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「オケバトル!」 38. ひとたびタクトを握るからには


38.ひとたびタクトを握るからには



 アントーニアさんったら! 
 なんてこと言い出すんでしょう!

「指揮者の取っ替えっこ? そりゃ面白い!」
 審査委員長の長岡幹が手を叩いて大喜び。
 青井杏香は脇で青ざめている。
 しかし責任を負うべきは、有出絃人と浜野亮の両指揮者なのだ。有出は自分がどうすべきか、はなから決めていたが、素直で無垢すぎる浜野のほうは、どうしたものかと頭がぐるぐるしてしまう。

「Bチームは舞台に残ってるから、ちょうどいいね」
 と長岡。
「続けざまの本番になるが、まあ頑張ってくれたまえ」
 事態を受け入れらず呆然とするBの面々をよそに、スタッフがあたふたと慌て始める中、
「リハーサルは、されないのですか?」
 司会の宮永鈴音だけは冷静に、時間稼ぎも兼ねての質問をする。
「もちろんナシだよ。タイプの異なる指揮者の要求に、ぶっつけ本番でも臨機応変に反応できるかどうか? ってとこなんかも、見ものだしね」
「Aの皆さんは、このまま客席に残って聴いていて構わないですか?」
 司会による更なる確認に、長岡は、
「いや、今回は互いの見学はナシとしよう」
 杏香が状況を整理してみる。
「ですが既にAチームは、今しがたBの演奏を聴いてますでしょう? 浜野さんがどう振るか、大方把握できてるわけですが、後攻だったBはAの演奏を聴いておらず、有出さんの解釈も知らないままって、フェアでないのでは?」
「規制のない場合、両者の見学は自由。というルールがあるだろう。Bが自らの意思でAを聴かなかったのだから、同情の必要はないよ」
「それはどうでしょう」
 杏香が食い下がる。
「これまでもそうだったように、後攻のチームは敵情視察どころではなくて、出番の時間ギリギリまでリハ室にこもって演奏の質を高めたいでしょうし、本番前にライバルチームの演奏なんて聴くべきでないと思うんですよ。影響されたくもないでしょうし」
「バトルなんだからね」
 と、強気の長岡。
「いかにルールを上手く利用するか、といったところも、生き残りの知恵。先攻だろうが後攻だろうが、同情の余地はないよ」

 レギュラー審査員の二人が互いに譲りそうもなく話が堂々巡りになりそうな流れに、やむなく有出絃人が客席後方から立ち上がり、
「すみませんが、議論なさるだけ無駄ですよ」
 前置きしてから、今度は彼が爆弾発言でさらっと決定打を下す。

「僕、振りませんから」

「え? なんと言った?」
 長岡が、我が耳を疑うように憮然と聞き返す。マイクを使用せずともホール全体に響き渡った絃人の声ははっきり聞こえたし、その言葉の意味するところも彼の意思も、しっかり伝わってはいたのだが。この期に及んで審査側のアイディアを平然と拒絶するとは何たることか。しかも、「できれば振りたくないのですが……、振らなくてもよろしいでしょうか」ではなくて、いきなり「振りません」と、くるとは。

「有出くん? きみねえ、自分の立場を分かっていないようだがね」
 恐れ知らずの若造をたしなめるような凄みのきいたゆっくり口調の長岡。
「課題曲を指揮した者の義務としてでだね、有出くんと浜野くんには、再審査のためのチームを変えての指揮は、これ、義務なんだよね。本人に、選択の余地はないのだよ」

 まずい。まずいぞ。長岡が怒っている。と、彼の命令には常に絶対服従のスタッフらが事の成りゆきに震え上がる。有出さん、これ以上何も言わないでくださいよ、と皆が必死の念を送る。

「自分の立場は分かってます」
 絃人がきっぱり告げる。
「一介のバトラーとしてではなく、今は己の所属するチーム、つまりAチームを勝利に導くために、まとめ役としての指揮を務め、その上で、楽曲を最善の形で視聴者に送り届けるのが自分の義務だと」
「Bでは楽曲を最善の形で視聴者に送り届けることができないと、きみは言うんだね?」
「理屈をねじ曲げて捉えないでください」
 むしろ逆ですよ。と言う言葉を絃人は呑み込んだ。従順で優秀、反応もいいサラブレッド的なAの仲間の演奏よりも、各々が秘めたる能力を持ち、何が起こるか分からない荒馬Bのほうが、実のところは、より素晴らしい音楽を生み出せる可能性が高そうだ、ということに絃人は気づいていた。彼らが素直に自分に応えてくれれば、の話ではあったのだが。

 そつなく無難にまとまる器用なA。

 大破綻するか、逆に奇跡が起こり得るB。

 しかし今この場で「自分が振りさえすれば、Bのほうがより良い演奏を導き出せそうだ」なんて発言は控えねば。ともすれば、Bのほうが優れたオーケストラだと誤解されかねない。絃人は慎重に言葉を選んで続けた。
「自分はこの曲で最善を尽くしたわけですが、仮にBチームを振るとして、更に良い演奏を目指そうなんて行為は、僕の要望に精一杯応えてくれたAの仲間を裏切ることになる。だけど、ひとたびタクトをとるからには、どんな状況であれ全力を注ぐのが音楽家の使命というもの。つまり、己の主義にも反する矛盾した行動はとれない、ということです」

 絃人のかたくなさに、長岡は憮然と言い放った。
「ならば、きみにはここで脱落してもらうしかないか」

 ええーっ? そりゃないでしょう! と客席のAチームから悲鳴と、審査委員長に対しての一斉抗議の声が上がる。中には、オケマイスター最有力候補者の脱落の危機に、やった! 最大のライバルが消えるぞ! と、内心喜ぶ者も少なからずいたのだが、そうした思惑は当然ひた隠しにされる。

「それなら、僕も同じです!」
 舞台の隅に控えめに佇んでいた浜野亮が手を上げる。

 指揮者交代の話が出た時点では、Aチームも振れるのか? 振ってみたい。よし、振るぞ! と、素直に己をヤル気モードへと導いていった亮。その時点ではAを振ろうとBを振ろうと自分の指揮が、かのスーパーヒーロー有出絃人に勝てるなんて考えは、よぎりもしない。なので、そうした行為が仲間のBを裏切ることにつながるなんて、思いもよらなかったのだ。しかしチームメイトのために有出氏が脱落宣告を受けるのなら、同様の立場である自分だって当然、彼の道連れとなりゆくべきなのだ。

「断固として、僕もライバルチームを振ることを拒絶します。そのための脱落の処罰もいといません。音楽家としての筋を貫きます」

 勇気ある青年の姿勢を讃える静かな拍手が、両チームから自然とわき起こる。

 長岡が何かわめき始める前にと、舞台上のBチーム、「鶴の一声ラッパおやじ」こと上之忠司が立ち上がって宣言した。
「我々Bチームにおいても同様に、ライバルチームのメンバーによる指揮を拒絶します」

 我々って? おやっさん、勝手に決めないでくださいよ。なんて思う者は、Bの仲間には殆どいなかった。皆が拍手で賛同の意を表する。

「なら、Bは全員脱落になるのかね?」
 との長岡の冷酷な脅迫に、
「Aチームも同じです。有出さんの元、一丸となって力を尽くしたんです。Bの指揮者で再演を試されるなんて納得いきません。断固として拒否します」
 と言う白城貴明を筆頭に、
「そうです!」
 ここぞとばかりに立ち上がる山岸よしえ。
「そんな理由ごときで指揮者の二人が脱落なら、私たちみんなも道連れにすればいい」
 そうだそうだと、こぶしを上げるAの面々。

「分かった。分かった」
 長岡は皮肉めいた笑みを浮かべて続けた。
「このアクシデントで、参加者は一気に数人に減って、審査も助かるわけだ。今、仲間の勢いに賛同しない者もいただろう? カメラはしっかり捉えていたから、そうした者は生き残れるよ。良かったね。審査員に逆らった仲間のほぼ全員が脱落して、自分だけは残れるんだから」

 裏切り者として名乗りを上げれば勝ち残れる? まさか。そんな行為は人道に反する。できるわけないよ。と腹を据えている者もいれば、一瞬、迷う者も少なからずいた。冷酷に残る者こそが、真の奏者として、プロフェッショナルな音楽家としての資質がある、ということになるのではないかと。

「えっと、手を上げてもらえるかな?」
 容赦なく、長岡がたたみかける。
「自分は見せかけ連帯主義の巻き添えになんて、なりませんよって言う者は──」
「ちょっと待ってください」
 絃人が呆れた口調で遮った。
「僕が振らなければ、そもそも指揮者交代の審査は成り立たないのだから、Bの浜野さんが辞める必要も、皆が脱落することもないはず。犠牲者は僕一人で充分でしょう」
 痛烈な皮肉をつけ加えるのも忘れない。
「審査員の無謀な注文を受け入れなかった者として」
 お偉い制作者にして審査委員長の怒りの矛先を自分だけに向けるのが、絃人の狙い。

 さあ、長岡幹がどう出るか。

 どのタイミングで、どう口を挟むべきか必死で考えを巡らせていた宮永鈴音には、長岡の横暴ぶりを非難すべくの客観的意見があったとしても、異議を申し立てる発言権など司会にはないので、どうしようもない。
 言い出しっぺのアントーニアは、もうどうして良いか分からず、泣き出さんばかりにおろおろ。隣の青井杏香にすがるような目で訴える。
 混乱事態の収拾を図れそうな立場にいるのは杏香のみ。そうした自分の役割を彼女はしっかりわきまえており、ファンタジーの作家でもあるらしく実に巧妙に、トンデモ展開のつじつまを合わせてしまう。

「皆さん、実にお見事でした」
 優雅に微笑んで、まずはゆっくりと大きな拍手を一同に送る。
「裏審査の対象として、指揮者の二人がターゲットにされたにもかかわらず、チームメイトまでが騎士道精神を発揮してくださるとは、私たち、思いもよりませんでしたわ」

 何? 裏審査だって? 意味が分からず唖然とする一同。

「ライバルチームを振るよう指示がなされた場合、音楽家の好奇心としては当然、興味を惹かれるでしょう? 指揮者のお二人が従順に命令に従って最善を尽くす、つまり簡単に仲間を裏切ろうとするか、もしくは支離滅裂な指揮でライバルチームを破滅に追いやろうとするか、どう出るか見たかったんです。ああでも、拒絶は想定外でしたね」

 この流れは、すべて罠だった? 劇場内に疑問と安堵と怒りの空気が渦巻いていく。

「油断しちゃ、いけないですよ皆さん」
 司会も杏香に調子を合わせて機転を利かせ、一同を落ち着かせようと試みる。
「これはチーム戦ながらも、既に『オケマイスター』に向けての個人審査も平行して行われてるんですからね。そしてこれはバトル、生き残りをかけた大バトルなんです。どこにどんな仕掛けが張り巡らされるか予測もつかない。だからこそ、オケ人に必要不可欠な人間性も、こうして折に触れて試されるわけなんです」
 そこまで言って、鈴音は審査員席に向かって明るい声で確認する。
「脱落を覚悟の上で、仲間どうしでかばい合う姿には、胸を打たれましたよねえ。そうした意味では、この審査、皆が合格と言って良いですね?」
 長岡は、本気の本気で、ほぼ全員をこの場で脱落させようとしていたので、
「いや、しかし……」
 と言いかけて、隣の杏香にこっそり足を蹴飛ばされ、しぶしぶ同意。
「ああ。そうだね」と、ぼそり。しかし合点がいかない部分については冷酷に言い渡す。
「仲間の危機に対して何ら反応もせず、我関せずの態度をとっていた者が僅かに数人、両チームにいたよね。今回、演奏に関しては、またしても引き分けとするが──」
「それよりも両チームの勝利、ですよ!」
 と杏香。
「そうですわ! それしかないですね」
 アントーニアも心底ほっとして手を叩く。
「ああ、そうでもいいね。しかし今回は脱落者、ちゃんと出すからね。冷酷に仲間を見捨てようとしていた者ね。審査員とスタッフで映像を念入りにチェックして、問答無用で脱落とするから」
 卑怯者に八つ当たりをすることで、長岡は自身の怒りを回避した。

 その上で彼は改めて思い知る。
 こちらのかんしゃくから生じた最悪の成り行きから一転、実に巧みに問題をすり替えた彼女の手腕。潤滑剤の青井杏香は、やはりこのバトルに必要な存在であったか。
 我ながら最高の人選をしたものじゃないか。
 と、持ち前のふてぶてしさで己の失態は脇に追いやり、彼女を審査員に推した自分の眼力を褒めてやるのだった。




39.「否応なしに仕切らされ」に続く...





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