと出て行った後、一人部屋でしくしく泣きくれるばかりであった。




50.「鬼門を意識するなかれ」に続く...


★ ★ ★ 今回の脱落者 ★ ★ ★

Bチームより4名

一管編成案の犠牲者にして、課題曲を仕切ったファゴット女性

ピアノの位置を誘導したチェロ男性

貧乏くじのコンサートマスター

「逃げ案」の言い出しっぺ「ヴィオラのきみ」





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