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「オケバトル!」 42. 貫禄勝ちへの切ないため息


42.貫禄勝ちへの切ないため息



 薄暗い舞台で一人スポットライトを浴びて浮かび上がるは、皇帝フランツ・ヨーゼフの麗しき妃、エリーザベトの姿。

「今宵は皆さまを、18世紀半ばのハプスブルク皇帝の宮廷舞踏会に、ご案内致します」

 しかしその口から漏れるは、れっきとした日本の言葉。あれあれ? そっくりさん? 

 昼間の〈こうもり序曲〉舞台でのゴージャスな白いドレスは殆どそのままに、髪型を大幅チェンジ。ゆるやかなウェーブのかかったロングヘアにエリーザベトお気に入りのダイヤの星形の髪飾りのレプリカを散りばめて、何とも可憐な雰囲気を醸し出している宮永鈴音。しかもその腰回りの細いことといったら! エリーザベトの伝説の極細ウエスト並みではないのかや? あんなに華奢なウエストで、よくヴァイオリンを奏でられるものだという印象を誰もが受けるが、ああそうか。あんなに細すぎる身体だから、彼女の音は、あんなに貧相なんだ、と妙に納得してしまう。

 リハーサルの取材時は目立たないダークスーツの装いであったのに、台本の書き換えも含めての行動や思考の切り替え、ドレス及びヘアメイクチェンジの素早さには周囲のスタッフも驚くばかり。

「神聖ローマ帝国時代より650年にも渡り、オーストリアを中心に中欧に君臨してきたハプスブルク家。優れた統治力に加え、芸術の才に長ける皇帝も歴代に多く、壮大な建築物から絵画、彫刻、音楽や文学、あらゆるバロック芸術の発展に貢献し、首都のウィーンを国際的な文化都市へと導くものの、民族運動の高まりや、第一次大戦の敗北に伴って、ついには帝位を失い崩壊してしまいます。
 事実上最後の皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世の美貌の皇妃エリーザベトの物語や、息子ルドルフのマイヤーリンクでの女優との心中事件は、今日において映画やバレエ、ミュージカルなどの題材にもなっています」
 そう語る彼女こそ、そのままミュージカル「エリザベート」の舞台に立てそうだ。
 エリーザベト鈴音はここで、低く落ち着いた語り口から、いつもの明るめトーンに声色を変え、少し早口で余談の説明をつけ加える。
「ちなみに私、さきほどから『エリーザベト』と言っておりますが、あれ? と思われた方もいらっしゃると思います。我が国では『エリザベート』という言い方が馴染まれてますものね! 
 ですが『エリーザベト』のほうが原語に近く、最近ではこちらの表記も浸透しつつあるようです。この番組では、ちょっとしたことですが、このように従来とは異なる認識なども、折に触れて紹介してゆく方針ですので、どうぞよろしくお願いします」

 それから再び高貴なエリーザベトを演じる女優モードに戻りゆく。
「ディアギレフ率いるロシアン・バレエ、『バレエ・リュス』の委嘱作品として作曲を依頼されたものの、『舞踏向きではない』とディアギレフに拒絶された経緯から、初演はバレエ音楽としてではなく、演奏会形式でなされました。
 そしてバレエの舞台としては、ディアギレフとは異なるバレエ団によって、かの〈ボレロ〉初演と同じ舞台で後にお披露目された次第です。えー、ディアギレフの『バレエ・リュス』については改めて、ご紹介の機会を持ちますので、目下のところは念頭におく程度ということで」

 おや? これは今後の課題曲のヒントであろうか? 舞台で待機するBチームの面々は考えを巡らせる。バレエ・リュスの演目って、何があるかな? 薔薇の精、牧神の午後、レ・シルフィード、シェエラザード、ダフニスとクロエ、ストラヴィンスキーの三大バレエに、プルチネルラ、道化師……、えっとボレロは違うんだよね?
 厄介な曲ばかりじゃないか! 

 スポットライトの照明がそっと落とされ、司会の姿は霧に包み込まれるように見えなくなった。
「モーリス・ラヴェル作曲、オーケストラのための舞踏詩〈ラ・ヴァルス〉、今回はBチームからの先攻です」
 それからふた呼吸ほどおいて、鈴音は声色を、今度は完全無機質なトーンに抑え、幻想世界に誘うように静かに語り始める。

「渦を巻く雲の間。遙か向こうに、ワルツに興じる人々が垣間見えます」

 スコアに記されたラヴェル本人の言葉による情景説明の演出としては、司会のナレーションに合わせ、ここで舞台にドライアイスでもたいてラヴェルの雲間からの視点である「渦巻く雲」を表現したいところであったが、ドライアイスの湿り気なんてオーケストラの楽器には災いの元凶でしかない御法度なので、ここは後日の編集で、霧のCGを被せることする。ただ、今回は豪華なシャンデリアが舞台上のあちこちから贅沢に吊されており、司会の声が徐々に明るいトーンになるに従い、照明が強められていき、既に舞台で待機していたBチームの姿が浮かび上がる演出は非常な効果をもたらすのであった。

「雲が次第に晴れゆくにつれて、めくるめく旋回に満たされている舞踏会場が、はっきりと見えて来ます。そこは18世紀半ばの皇帝の宮廷。舞台は次第に明るさを増し、まばゆいばかりのシャンデリアの光はフォルテシモで輝き渡ります──」

 高らかに響き渡るジャーン! ではなく、静かに、静かに。どこからともなく……といった感じで、演奏が始まった。
 こうした演出は今回のように指揮者不在の場合、よりいっそうの効果をもたらすものだが、これは先攻チームのみの特権となる。元からノリが良く、素直に喜ぶBの面々は何だか得した気分になるが、これが柔軟性に乏しそうなメンバーの多いAだったら、「余計な演出をされては興ざめ」と、しらけ気味になったかも知れない。

 おっかなびっくり気味のマエストロ浜野亮によるBチームのリハーサルは、ひと悶着あったAチームに比べて遙かにスムーズに進んだのだが、Aの「ひと悶着」こそが、結果としてチームの絆や力を高めるものとなったのだ。逆にお気楽Bのほうは、足手まといの邪魔者パートナーが消えて自由になった「冥界の王」ことオーボエ男性のソロに始まり、皆が好き勝手に歌いすぎたからか、テンポがどんどん間延びして遅れ気味になり、ラストは音割れも含めた大狂乱の崩壊ワルツとなって完全破綻してしまう。

 しかし達成感だけは健在のBチーム。

 逆に、リハーサルの時間切れということもあってか、「指揮なしでの通し稽古は、あえてやらずにぶっつけ本番でいきます」という有出リーダーの強気の方針により、リハーサルで彼が振った状態をキープしたまま本番に挑んだAチームは、その作戦が功を奏したか、理想どおりの演奏を披露することに成功した。
 彼らの理路整然とした演奏を目の当たりにして、客席のBの面々は初めて自らの敗北を悟るのだった。

「もはや説明の言葉は必要なかろうね」
 という長岡のひと言で、決着はつけられた。

 それでも視聴者に納得がいくようにと、青井杏香が一応、B破綻の説明を入れておく。
「やたら歌いすぎるソロだとか、唐突に響きすぎるトライアングルだとか、指揮者がいれば当然注意を促したはずのところが全部、如実に現れてしまったようですね。オケ全体が完全に、崩壊のワルツに呑み込まれて溺れてしまったという印象で」
 同情気味に話した後、少々厳しい口調にて、
「指揮者抜きの演奏では、万が一テンポが遅めになってしまったり、逆に勢いがつきすぎて収拾がつかなくなってしまうような場合に備えて、必ずどこか、『仕切り直し』ができる箇所をしっかり用意しておくべきですよ」
 と、アドバイス。

「アントーニアさんも、同じく厳しい意見をお持ちでしょうか?」
 司会に向けられ、アントーニアは、
「ウィーンやシュトラウス、失われた世界への遙かな憧れ、といった作曲者の想いは、ラストまで常に冷静だったAの演奏より、情感たっぷりのBチームのほうが切ないくらいに伝わってきましたけれどね」
 気の毒なBのために、ささやかな救いの言葉をどうにか絞り出す。
「ですが、演奏の完成度という点からは、ラヴェル本人も、Aチームの演奏のほうがきっとしっくりいくのではないでしょうか」
 と言って、ため息。気になるヴァイオリニスト、浜野亮が、今はBチームを率いていると知った上での、切ないため息であった。チームの敗北を受けて、彼なら自らが責任をとって脱落を志願するであろうから。

 もう会えなくなっちゃう? 
 ううん、逆に彼がバトルから抜けてくれれば、バトラーと審査員という立場を抜きにして、個人的に会ったり一緒に活動できるようになれるかも知れない。
 彼の脱落、そう寂しいものではないのかも。
 だけど彼がオケマイスターの候補から遠のいてしまうのは、やっぱり残念だわ……と、少々複雑な想いのアントーニア嬢。

〈美しき青きドナウ〉、〈こうもり序曲〉、〈ラ・ヴァルス〉と続いた、有出絃人と浜野亮による事実上の一騎打ち、「ウィーン対決」は、どうやら有出絃人の貫禄勝ちに終わったようだ。




43.「あの子が欲しいが、この子はいらない」に続く...





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