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「オケバトル!」 37. 純朴審査員のトンデモ提案


37.純朴審査員のトンデモ提案


 朝の六時を告げるE(=ミ)の音の鐘。
 喜歌劇《こうもり》の舞台では、この鐘を機にオルロフスキー公爵邸での舞踏会がお開きとなり、一同が散り散りに帰途につく──実際は自宅に戻るのではなく、各々が思惑を隠しつつ第三幕の舞台となる刑務所へと向かうのだが──。
 華やかな序曲の中で、この鐘の音は非常に効果的に使われており、通常は鉄琴の一種であるグロッケンシュピールが用いられる。

 しかしリハーサル室には当のグロッケンが用意されていない。

 Aチームではパーカッションの青年が、今回も指揮を務める有出絃人に、地下の楽器室からグロッケンを借りてくれば良いかと、恐る恐る相談を持ちかけていた。
「あの楽器庫の番人が、また何か特別仕様の楽器を周到に用意しているかも。見に行って来てください」
 さらりと言われてしまう。指揮棒は借りっ放しらしいから、前回のように指揮者が付き添ってくれそうな気配は皆無、どころか有無を言わさぬ有出のひと睨みは楽器番の怪人よりも恐ろしい。

「早く! Bの奴らに先を越されないうちに」

 否応なしにせき立てられるパーカッショニストくん。グロッケンは一人で運べないだろうと、先輩格のティンパニストも護衛として恐怖の部屋へ赴くことにする。今後の課題曲ごとに、パーカッションは通常の打楽器以外にも色んな楽器が登場してくるだろう。その度に、あの恐ろしいじいさんの元に足を運ばなきゃならないのだろうかと、彼はすっかり憂鬱になってしまう。

 しかし今回、二人は老人に脅されることもなく──例によって、かなり怪しいそぶりでおちょくられはしたのだが──、実に効果的な楽器を入手することができたのだった。
 にこやかに戻ってきた彼らは、アンティーク調の巨大な柱時計をえっちらおっちら抱えていた。

「素晴らしいカウンターテナーだったなあ!」
 感心することしきりのティンパニ奏者。
「オルロフスキー公爵の替え歌で、特別仕様の懐中時計とか、色んな楽器を面白おかしく紹介しながら、退廃的なロシア貴族を演じてくれたんですよ」
 怯え切っていたはずの打楽器奏者も、すっかり気を良くしていた。
「じいさんなのに、美形の青年貴族を?」
 あり得ないよ。別人なのでは? と、奇怪な楽器番の噂を知る者は一様に首を傾げる。
「いや、確かに年配者ではあるけれど、背筋はしゃんとしてて若々しくて、しなやかで、しかも不思議と、何故か異様に……」
 そこで二人は顔を見合わせて言った。
「美しかったんですよ!」
 美しいじいさんって……? はたして二人は老人の怪しげな歌で魔術にでもかけられちまったんだろうか?

 心配する仲間らであったが、試しに鳴らされた大時計のEの鐘の音の、何とも優美な響きに、ほうっと魅了される。
「小道具としての洒落た懐中時計もありましたけど、こっちのほうが格段に音が良かったので。舞台映えもしますしね」
 そう言いながらグロッケン係の青年は柱時計の陰に入り込み、声だけが聞こえてくる。
「楽器としては、時計の背後に縦置きに仕組まれたグロッケンを、こうして鳴らすだけの簡易仕様なんです。隠し穴から指揮者の合図を覗いて」
「大時計に向かって指揮者が合図って、なんか変。こちらは拍子をとるだけにしますので、一緒のフルート、オーボエと、しっかりタイミングを合わせてください」
 と絃人が大真面目に注意する。
 ただし、リハ室と違ってホールはやたら響くので、余韻に気をつけて。気持ち短めが、いいかな。これから始まる楽しい物語への誘いの大切な場面なので、すっごく魅惑的な音色にしてもらえるとありがたいな──と、細かな注文も忘れない。
 ホールではぶっつけ本番。音出しのチャンスはなく、音響調整はできないのだ。
 欲張らないで、可愛い音の懐中時計にしとけば良かったかなと、時計係は少しばかり後悔する。そっと、小さめに鳴らすことにしようっと。




「アン・デア・ウィーン劇場の支配人から渡された『こうもり』の台本にすっかり魅了されたワルツ王、ヨハン・シュトラウス二世は、寝食を忘れるほど作曲に夢中になってしまいました。
 あらゆる面会を断って自室にこもり、一ヵ月半で草稿を書き上げます。シュトラウス48歳。1873年の暮れのこと。ウィンナ・オペレッタの最高傑作が、ここに誕生したのです」

 午前中の清楚なブルーの膝丈ワンピースから一転お色直し、今回は豪華な白いドレスの装いで舞台に立つ宮永鈴音。舞踏会に赴くために変装したロザリンデを意識してか、仮面舞踏会風の黒マスクをかけて、謎めいた貴婦人といった雰囲気を醸し出している。うら若き女中のアデーレ役も似合いそうだが、風格ある女主人の貫禄も、彼女には備わっているようだ。

「年末の一夜の物語という設定もあって、ウィーンを始めとするヨーロッパの、主にドイツ語圏では年末年始の恒例行事として上演され、愛され続けています。劇中の、どの曲をとっても大変聴きごたえのある素晴らしい名曲ばかり。ほんっとうに楽しいオペレッタで、演じる歌手や役者さんも楽しくて仕方がない、といった舞台なんですよ」

 ちなみに役者さんというのは、歌はなくセリフだけの脇役、女中アデーレの妹や、刑務所の看守フロッシュなどがそうで、こうしたセリフが舞台上で自然に語られるのが喜歌劇、いわゆるオペレッタで、基本はセリフにもメロディーがつく歌劇、つまりオペラと区別されているところです。と、少し声を落として補足を語り、再び明るく続けていく。
「これから始まる序曲にも、劇中全編にあふれる素敵な音楽がふんだんに盛り込まれており、これから始まる楽しい物語への期待が否応なしに高まります。ですから序曲を聴いただけでも大満足で、もうお腹いっぱい、といった感がなくもありません。ヴァイオリンでさわりを紹介したくも、どの節をチョイスしていいのか、皆目分かりませーん」
 なんて言いながらも、タラランラ、ラーン♪ と、楽しい舞踏会の有名なメロディーを軽く弾きながら、司会が軽やかな足取りで下手に踊り下がったところで、さあ! バトル開始。

 先攻のAチームも、後攻のBチームも、スコアを見ずとも隅から隅まで曲を熟知しているヤル気満々の指揮者に導かれて、〈青きドナウ〉同様、中々見事な演奏を展開して見せる。
 個々の奏者のミスや楽器トラブルなどもなく、演奏全体に関しても、文句のつけようがないほど聴きごたえのある、プロとしての立派な演奏となっていた。

 しかし勝敗はつけねばならない。こうなると審査員の好みの問題か。視聴者によるネット投票でも企画すれば、気に入った演奏や、好みのバトラーの所属するチームを応援すべく、票も明確に分かれてゆくのであろうが、番組の放送開始はまだ先なので、仮にそうした人気投票を企画したとしても結果を待ってはいられないのだ。

 強いて評価するならば、Aは格調高き名演で、Bは豪快極まりない快演──あるいは怪演? ──といったところか。

 またしても悩める審査員たち。
「この序曲の後、国立歌劇場の舞台が控えているなら、Aの勝利。フォルクスオパーで幕が上がるなら、Bに軍配を上げたいところかなあ」
 とは、審査委員長の談。
 なんて適当に勝敗を当てはめるんでしょう? と、面白がりながらも呆れるのは隣席の青井杏香。「本気でおっしゃってるの?」とばかりに、しげしげ長岡の表情をのぞき込む。

 本気かどうかはともかく、司会としては彼の言葉を一般視聴者向けに通訳しておく必要があった。その場で説明を加えつつ、不穏な空気も極力回避していく。
「ウィーン国立歌劇場──観光ガイドなどでは『オペラ座』との記載が多いですよね、ここでは通常、オペレッタという軽めの演目は上演されません。ですが、この《こうもり》だけはオペレッタといえども別格で、年末年始恒例の重要な出し物となっています」
 それが仮に以前にも紹介された内容であろうとも、その回を見ていない視聴者のために毎回の放送ごとに説明は繰り返さねばならない。
「長岡委員長が例えに出された国立歌劇場とフォルクスオパー、どちらもウィーンの要ともいえる歌劇場ですが、国立歌劇場は格調の高さを誇っていて、逆にフォルクスオパーは庶民的な気楽さで、親しみやすい演目が多く上演されているんですよね、アントーニアさん?」
 といった具合に、現地情報に詳しいアントーニア嬢に続きを委ねるなど、紹介の仕方やニュアンスを変えて、常に新鮮な知識として情報を提供する。

「ええ、そうですね……、シュターツオパー(国立歌劇場)では、例えばコートや手荷物などはクロークに預けるのが絶対的なマナーで、そうしたルールを守ることで、日常から離れた別世界へと誘われてゆくんです」
 アントーニアが分かりやすい例で答えてゆく。
「フォルクスオパーでは音楽はもっと身近で、日常の延長のようなもの。もちろん、劇場に足を運ぶという特別な思いはありますが。おなじみの〈こうもり序曲〉なんかが始まると、皆がうきうきとリズムに乗って身体を揺らし始めるんですよね。子どもから大人までが心から楽しんで」
 そしてフォルクスオパーでは、歌の途中で携帯が鳴り出したりしても、あらあら困ったわ。てな調子程度で、もちろんマナー違反ではあるが、周囲から目くじらを立てて追い出されるということは、あまりない。それが国立歌劇場だったら大ひんしゅくで係員に連れ出されてしまうのだが。
「長岡プロデューサーが言われたとおり、今回の序曲も、両チームともスタイルは異なれど、どちらも最高に素敵な演奏で、やっぱり優劣なんて、つけられませんわ」
 アントーニアは肩をすくめた。
「審査員、失格ですね」
 青井杏香も「そうですよねえ」と、ため息をついて同意しつつ、どうにか審査をバトルモードへ持ってゆく方向性を見いだそうと頭を巡らせる。
「この曲って、オペレッタの序曲としてだけでなく、あくまで独立した名曲としても充分鑑賞に値するものですから、このあとに続くオペレッタの舞台はイメージから除外して、私は考えてみようかしら」
「単純に、ひとつの楽曲として、ということですね? 国立歌劇場も、フォルクスオパーも、抜きにして」
 司会が確認する。
「ええ。ですがもちろん《こうもり》全幕の音楽を熟知した上での演奏は、大前提ですよ。加えて作曲家の目指すところ、音楽の本質と現代に至る文化の流れや風潮、このホール、この番組の資質や目的に、どれほど演奏が寄り添っているか、といったことも」
「分かった。きみはそうした観点から審査してくれたまえ。わたしは格調の高さか庶民的か、どちらがこの曲の本質に沿っているか検討したいものだがね。しかしそれは同時に、チームカラーというより、単に指揮者の性質の違いからくるもののような気もするがね」
 長岡の言葉を受けて、アントーニアがふと浮かんだトンデモ発想を口にする。

「両チームの指揮者を入れ替えて再度演奏していただく、というのは、どうでしょう?」

 場内が騒然となるか、あるいはシーンと凍りつくか、といった恐るべき瞬間であったが、舞台に残るB、客席のA、両チームとも反応は後者のほうだった。




38.「ひとたびタクトを握ったからには」に続く...




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