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「オケバトル!」 28. 怪我の功名と砂男の正体


28.怪我の功名と砂男の正体



 Bチームでもやはり誰も指揮をやりたがらなかった。
 ただでさえ、生粋のセンスがさらけ出される曲というのに、Bにおいての指揮者は、どう転んでも脱落一直線の運命なのだから。

「オランピア嬢とワルツまで踊っちゃった彼ならどうだろうか?」
 誰かが提案した。
「あの勇敢なナイトさん?」
「楽器も腕も故障で、自分は脱落なんて決めつけてたけど、タクトならオーケイかも」
「そうですね! ワルツの優雅な足さばきもちゃんと身につけてたから、振るのだっていけますよ」
「彼なら落ちるのも怖がらず引き受けてくれるんじゃないかな」
「むしろトゥッティ陣の悲哀を背負い込んで、潔く落ちたがってたくらいですものね」

 そうだそうだと誰もが賛成するが、リハーサルの開始時刻というのに肝心の本人の姿は見当たらず。
 医務室か、楽器の修理に行ったようだとの証言で、とりあえずはアルファベット順のコンサートマスターによるリードでリハーサルを始めておき、頃合いを見計らって探しに行こう、と話が勝手に決められる。



「アマティに、グァルネリ、ストラドに、なんでもござれとは、すごいなあ!」
 当の浜野亮は、楽器保管室に勢揃いしている名器の数々に大感激していた。
「お前さんの『ガンベル』だって、中々のものじゃないか」
 話に聞いていた例の弦楽器マイスターが、亮のヴァイオリンを丹念に調べながら感心する。
 彼は紛れもなく絃人らを脅かした楽器番の砂男=コッペリウスなのだが、今はしゃれた燕尾服を着込み ── 何故か作業着でなく ── 楽器製作の熟練職人になりきっている。

 ガンベルとは、フランス製ヴァイオリンの銘柄、ガン&ベルナルデルの略称で、イタリア製に多く見られる華やかで明るい音色というよりも、いぶし銀のような深く渋めの音質が特徴である。
 亮の所持するものは、パリ国立音楽院専属の楽器制作者の手による19世紀末の作品で、バイトで貯めた小遣いで入手できたほど値段も比較的手頃であった。四本の弦の根元を支える黒のテールピースに、トレードマークのように白で描かれている可愛いト音記号が、亮はとりわけ気に入っていた。

 マイスターは楽器の内部に魂柱を立てる特殊な器具をf字孔の僅かな隙間から差し込み、微妙な調整を施しては、奇妙な具合に騎士のサーベルのごとく腰に挿している弓をさっと抜いては鳴らしてみる、といったことを幾度か繰り返していたが、ついに完璧な場所を見い出したらしく、持ち主に弾いてみるよう自信満々に促した。
 まず、正確な調弦をするべく開放弦を鳴らした瞬間に、音が違うことに気づいた。はやる気持ちを抑えて半信半疑で調弦を済ませ、音階を軽く流した時点で疑惑は確信に至る。

──これは! 何? 何が起きてるんだ? ──

 チャイコフスキーのバレエ曲の一節を奏でてみる。華麗に駆け巡る魅惑的なオーロラのテーマを、ただ普段どおりにさらりと。それだけなのに、銀色に澄み切った不思議なほどに独特の響き。
 歌が……、僕に鳴らされてるんじゃない。楽器が自ら歌ってる?

「これ、私だわ ── 私が歌ってる!」

 彼女のその言葉に、浜野亮はぞくっと鳥肌が立った。
「ア、アントニエ? それとも、アントニアだったりするの? きみは」


 歌姫であった母親を亡くし、生まれてこの方、会ったことのなかった父親、クレスペル顧問官の元で暮らすことになった少女アントニエは、母親をもしのぐほどの、この世の者の声とは思えないほどの、美しく透明な、うるわしい歌声を持っていた。
 しかし彼女は胸に病を抱えており、歌は自身の寿命を縮めてしまうことが発覚する。
 歌うことも、愛する作曲家と会うことすらも父親によって禁じられたアントニエであったが、ある日、楽器制作もたしなむ父が見つけてきた一挺のヴァイオリンが自分の声そものもと感じ、
「私が歌ってる!」と大喜び。自らが歌わずとも、父がそのヴァイオリンを奏でることで、安らぎと喜びに満たされるのだったが……


 E.T.A.ホフマンの短編小説「クレスペル顧問官」のヒロイン、薄幸の美少女アントニエの物語は、オッフェンバックの歌劇《ホフマン物語》の第三幕 ── 演出によっては第四幕 ──「アントニアの章」でホフマンが語る、忘れがたい永遠の恋人の一人として扱われている。

 先の有出絃人ら同様、浜野亮もまた、この楽器の宝庫で、こうしたホフマン流の怪しげな幻想世界に引き込まれたかのような錯覚に陥ってしまう。しかも今回、犠牲者は心細くもたった一人で、仕掛け人は可愛い共犯者のおまけつき。

「あら、私の名前、知られてしまったじゃない。明日までは秘密だったのに」
 屈託なく、彼女は笑った。
「よくお分りになったこと」
「そりゃあだって、ホフマンの小説におんなじセリフが」
「でも、あなたの楽器、本当に自分が歌ってるみたいに感じちゃったの」
「さすがのマイスター、すごいですよ。こんな響きが出せるなんて! 彼女の声、そのものじゃないですか」
 亮は改めて老人に心からの感謝を述べた。
「私、素敵に歌ったでしょ」
「すごいや。バトルなんて、もうどうでも良くなっちゃった。歌とヴァイオリンで、一緒にデュオでも組みませんか」
「賛成。ダンスも入れたりして」

 やった、役得だ、怪我の功名だ! 憧れの彼女と組めるなんて。と、亮が有頂天になったところで、

「さても──、さても──、さても──」

 マイスターは突然の怒りで人が変わった小説のクレスペル顧問官本人のごとく、歌うように低い声で、恐ろしくゆっくりと不気味な調子で、今後の計画に舞い上がる若い二人に割って入った。
「学生さん? 地獄の鉤爪に引き裂かれてくたばってしまえ、なんて言われたくはないでしょう? 人の好意につけ込んで、こんな風にずけずけと、うちのアントーニアに近づこうというのですか?」

 これってもしかして、バトル参加者イジメの巧妙な罠だったりして? 亮は隠しカメラの存在を確認すべく、疑い深く辺りを見渡した。そして彼こそはクレスペル顧問官なのか。娘を思うあまり、新進音楽家との恋路を引き裂いてしまおうとする。

「オーパったら」
 歌姫がくすくす笑う。
「勇敢なナイトさんを驚かしちゃダメだって」

「オーパ」と言ったな。亮は気づいた。ドイツ語でいうところの「おじいちゃん」。ということは、彼女はマイスターの、実の孫娘なのだろうか。

「ああ良かった。こちらでしたか、マエストロ」
 先輩格であるBのチームメイトがタイミング良く現れた。天の助けとはこのことか。
 マエストロの呼称は当然、楽器職人の老人に向けられたものと思った浜野亮であったが、うやうやしく続く先輩の言葉に、そこはかとなき不安を覚えるのだった。

「リハもたけなわで、皆、あなたをお待ちしてるんですよ」



29.「都会のダンスと田舎のダンス」に続く…




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