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「オケバトル!」 44. ヴァイオリンの名を持つ男


44.ヴァイオリンの名を持つ男



「休日の朝、我が家ではウィンナ・オペレッタの音楽が流されてましてね。軽快な序曲やマーチがリビングに高らかに鳴り渡って、それが目覚めで、無理矢理起こされていたものでした。
 このバトルに参加してる多くの皆さんは音楽家の家庭に生まれ育った、きっと二世や三世の方々なんでしょうけれど、僕のような一世の、つまり両親共に音楽家でない普通の音楽愛好家の家庭では、日常生活の中で気楽なBGM的に音楽が流れてたりするんですよ。

 父は学生オケの時代からずっと趣味でチェロを続けてて。転勤族だったので、2、3年おきの全国移動でしたけど、市民オケってどの街にもあるものだから、行く先々でちゃっかり地域のオケに溶け込んでましたね。近所の子どもたち向けのピアノ教室をささやかに開いていた母も同じく、引っ越し先でゼロからのスタートになろうとも、半年後くらいにはホールで発表会が開けるくらいに生徒が集まってる。
 柔軟で、どこにでもすんなり溶け込める、適応性のある種族なんでしょうね。

 そんなわけで、父のオケ仲間とのアンサンブルや、ピアノのレッスンなんかで、うちにはいつも誰かしらが出入りしてて、何かしらが奏でられている。母はいつも家中を踊るように飛び歩いて何やら楽しげに口ずさんでましたし、いつも音楽が共にある生活でした。

 いつも歌が、音楽が、そこにあった。

 流されていたのは主に古典派からロマン派くらいまでのクラシックに、夜は映画音楽や軽めのジャズ、アメリカン・オールディズなんかも良く聴いてたけれど、休みの日の始まりは、とにかく楽しいオペレッタだったわけですよ。とりわけ、シュトラウスの《こうもり》や《ジプシー男爵》の、ノリノリの序曲なんかが。

 ふわふわのパンケーキに甘めのホイップバターがたっぷり添えられて、カリカリのベーコンに、父が丁寧に淹れる珈琲の香り。僕はオレンジをいくつも絞ってガラスのピッチャーをいっぱいにする役目。
 威勢のいい序曲が終わって第一幕の幕が上がり、うららかなアリアが始まる頃には、こうした定番のブランチメニューが食卓に並び、休日のとっておき、煌めくクリスタルのシャンパングラスにフレッシュジュースが注がれる。一人っ子だったせいか、こうしたところで両親は我が子をあんまり子ども扱いせずに、貴重なグラスも惜しげなく使わせてくれたんです。高価なんだから割ったりしないでよ、なんて余計なことも言わなかったし。

『一人はみんなのために』と、母がグラスを掲げ、
『みんなは一人のために』父が続け、
『みんなはみんなのために!』僕が締めくくって、乾杯!

 母がたいそうな『三銃士』好きだったんです。
 僕の名前も危うく三銃士の一人でリーダー格の『明斗日(アトス)』とか、下手したら、ダルタニアンならぬ、『弛旦(ダルタン)』とかにされた危険があったんですよ。有出ダルタン、有出アトス……、笑うしかないですよね、一生笑える名前。僕、ダルタニアンになってたら性格も変わってたんでしょうね。きっと大胆で、はちゃめちゃに。演奏だって、形式や枠にとらわれず、もっと自由で大胆で。
 え? 実際に大胆ではちゃめちゃですって? 僕、いつだって大まじめなんですけどね。
 まあ結局は、ご存じのとおり無難な名前に落ち着いたわけですが。父のチェロと母のピアノ。生まれた息子にも何か弦楽器で加わって欲しいと願ったか、『絃』の文字を入れた名前が選ばれたわけで。『絃』は、ピアノに張られた弦でも、弓道やアーチェリー系の弦のイメージでも良かったと言いつつ、両親のもくろみは、やはりヴァイオリンだったみたい。一家でトリオができるようにと。

 物心つく前からピアノには勝手に触れて延々と遊んでました。母の生徒さん達がやってくる前に、少しでもピアノを占領すべく、幼稚園や学校から帰ったら着替えもせずにピアノに向かってましたね。とにかくピアノ一直線。
 そのうちに、我が家にヴァイオリンの名曲が頻繁に流されるようになって、オケや室内楽の練習なんかにもしょっちゅう連れて行かれたり、じわじわと息子を洗脳しようと考えていたんでしょうね。両親からさりげなくヴァイオリンを勧められるようになっても、僕はピアノ大好き少年でしたので、断固として抵抗してたんです。
 自分にとっての音楽は、ピアノではともかくバッハが大根源で、モーツァルトやシューベルト、ロマン派では特にシューマンが気に入って夢中で弾いてましたね。作曲家の世界に近づきたくて、伝記も熱心に読んでました。両親や知人の参加する発表会や演奏会を始め、舞台は比較的身近で、美術館なんかにもよく連れられて行きましたが、ある時、両親と観たバレエの舞台に感銘を受けて、演目は〈白鳥の湖〉で、もちろんバレエそのものも素晴らしかったんですが、とりわけチャイコフスキーの音楽にすっかりはまってしまって。
 で、〈白鳥の湖〉のメロディーを奏でるにはヴァイオリンしかない! と、小学校の高学年にもなって、始めるにはかなり遅めでしたが、両親の理解や応援もあって熱中していったわけなんです。

 自分の名前には逆らえない定めなんでしょうね。

 僕の名前、GENTO ARIIDE の中には、ヴァイオリンに使われる四つの弦、G、D、A、E、の音が入っているし、おまけに、GEIGE =ドイツ語のヴァイオリン、GEIGER =ヴァイオリニストの文字も含まれてるんですよね。しかしこれに関してはまったくの偶然だったそうで、両親の潜在意識がそういう名前を選ばせたのかな。

 その頃、縁あってウィーンの師匠からピアノの個人指導を折に触れて受けていたんですけど、
『ヴァイオリンなんて、今更遅い。音高に入ったら予科で学ぶ程度にしておきなさい』と真っ向から反対されたので、最初のうちは内緒で弾いていた。
 半年ほどして師匠のピアノレッスンを受けた際、密かにヴァイオリンを始めたことが何故かバレてしまって。きっと歌い方なんかに現れていたんでしょうね。
『それなら弾いてみろ』と、どこからかヴァイオリンを持ち出してきて突きつけるんです。元々厳しい先生が、狩りの獲物を狙うような恐ろしい形相でにらみつける中、チャイコフスキーの〈瞑想曲〉を──ピアノでは表現しにくそうな曲をあえて選んで──弾いたら、師匠は無言でレッスン室を出て行っちゃった。
 ああ、やはりご機嫌を損ねてしまったか。手塩にかけて育てて頂いてたのに、内緒で練習するなんて、自分は先生を裏切ってしまったのかと。しかしヴァイオリンへの情熱は捨てられない。破門は覚悟の上だったはず。と、腹をくくっていると、ほどなくして師匠が険しい表情で戻ってきて、彼の演奏のパートナーでもあるヴァイオリニストの名前を出して、すらっと言われたんです。

『彼に電話した。見てやるから、すぐに来なさいと言ってる』と。

 飛び上がりましたね。
 高齢のピアニストだった師匠にもヴァイオリンの指導くらい充分にできたとはいえ、演奏活動の傍ら、後進の指導にも力を入れていた高名なヴァイオリニストを紹介して頂けるなんて。しかもこちらに何の相談もなしに、勝手に事が運ばれるとは。

 こうして遅まきながらも本格的にヴァイオリンに取り組むことになったんです。

 といっても、もはや分身ともいえるピアノも、ヴァイオリンと平行して続けながら音楽を学んでいくうち、いきつくところは、すべての楽器を融合した指揮者ではないかとの思いに、やがて無性に駆られるようになってしまったんです。
 指揮者の道を目指すべく、師匠らの猛反対を押し切って、まずは音高の作曲科に入学。指揮科はなかったので。
 しかし現実は甘くなかった。日々の課題の現代音楽の作曲や、指揮者の訓練として、延々腕を宙で振り下ろし続ける『たたき』なる特訓が、どうにもガマンがならず、結局、指揮者の道はあっさり諦めた次第。宙をたたき続けるくらいなら、ヴァイオリンのボウイングの練習を延々続けた方がよほど有益だし、やり甲斐もあるってね。

 僕、気まぐれだし、根性ないんですよ。

 で、高校二年目から器楽科に編入させてもらい、今度は正真正銘ヴァイオリンに徹底することにしたんです。
 あとは、プロフィールに提出したとおり。
 師匠のいるウィーンに留学して、卒業後はドイツの地方劇場のオケに潜り込んで、それからフランスへ──

 どうしてオケを辞めたのか、ですって? 二年間の試験採用の期間が過ぎて、正式採用にあたってクビになったからですよ」



「嘘だ」と白城貴明は言った。
「きみみたいな優秀かつ、オケ人としても、どこにでも溶け込めそうな……、どころか周囲から頼られる強力な人材を、オケが手放すわけがない」

 さあ、どうかな? といったポーカーフェイスで肩をすくめてから、有出絃人は録画を止めるよう、ジェスチャーで撮影スタッフに促した。
「過去に想いを馳せているうちに何だかぼーっと眠くなっちゃった。もう遅いし、今夜はこの辺までにしといて頂けませんかね」
「あら、これから興味深いお話が伺えそうだってのに?」
 宮永鈴音がソファから腰を浮かせる。今宵は参加者への電撃インタヴュアーとしての役割で、有出と白城の部屋を撮影隊と共に訪れていた。
「ドイツの劇場オーケストラのお話も、ピアニストとしての、フランスでのご活躍ぶりなんかも。エトセトラ、エトセトラ」

 有出絃人が、中々独白ルームで自分の謎の経歴を語ってくれないので、番組側が業を煮やし、リポーターとして鈴音を差し向けた次第であった。
 一日のバトルを終えた二人が、自室のベッドで積み重ねた枕に寄りかかり足を投げ出し、ハーブティーでも飲みながらヤレヤレとくつろぎ雑談しているという設定で、
〈青きドナウ〉、〈こうもり〉に、〈ラ・ヴァルス〉と三曲続いたウィーン対決にもようやく決着がついたようだけど、明日からはどんな課題になるのかな。そもそも絃人くんが、ウィーン系の音楽にやたら強くなったのは、どういったきっかけだったの? といった、貴明の何気ない問いかけに、絃人が幼い頃の家庭環境からぽつりぽつりと語り始める……といった流れであった。

「明日もあるし、まだまだ先もあるんだし、ルームメイトに迷惑かけたくないし」

 確かにバトル参加者のプライベートタイムをこれ以上邪魔するのは公平バトルの規定に反すると判断し、撮影隊は「お休みなさい」と素直に引き上げて行った。


「だからあんなに屈折してるのね!」
 廊下に出てドアが完全に閉まったのを確認してから、宮永鈴音がプリプリ文句を言った。
「契約更新ならず、晴れて正団員になれる希望が打ち砕かれて」
「ですが優秀すぎる人材って、既存のメンバーの立場を脅かす可能性があるから、逆にあえて落とされたりするそうじゃないですか」
 カメラ担当の青年がやんわりフォローする。
「オケの特色や雰囲気に合うか合わないかってな事情もありますし。地方オケならなおさら地元民の団結力も強いでしょうし」
 肩に背負っていた機材を腕に抱え直し、首を傾げた。
「それに彼、屈折してますかね? 屈折どころか、有出さんって、すごく自然体な気がしますけど」
「だって女性奏者としょっちゅうモメてるし、冷酷で、優しさや思いやり、気遣いなんか全然感じられないし」
 鈴音にとっては、たった今も冷たく乱暴に追い払われた印象も拭えない。
「眠たいから出て行け、なんて。やっぱり『拒絶男』だわよ」
「確かに。鈴音さんにも、まったくちやほやしませんでしたものね」
 青年も不思議がる。
「女嫌いなのかな」
「『ちゃらい女はあっち行け』オーラみたいなのを感じちゃうのよね」
 鈴音はこそっと付け足した。
「ドイツのオケを辞めたのも、きっと女性絡みのいざこざなんでしょうよ」




45.「ピアノと駆け落ちの顛末」に続く...




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