「オケバトル!」 62. そうしたことはコンマスの領域
62.そうしたことはコンマスの領域
「まったくBチームは、とんだ騒動を起こしてくれたものだね! 特に仕掛け人の有出絃人くん。きみの発想は本当に型にはまらないんだね!」
審査委員長の長岡幹は、呆れ果ててぶつくさ言ってから、少し声を落ち着けて話を本題に切り替えた。
「では〈ファランドール〉の講評に戻るとしよう。誰もが良く知ってるはずの、こうした有名な曲でも、演奏によってずいぶん違う印象になると、改めて思い知らされたわけでしてね」
それから手元のスコアをパラパラめくる。
「そう。例えばおしまいのとこ。先攻のBチームではパーンと高らかに、晴れやかな効果を発していたフレーズが、今し方のAの演奏では全然聞こえなかったんだよね」
「有出さんは先ほど『新たな音は加えてない』と、おっしゃってましたけど?」
と司会の宮永鈴音。
「これまで何度も聴いて慣れ親しんできた曲なのに、聞こえてなかった音型が聞こえてきたんだが、スコアで確認してみると、これがちゃんと書かれていたんだな」
「つまり音の微妙なバランスで、これまで聞こえなかった、隠された旋律が浮き彫りにされた、ということですね?」
今度はアントーニアが尋ねる。
「そうだね。ないがしろにされがちな音なのか、あるいは、はっきり聞こえずとも、潜在意識レベルに働きかける音なのか……」
長岡は首を傾げてから、舞台に残るAチームに向かって、
「練習番号Pのとこからラストまで、全員でやってみていただけますか」
と指示を出す。
困ったね、何のことだろう? と、舞台上のAチームがパート譜を確認しながら不審の思いで準備を整える間、宮永鈴音が脇のカメラに向かって視聴者向けの解説をこそっと入れる。
「今、長岡さんが『練習番号』と言われましたが、これはリハーサルがスムーズに行えるようにとの目的から、スコアやパート譜の要所要所に記されている記号のことです。これは番号表記の場合と、アルファベット表記とがありますが、いずれの場合でも、『練習記号』ではなく、『練習番号』と、言われる習わしとなっています。アルファベットでも番号? と、少々謎ではありますが」
どうやら今回は負けが見えつつあるAチームであったが、「それでは、いざ!」ということで、浅田の指揮の元、俄然張り切って——— とはいえAチームらしく毅然としたスタイルで ——— ラストの大団円を再演してみせる。
やはり何度聴いても、どんな演奏でも、迫力満点には違いない。自然に沸き起こった拍手が止んだところで、
「なるほどね」長岡委員長がうーむと唸る。
「ここで今度はBにやってもらったら一番分かりやすいんだけど……。じゃあ今度はトランペットの一番以外は音を極力弱くしてPのとこ、八小節だけやってもらえる?」
おや、今度はトランペットの勇壮なメロディーが、はっきり浮き彫りにされたではないか。
「分かったね? つまりBチームでは、これが実に輝かしくはっきり浮き立っていて、何かこう、高らかな主張、啓示のような精神が感じられたんだよ。Aの演奏では、今の今まで分からなかったよね? 名曲であるからこそ、スコアの細部まで音響バランスを配慮したBチーム、それに輝かしいトランペットを聴かせてくれた首席の上之さん、称賛に値しますよ」
深く感動している長岡に対し、
「ああ、申し訳ありませんが、わたくしの手柄では決してありませんので」
客席から、今度は「一喝おやじ」こと上之忠司が慎ましやかに申し出た。
「栄光のラッパを際立たせるべく提案してくれた、有出絃人さんの細やかなアドヴァイスの賜物でして」
「また有出仕掛けというわけですか!」
長岡の声が引きつって裏返った。
「他にも、明らかに曲のイメージまでもが違ってくるような箇所がありましたよね」
長岡が何か叫び出す前に、青井杏香が話を付け足す。
「ラストのラスト、Aチームは今みたいにストレートにわあーっとなだれ込んで、めでたしめでたし大団円という感じでしたが、Bチームは、なだれ込む前に、いったん音量をさっと下げてから、勢いよく盛り返していきましたよね。それこそ、ぞくぞくするするほどの鳥肌ものでした」
「そう! 私も心底感動しちゃいました」
アントーニアも同意する。
「実に効果的な演出と言えるけど、スコアには、そうした細かな指示は載ってない」
長岡が続きを引き取り、半ば諦めたように客席のBの面々に尋ねた。
「それもこれも、やはり指揮者の、有出絃人くんの解釈ということになるんだろうかね?」
これ以上騒がれては身心地も良くないので、絃人はすまして答えた。
「そうしたことは指揮者ではなく、コンマスの領域ですので」
もはや立ち上がりもせず、客席に深く腰掛け腕組みをしたまま、少々無愛想な態度を装いつつ。
「ふうむ。スコアに強弱が記されてないような細かなニュアンスは、コンマスの采配となるわけか」
長岡が感心して言った。
「確かにそうなんですが……」
すかさず別所コンマスが立ち上がる。
いちいちバラさなくていいですから。という絃人からの念もむなしく正直者のコンサートマスターは、あっさり告白してしまう。
「それもこれも指揮の有出さんからの、『ここで身をかがめて』といった指示があってのものでして」
「ああもうっ。有出くん抜きでは話にならんのだね!」
長岡がかんしゃくを起こし、他の審査員陣やスタッフらも妙に納得してしまう。つまり彼は指揮だけでなく、コンマスの領域にまで口出しをしているということか。これでは彼が導くチームが勝利するわけだ。
一方両チームの参加者らは、しかし複雑ではあった。ただ淡々と楽曲を仕上げてるだけのはずのに、彼の手腕ばかりが否応なしに浮き彫りとなり、いちいち注目されてしまうのだから。
「今、この場で有出くんにオケマイスターの称号を授けた上で、彼にはさっさと抜けてもらって、その上で、二番手のマイスターを審査する方がいいような気がしてきたよ」
審査委員長が半ば諦めたように言った。
「そのほうが公平かもしれませんねえ」
と、司会の鈴音もため息をつきながら同情する。審査員陣にも、他の参加者らにも。
まったく。だからやたら表舞台に立ちたくなかったんだ。当の絃人も困惑するばかり。だけど自分がやってることは必要最低限のレベルで、大したことないはずなんだけどな。コンマスへの提案だって、その前に、演奏しながら身体を無駄に動かすの動かさないだのといった論争があってこその、前もって説明することなしに「身をかがませよ」の提案だったことなど、この場でわざわざ説明する必要もなかろうし、自分にとって初共演となるBの面々が、どの程度コンサートマスターの合図に即応できるか実力を試すため、といった思惑もあったなんて、言えるわけがない。
なので、この場では問題をすり替えるのが最善かも知れなかろう、ということで絃人は「ちょっと、よろしいですか?」と立ち上がり、今しがたの演出についての自らの説明で、一同の視点をそらす方向に流れを持っていくことにする。
「ラストの音量の変化について、視聴者の方々のためにも説明を加えておきたいんです」
絃人の声はマイクなしでも良くとおるが、長き演説となると話は別。客席を駆け上がってきたスタッフからマイクを受け取り、再び丁寧に話し始める。
「実を言いますと、こうした仕掛けを指揮者が率先して行うと、ともすればスコアを書き換えるニュアンスになりかねないんですよ。なので、コンサートマスターの別所さんに託したわけであって、僕が何も言わなくても、その場をどう流すかは、彼が判断されたはずなんです。ただ、先に自分が提案したというだけで。
音量をいったん落とすか、落とさないか。
Aチームのように、ラストのあの場で殆ど変化なしで素直にいく演奏は、この曲が生まれたフランスなど、どちらかというと西側諸国の洗練された演奏が好まれる地域ではふさわしいスタイルですよね。Aチームらしい正統派の。
逆にロシア方面や東欧といった、アクセントの強い民族的な音楽が根付いている地域や、我が国やアメリカのように、明確で分かりやすいクラシック音楽が求められている国などでは、Bの僕らがやったように、いったん落として盛り上げるといったメリハリ演出は印象深い効果をもたらす。
どちらが良いとか優れてるとかでなく、例えばこの番組ではクラシック通の方もいれば、〈ファランドール〉という曲にあまりなじみがない子どもたちとか、様々な視聴者を対象としているのですから、洗練されたAスタイルとメリハリのBスタイル、どちらがあってもいいと思うんです。クラシック音楽をより分かりやすく親しみやすい形で一般に広めていくのが主旨のこうした番組では、尚更しっかり伝える姿勢も必要なんじゃないですか?
面白おかしいトークや凝った演出といった小細工で聴衆を引きつけたって、音楽の真の素晴らしさは伝わらない、どころか、音楽会ってそういう楽しいものなんだと、逆に聴衆の認識を狭めてしまいかねない。音楽をより正しい形で伝えて行くには、まずは演奏ありき。演出は、あくまでも楽曲を引き立てる効果があればの話。
僕たちの演奏スタイルが異なるのは単なる解釈の相違であって、こちらに都合の良いよう譜面を書き換えてるわけじゃないですし。元のスコアは同じでも、時代や状況によって、楽曲の魅力が最大限に活かされよう配慮することも、演奏家には必要ですので」
いったん話を区切り、あとひとつだけと、ついでに審査員らにも注文をつけておく。
「栄光の響きだとか、強弱のメリハリが鳥肌ものだったとか、そうした部分部分に注目するばかりでなく、全体の流れやまとまり、音響バランスが最適だからこそ、作曲者の意図が ── 今回の場合はギローの意図するところですが ──、明確に伝わってくる。といった視点に重きを置いて審査していただきたいんですよね」
「おっと、きみは審査方法にも物申す、というのかね」
審査委員長が、なんて失礼な! と言わんばかりに呆れてのけぞってみせるが、絃人は構わずに続けた。
「でないと、奇抜な演出や派手なパフォーマンスの方が審査員受けするといった、誤った認識が、下手したら奏者の間にも視聴者にも浸透しかねないですから」
ともすれば、今度は古巣のAチームをかばっているかのようにも聞こえてしまう絃人の発言である。
「そうしたことを我々が念頭に置いてないと思われているとは心外だね! いっそのこと、きみに審査員席に座ってもらいましょうか」
そう言ってむくれる審査委員長の意地悪な言葉を受けて、宮永鈴音が司会者の責務として緊迫の空気を少しでも和らげるべく、そうですわ! と、半ば冗談で面白い提案を持ちかけた。
「どうでしょう? 今後、バトラーの方々にも交代で審査員陣に加わっていただく、というのは」
「私は辛辣な皮肉のつもりで言ったんだが」
「自分たちを自ら審査するとなると、どんな展開になりゆくでしょうね」
鈴音はすまして言った。思いつきで勝手ばかり言う審査委員長を少々やり込めるべく。
「面白いじゃないか。自分たちの演奏を自ら評価する。最初のうちは仲間を評価し、互いにかばい合いつつも、言葉の応酬が繰り広げられる裁判のように、やがては隠された本心や恐ろしい本性がむき出しになってくる。これこそが過激なバトルじゃないか」
そもそもこのバトルシリーズは、参加者をフェアに競わせるだけでなく、醜い争いをさせるのも売りなのだ。まあ最終的には涙ながらの励まし合いや深き友情といった、情に訴える方向に主題をまとめゆくのだが。そこに行き着くまでの過程が激しいほど、大団円も感動ものになるというわけさ。ふっふっふ、と長岡は内心ほくそ笑む。
皆さん? この先、こうした過激な罠が待ち構えているとなると、油断も禁物ですね。といった言葉を軽く言うべきか、言い出しっぺの鈴音もすっかり困ってしまう。
「まあ、そうした状況が訪れないですむよう、混乱を招く言動は君たちも慎んでくれたまえ」
気を取り直し、えへん、とすまして長岡は続けた。
「有出くんの危惧するところの、奇抜な演出や派手なパフォーマンスだって、大いに結構。それで音楽本来の魅力が損なわれさえしなければ。これは普通の演奏会でなく、あくまでもバトルなんだからね」
「ですが、受け狙いや点数稼ぎが高じて、楽曲をより良い形で世間一般に知らしめるという番組の根底の主旨から外れてしまう危険は避けたいですよね」
と、青井杏香がやんわり忠告する。
「そのために貴女に、つまり青井杏香大先生に、物語を読み解くような趣のある、丁寧かつ的確な楽曲解説を用意していただき、宮永鈴音くんの素敵なMCで紹介してもらってるんじゃないですか。その上で、演奏を聴いて楽曲そのものや作曲家、あるいは楽器各々に興味をもった視聴者が、自分たちの音楽世界を広げていってくれれば良いのだよ。アート世界の紹介というこれまでのシリーズも、過激なバトルという形式を選択することで、視聴者にまず興味を持って楽しんでもらう目的で続けてきたのだからね。そこから先、踏み込んでゆくのは視聴者に委ねられるわけですよ」
「加えて出演者に人気が出て、名も知れなかったアーティストの活躍の場が増えていく、というのも番組出演の利点ですよね?」
と司会が話を引き継ぐ。
「隠れた才能の発掘だけでなく、癖のあるキャラクターやちょいワルの嫌われ役が、意外と視聴者受けしたり」
「ダントツの人気者以外にも、しょっぱなから名も知れずに脱落していった者や、殆ど目立つことのない脇役にも、必ずといって良いほどファンがつくから不思議なんだ」
と言って長岡もうなずき、杏香が話をまとめていく。
「とどのつまりは、芸術を表現しようとするアーティストって、誰もが魅力的なオーラを放ってるってことじゃないですか。加えてバトルという過酷な状況に置かれているから尚更、視聴者は参加者に同情して応援したくなる」
「そうですね! 過酷なバトルなんですものね!」
話の流れを元に戻す機会を覗っていた司会が明るく言う。
「話が大分あちらこちらへ脱線してしまいましたが、今回の勝敗はどうなるのでしょうか?」
「ともかく、これがチーム戦のバトルである以上、勝敗は決めないと話にならないのでね」
長岡が、では採決をということで、
「私はBの貫禄勝ちに」
「Aチームも素敵でしたけど、やはり印象の強さでは圧倒的にBですね」
と青井杏香。
「確かに先攻Bチームの方が鮮烈すぎて、正直なところAチームはピンとこなかった感はありますね。なので私もBに」
アントーニアも同意見。
「しかも勢いや迫力がありながら、格調も高く気品が感じられる演奏でしたし」
勝利が判明するも、有出絃人引き抜き作戦が功を奏しすぎ、釈然としない雰囲気も手伝って、歓声を上げて祝う最適のタイミングも逃してしまうBチームであったが、新たな方向性が見い出せたことには感謝する。
舞台に残るAチームは、何だかライバルチームにひどいズルをされたようで、悔しがるのも悔しい気分。しかもこれから二名の脱落者を選出せねばならないときた。
演奏ではあんなに盛り上がったのに、どことなくしらけてしまった感が拭えないこの場面をどう取り繕うかと、司会の鈴音が気の利いた言葉を探していると、長岡委員長がまた思いつきの提案を持ち出した。
「今回の〈ファランドール〉を、番組のテーマ曲にしたいねえ!」
「え? テーマ曲は〈レ・プレリュード〉だったはずでは?」
司会がきょとんと尋ねる。
「初日にわざわざ撮り直しだって、しましたよね?」
プロデューサーの気分でそれが無駄になるなんて、いくら長岡氏でもひどすぎまいか。
「それはオープニングテーマ。今回のはエンディング用に」
さらりと言ってのける長岡。
「エンディングは心が落ち着く静かな曲にするんじゃなかったですか?」
今度は青井杏香が彼の気まぐれに釘を刺すも、ぴったりのテーマ曲をあれやこれやイメージを膨らませながら、ずっと考え続けてたんですけどねえ、といった内輪もめ的な発言は控えておく。
「いや、やはりバトルの緊迫感や参加アーティストらの底知れぬエネルギーを強調するような、勢いのある派手な音楽がいい。〈ファランドール〉のクライマックス、Bチームの演奏はエンディングにぴったりじゃないか」
そして今回は撮影済みの音源がそのまま使えるだろうということで、追加収録はなされない。オープニングはAチームの演奏で、締めはBチームというのも公平な配慮でちょうど良いのかも、と納得する一同であったが、「彼」以外の誰もがある事実に気づいてしまう。
いずれの演奏も、指揮は有出絃人氏なんですよね……。
63.「遥かな血筋と、呪いのベッド」に続く...
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