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「オケバトル!」 40. 品格をもって滅亡すべし


40.品格をもって滅亡すべし


 仕切り役を任された有出絃人からの「条件がある」との注文に、一同「どうぞどうぞ」と、安堵しつつも警戒気味の反応は隠せない。

「最終段階で仕上げた音楽を、僕がリハで振ったとおりに、まったくそのとおりに、本番で再現できますか?」

 これは脅しか? メンバーが即答できずにいると、今回コンサートミストレスの大西嬢がしばしの沈黙を破り、
「やれます! というか……、やります!」
 と、潔く責任を引き受ける。
 指揮者不在の場合は当然、コンサートマスターにすべての責務がのしかかる。演奏が破綻すれば脱落一直線ともなろう。しかし自分が彼に同意しなければ、この椅子から即座に降ろされそうな崖っぷちの運命に立たされている以上は、できるできないに関わらず、「やる」と答える以外に道はないのだ。
 清楚で控えめな佇まいが、たおやかな白サギを彷彿させる古風なお嬢様タイプと見受けられたが、彼女、毅然とした逞しさも持ち合わせているようだ。コンミス嬢の意外な勢いに勇気づけられ、続いて、イエス! ウイ、やって見せましょう! と、あちこちから同調の声が上がりゆく。

「これまで課題に出されてきた明快な序曲や舞踏曲なんかと違って、〈ラ・ヴァルス〉の場合、本来ならばたっぷり歌って揺れ動いて、随所にエスプリが効いた微妙なニュアンスや甘美な色香が醸し出される艶っぽい演奏が理想なんですけど……」
 そこまで語ってから、絃人は冷たく宣言した。
「状況が状況だけに、悪いけど今回は守りに入らせてもらいますよ」

 指揮者不在の不安を打ち捨て、ヤル気に満ちた高揚空気に釘を刺すような彼の方針に、リハーサル室が疑問符で満たされる。
 しかし相手チームに勝つためには、リスクも必要でしょう? 
 無難にまとめるよりも、最高の演奏を目指して賭けに出るくらいの勢いがあっても良いのでは? 
 守りだなんて、いつだって真剣勝負の絃人さんらしくないですね。
 仕切り役だって無駄に遠慮しちゃったりして。審査員に何と言われようと、有出カラーあっての我がAチームなんだから......。

 誰かに文句を言われる前に、絃人は落ち着いた口調で理由を説明してゆく。
 二管編成のフルオケのはずが、両チームとも人数がどんどん減って、既に管でさえ抜け始めている状態。演奏に不可欠な楽器のエキストラだって、主催者の気まぐれか当人の都合か、居いたり居なかったり。パーカッションなんて常に人手が足りないから、毎回のように弦から有志を募らなきゃならない。しかも限られた時間や制約の下。理想の音楽を視聴者に届けようなんて、もはや無茶な話。ですから、こうした不利な条件下では、分かりやすい形できちんと演奏することが、まずは第一条件。
 例えば、弦のピッツィカート。完璧に息をそろえてビシッと鋭く決めるとか、テンポやリズムは慎重にいくとしても、強弱に関しては要所要所でしっかりメリハリをつけて。
 守りと言っても、こうしたポイントをちゃんと意識して楽譜に忠実に演奏するだけでも、ラヴェルの大らかな歌心は自然に生きてくるんですから、余計なことはしなくたっていいんです。譜面に記されている最低限のことを忠実に守りさえすれば、僕らのチームの個性といったものは、後からついてくるもの。
 Bは無茶して破綻する決まってるし ——— いや、無茶しなくても破綻かな ———、僕たちは無難にまとめさえすればいいんです。
 この曲のクライマックス、破滅に向かって展開してゆく表現法や枠にはまらない調性は近代的でも、手法はあくまで古典的だから、冷静さを保ち続けさえすれば、大破綻は免れるでしょう。

 皆を安心させるような穏やか調ながら、実は深い暗示をかけていた。冷静に、冷静に。── 熱血Bのように ── 決して熱くなりすぎないようにと。
 最も冷静さを保たねばならないコンミスの彼女が「やります!」と言った声が、興奮気味に裏返っていたところに一抹の不安を感じていた絃人であったが、やると言ったからには彼女も役割をきちんとこなしてくれるだろう、と仲間を信頼して手際よくリハを進めていくことにする。

「テンポは気持ち早めでいきます。随所でもたれることのないように。二拍目、三拍目が千鳥足にならないように。本来は、甘美な幻想のワルツといった感じで、艶っぽくいきたいところなんですけどね。特に木管のソロ。フレーズをやたら膨らませすぎないように、あえて意識して気をつけて」
 と言ってから、オーボエ首席の女性に向かって、
「微妙な歌い加減は、ソロが最初に出てくるオーボエにすべてがかかってるので、よろしく。続くヴァイオリンや、その後のソロでも皆があなたの歌い加減に従うことになるので、ぜひ最高のお手本を皆に示してください」

 本人にとっては相当なプレッシャーを与えられた形になるのだが、これまでのバトルの経緯からも、同じ木管族の中で既に脱落していったフルートとクラリネットの口先だけの生意気娘らと違って、このオーボエの彼女は実力も根性もありそうだと見込んでの、絃人の発言であった。
「大丈夫。変に揺れ動いたりしないで、素直に奏でてくれさえすればいいので」
「こんな感じですか?」
 彼女がさらっと吹いてみせる。 
「完璧」
 絃人のうなずきに、よしっと皆がヤル気に満たされ、さあ、音出し開始。

 しかし、やはりラヴェル。たった一時間のリハーサルごときでは一筋縄でいくわけがない。一度通して見たところで、
「当然、分かってらっしゃるとは思いますが」
 指揮棒を置いた絃人は、丁寧口調ながらも無表情で冷たく言い放つ。
「これはウィーンの絢爛豪華な舞踏会や、シュトラウスへの遙かな憧れを描いた音楽であって、ウィンナワルツのパロディーじゃないんですよ」

「はい。いいですね!」なんて言葉は期待していなかったにせよ、実に腹の立つ言いように、誰もがカチンときてしまう。
 言われてみれば、確かにちょっとパロディーっぽい重さが出ちゃったところ、あるかも知れないけど、わざわざ「当然」なんて挑戦的な言葉を使うところが嫌みったらしいよね。
「パロディーじゃ、ないんですよ!」なんて否定語じゃなくて、「パロディーっぽくならないようにお願いします」とか、もう少し紳士的な言いようができないんですかねえ。

 といった心の声が方々から聞こえてくるようだが、絃人はお構いなしにたたみかける。
「一連の優美なワルツが終盤に近づくにつれて次第に狂い始めて、ついには大狂乱となって完全崩壊。これが単にある一夜の饗宴を意味するのか、退廃的な貴族社会の象徴と見るか、古典様式を重んじるラヴェルが調性の崩壊を予見しつつ危惧しているとか、彼が生涯とらわれていた『逃れる術のない宿命としての旋回』に、容赦なく呑み込まれてしまう、というのもしっくりきますしね? こうした様々な意味合いが複雑に絡み合っての『崩壊』なんでしょうけれど……」
 そこまで言って絃人は一同を見渡した。さあ、自由に意見を述べて頂けますか? と言いたげに。

 学校の授業で鬼教師が難問を投げかけ、「きみ、答えたまえ(=答えられなかったら許さない)」と劣等生を名指しようとするかの緊迫場面のごとく、さりげなく身を縮めたり目をそらす者がチラホラ。そうした醜態がカメラに捉えられてしまってはかっこ悪いので、あくまでも自然体を装いつつ。
 しかし答えは問いかけた有出絃人本人があっさり提示してくれた。

「この帝国が、仮に滅亡を免れないとしたら、せめて品格をもって滅亡すべきであろう」

 シェイクスピアの芝居を彷彿させそうな謎めいたセリフ。これって何の引用? と、皆が興味をそそられる。
「フランツ・ヨーゼフⅠ世の、この言葉を借りるとして、めちゃくちゃな大破綻、ではなくて、あくまでも品格を保った大団円にして欲しいんです」

 フランツ・ヨーゼフⅠ世=ハプスブルク家の事実上最後の皇帝。甥のフランツ・フェルディナント大公の暗殺を機にサラエボに宣戦布告 → 第一次大戦の勃発 → オーストリア帝国の崩壊。

 といった一連の歴史を連想できた者は、ごく僅かであったが、リハーサルの模様を興味津々で見守っていた宮永鈴音には、彼の説明が実にしっくり理解できた。歴史はもとより音楽史にすら疎い彼女であったが、司会の台本案としての青井杏香による〈ラ・ヴァルス〉の楽曲解説の項に、やけに詳しくハプスブルク家のことが書いてあり、内容の詳細を番組でどこまで語るか、昨日も杏香と二人でじっくり話し合ったばかりだったから。

(短編ファンタジー「ハプスブルクの鏡」より 参考資料)



 有出絃人の説明はなおも続く。
 晩年の交通事故が原因で頭痛に苛まれ、作曲に集中できなくなってしまうラヴェル自身の意識の崩壊を、本人の潜在意識が予見していた? なんてのは大げさな解釈としても、構想段階から世界大戦を挟んでの長い作曲期間という、この曲の事情からしても、自身の壮絶な従軍体験や、母親を亡くしたばかりの喪失感、加えて世界全体の喪失感……。
 ラヴェル本人がスコアで言明している「1855年頃の皇帝の宮廷」って、まさしく当の皇帝フランツ・ヨーゼフが、その後、呪いのように相次ぐ身内の不幸にさいなまれる前の、古き良き時代のこと。美しい花嫁を迎え、子宝にも恵まれ、長い人生に、長すぎる統治生活の中でも最も幸せで平穏な時期であったからなおさら、はかなさも感じさせるわけで。
 憧れの世界の大崩壊。ラヴェルにとっての「崩壊」が何を意図するか、本人でさえはっきり意識してなかったかも知れないけれど、自身の憧れをウィーンの皇帝の宮廷と言明してハプスブルクに関連づけている以上、我々奏する側も、ハプスブルク皇帝の言葉を借りて、品格を持った崩壊を心がけてはどうかと思うんです。

 音楽史の研究家による初心者向け講座のような話であったが、説得力は結構ありそうだ。

「とはいえ、第一次大戦では戦闘員と民間人、合わせて四千万人もの死傷者が出たという恐ろしい事実や、その後の影響、世界中が受けた喪失感を思えば、崩壊に『品格』も何も、ないんでしょうけどね」
 と、倫理的なひと言も一応つけ加えられる。

 なるほどなるほど、と鈴音は感心し、「今の彼の言葉は是非とも番組で流すべき。舞台での本番前の解説をうまく調整し直して、被らないようにしないと」と、台本を修正すべく、撮影クルーはその場に残して急ぎリハーサル室を後にする。




41.「エニグマ? それとも周知の事実?」に続く...





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