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「オケバトル!」 61. やった者勝ちの、あり得ぬ特典

61. やった者勝ちの、あり得ぬ特典




「何が違うんだね?」
 女神レベルの名演絶賛を悲しげに否定するフルートの紺埜怜美に対し、審査委員長の長岡が不審そうに言った。
「間違いなく貴女の実力なんだから、素直に認めればいいんですよ」
「全然、認められたものじゃないんです」
 自分でも、どこから話していいのやら分からない怜美さんに、周囲の仲間は、頼むから座ってください、余計なこと言う必要なんてないんですから、と必死で懇願する。
「つまり、その、私でなくて、有出さんのアドバイスがあってこその、ああした音楽で……」
 あーあ、言っちゃったか。と、落胆するBの仲間たちをよそに、彼女は続けた。
「きっと、星原くんにも彼がついたら、私なんかより遙かに優れた音楽が生まれてたはず。だから、自分の実力なんかじゃ、ないんです。これがフルート対決って視点で審査されるのだとしたら、こんな評価はフェアじゃないですもの」
 それだけ言って、もはやいたたまれなくなった彼女は客席サイドのドアから逃げ去ってしまう。仲間の誰かが後を追おうとしたが、客席に残っていた施設スタッフの三人が、王妃を守る銃士隊のごとく颯爽と彼女に続いて出ていったので、この場は彼らに任せることにする。

 もうファンがいるとは。しかも熱烈なファンが! と、呆れつつも感心する会場の面々。

「いったい何なんだね!」
 驚き憤慨する長岡であったが、気を取り直して話をまとめにかかる。
「何だかAに移籍の星原くんは貧乏くじを引いてしまった感がなくもないが、いずれにせよ、裏の事情がどうあれ、本番の舞台では奏者本人の実力として評価されるので、参加の皆さんも、そこんとこご理解願いますよ」

 もはや、フルート対決の結果を聞くのもナンセンス、と、司会の宮永鈴音は次の〈ファランドール〉についての講評を審査員に促した。
「まず、まず、まず!」
 待ってましたとばかりの長岡委員長。
「いったい全体、どこからああした発想が生まれるんだね? 番組のゲストとして、我々がお願いして参加していただいているエキストラの方々を、予定外の舞台に勝手に乗せてしまうとなんて!」

 え? エキストラを勝手に乗せるって?
 まさか、Bの奴ら〈ファランドール〉でもエキストラの二人に参加してもらったと?
 そんなのズルいし、あり得ないー!
 後攻で、Bチームの演奏を知らないAチームの面々はびっくり仰天して悔しがるも、パートの足りないBにとっての苦肉の策で、そうしたトンデモ発想は常識にとらわれないあの有出さんなら、いかにも思いつきかねないだろうと、妙に納得もしてしまう。

「失礼、その件は自分が言い出したんです」
 有出絃人が客席から名乗り出た。こうしたことは、いつもの流れ。
「仲間の賛同を得る前に、自分勝手なその場の思いつきで。当然、全責任は僕に。編成にない楽器を加えたわけですから反則かも知れませんが、スコアに記されてない新たな音を書き加えたわけではありませんし、これがバトルである以上、やったもん勝ちみたいなとこもあるのでは? エキストラの協力を仰いではいけないっていう決まりも、通達されてませんよね?」
 第一、明らかなルール違反だとしたら、舞台リハの様子は関係者の見守る中で収録されてたんだから、スタッフが待ったをかけるべきでしょ? とも、絃人は続けたかったが、暗黙してくれたスタッフ陣が責めを負いかねない発言は控えることに。
 一気に理屈を並び立てゆく、今やBチームのリーダー有出に対し、長岡が頭をフル回転させ反論の隙を突けそうな理由を思案していると、
「それではここで、改めてご紹介致しましょう!」
 と、司会が一同に注目を促した。
「話題の主であられる、今回のエキストラのお二方です」

「オーケストラ七不思議」のひとつに、「演奏終えたら、猛ダッシュ」というものがある。
 こうした番組に参加のため、長期間に渡って仲間と寝食を共にする特異な例は別として、プロオケメンバーの殆どは、本番後でもリハーサル後でも解散となるや、すぐさま楽器をケースにしまい込み ── 必要なら着替えを済ませ ──、楽屋の私物をひっつかむや、各々が電光石火のごとく会場を後にする。徒歩から電車やバスに乗り込むにせよ、車にせよ。
 言いそびれたひと言を伝えるべく指揮者が担当奏者を探そうとしても、光速移動の彼らに追いつくことなど出来やしない。演奏に集中した後は気の合う仲間どうしつるんで一杯ひっかけ、ほっとひと息……、といったアマオケに多く見られる楽しい流れよりも、各人が瞬時にして一人の世界に、あるいは恋人や家族と過ごすプライベートな時間に戻ってゆくのである。
「オケバトル!」参加のエキストラ陣もそうした例に漏れず、バトル後の審査員による講評も勝敗の結果も聞くこともなく、我関せずで退散する習わしだ。
 今回も後攻Aチームの出番を、一曲目の〈メヌエット〉だけで終えたサキソフォンとハープの二人は、続く〈ファランドール〉の始まる前に舞台からさっと抜けており、その後の演奏を聴くこともなく自室に引き上げるところであったが、どうやらエキストラ陣を巡っての一波乱がありそうということで、ステージマネージャーから、「袖で待機」の依頼がかかっていた。

 下手から控えめに姿を見せた二人を、鈴音がどうぞどうぞと、舞台中央へ誘導する。
「ハープの末松沙織さんは、皆さんも既に何度か共演されてお馴染みですよね! そして今回初登場のサキソフォン奏者の山田晃(あきら)さんです」
 拍手が止まぬうちに、山田氏が、
「まず、申し上げたいことが」
 と発言の許可を求めた。
 司会からマイクを渡されるや、こうした有意義なバトルに参加の機会を与えて下さったことに、心から感謝致します。と丁寧に礼を述べた上で本題に入る。
「実は我々、Bチームの皆さんから参加を依頼されたわけではないんです」
 Bチームを、そして有出絃人をかばうかのようなエキストラ氏の意外な発言。
 訳が分からない。だって有出さんが思いついて頼んだんだよね? と、当のBチーム一同も首を傾げる。
「有出氏からは、番組との契約上の問題がなく、続くAチームにおける演奏に支障が及ばずして〈ファランドール〉にも加わることは可能かどうか尋ねられただけでして」

 恐らく長岡の怒りの言葉を袖で聞いていたのだろう。確かに絃人は「可能かであるか」、「足りない音を補っていただけると助かる」といった言いようをしただけで、「お願いします」とは、はっきり口にしていなかった。しかし事実上は依頼したも同然なのだから、サキソフォン氏のこうした発言は、今やこのバトル特有ともなっている「とんだへりくつ」に他ならない。

「つまり自分もハープの末松さんも、『どうでしょうか?』と問われ、『何の問題もないし大丈夫』と、自ら次の曲にも乗ることを決めたんですから、Bの皆さんが責められる筋はないと思いますよ。さきほど有出さんも言われたように、このバトル番組って、結局は『やった者勝ち』なのでしょう? 対抗するAチームからは、そうした打診は一切なかったんですから」
 意見するついでに、せっかく軽井沢くんだりまで来たんだし、ひとつ前の〈ボレロ〉にも参加したかったな、という愚痴も述べておきたがったが、ここは控えておくことにする。番組側からは、「スケジュール的にも、サキソフォンが活躍する〈ボレロ〉でも参加していただきたかったのは山々とはいえ、『足りない楽器の音色をいかに工夫して補うか』といったことも〈ボレロ〉における審査の重要なポイントとなるため、今回は一曲のみ、ということで」と告げられていたわけなので。

 企画の段階で課題曲や演奏順を決めるにあたっては、エキストラが彼らの活動拠点とバトル開催地とを行ったり来たりする羽目になるといった配慮なんて、いちいちなされない。無駄な交通費や宿泊費がかかって経理担当を泣かせようと、審査員陣やディレクターを主とする番組幹部は知ったこっちゃない。あくまで番組制作の効果を狙って周到に計算されての選曲、曲順なのだから。

「そうなんです」
 次いでハープ奏者もおっとり優しい口調で説明を添える。
「私たちエキストラは番組との契約の時点で、『バトル参加者からの予定外の要求には、各自の判断にお任せします』と言われてましたので、こうした要求の可能性も、当初から予測されてたわけですよね? そんな抜け駆けは許されないといった厳しい制約があるのでしたら、私たちも契約違反になってしまうので、最初からお断りしてますもの」
 なるほどなるほど、と感心しながら二人の意見を聞いていた宮永鈴音が事実を確認する。
「つまりこうした事例は番組の企画段階で、前もって想定されていたということなんですね?」
 長岡氏の矛盾をやり込める流れになってしまわぬよう注意を払いながら、あくまでも明るい口調で。
「そうですよ!」青井杏香が調子を合わせる。
「突飛な発想を思いついた者勝ち、やった者勝ちですわ!」
「さすが絃人さん! Bチームの皆さんは、彼を引き抜いた価値をこうして早くも見いだせたわけですね」
 と、アントーニアも手を叩く。
「分かりましたよ」
 長岡が渋々折れた。大切なゲストであるエキストラにここまで言われてしまっては、もはや引っ込みもつかないのだ。
「しかし今後は、出演予定外の曲にエキストラを勝手に乗せてしまうといった抜け駆け作戦なんて、認めませんからね。今回はBがやったもん勝ちだとして、これからも両チームが同様の依頼をしてしまっては、こちらが周到に計画したバトルが面倒な事態に陥るだけだから。エキストラへの注文は、あくまでも演奏面においてのみ、ということで」
 それから彼は胸元のマイクをオフにして杏香にこそっと言った。
「彼、いいね。あのサックス奏者。そのうちゲスト審査員として来てもらえないかな」
「審査員、未定の期間もありますものね」
 杏香も小声で賛同する。
「これまで、エキストラ陣は黙って参加して、黙って去るパターンでしたけど、これでエキストラにも視聴者の注目がいくようになりそうですね」
「本来は注目を浴びない存在でありながら、ああした真っ直ぐな意見を堂々と述べられる方って、バトルには貴重ですよね」
 とのアントーニアの素直な感想に、
 長岡が、そうか! と大げさに手を叩き、
「サックスの、えっと山田さんでしたよね」
 マイクをオンにして問いかけた。
「たった今から、バトラーとして参加する気はないですかね?」
 本人も含めたその場の全員がびっくり仰天。
「このバトル、今回のバトルにですか?」
 気を取り直して司会が長岡に確認する。
「途中参加ってことですか? あり得るんですか?」
「これまでの五日間分のポイントが加算されないといった、多少の不利は生じるかも知れないが、ボーナス得点は出そうじゃないか」
 長岡は意気込みつつ、
「ちなみにハープの末松さんね、彼女にはバトル開始のずっと前に参加の打診をしたんだがね、『ハープどうしで競い合う状況は避けたい』とのことで清く辞退されたんですよ」
 と、補足する。

 やはり公募により選出された者以外にも、こうして個人的に引き抜かれるケースもあったのだろうか。そうした者こそが、番組側からの回し者として我々の動向を見張っているのかも知れない。公開されているオーディション時の映像なんて、いくらでも偽造できるのだろうし。と、新たな疑惑がバトラーの中に芽生えていく。

「ですがサキソフォン奏者は、ここにはお一人だけですよね? 両チームに配属になるのなら、当然もう一名、必要ですよね?」
「いいや、追加の手配などしませんよ」
 司会の疑問に対して、長岡はすまして答えた。
「やったもん勝ちの特典なんだから、もちろんBチームに差し上げますよ」

 ええっ? そんなのひどすぎるし、フェアじゃない! 第一、差し上げるって何よ。人身売買じゃあるまいし。
 騒ぎ出すAチームであったが、Bのほうも、どう考えても無理がある。どうせ実現するわけがないだろうと、長岡の突飛な思いつきを素直には受け入れられず。誰だってぬか喜びなどしたくないのだ。
 最初のうちは、Bチームの策略でエキストラが勝手に使われたことに驚き憤慨していたにも関わらず、サキソフォン奏者の気さくな物腰が気に入り、今度は手のひらを返したように彼をBチームに進呈しようとする審査委員長の気まぐれな態度。あきれ果てた青井杏香が、諭すようにそっと言った。
「ですが、サックスが入る曲、この先しばらくはないですよ」
 課題曲のヒントにならぬよう、マイクはオフのままで。
「当面はパーカッションとか、違う楽器で乗ってもらうことになるわけですか?」
 途中参加なんて混乱を招くだけだし、あり得ないでしょ。その場に居合わせた長岡以外のスタッフの誰もが案じるが、しかしながら「あり得ない展開」こそが、このバトル番組の醍醐味でもあるのだ。

「あの~、すみません」
 そこで当の本人がすまなさそうに申し出た。
「せっかくの光栄かつ実に嬉しいお誘いですが、残念ながら当面はキャンセル不可能な仕事が入っておりまして……」
 ああ、それはザンネン! と、惜しがりつつも、多くの者が内心ほっとする。
「ですが、大変魅力的な皆さんと、またお会いできる機会がありますよう期待していますので」
 実は彼はこの先も何曲か、エキストラとしての出演契約がなされているのだが、再会の約束を今、この場で告げてしまうと今後の課題曲を知られかねない。少々曖昧に言葉を濁しておくのだった。
「そうですね。お忙しいスケジュールの合間をぬって賛助出演してくださったんですものね」
 心から安堵しながら、司会が言った。
 エキストラを舞台で紹介する演出は、司会の宮永鈴音とステマネ岩谷氏との独断による予定外のアイディアだったので、収録時間をあまり無駄に割くことはできないし、長岡の口からトンデモアイディアがこれ以上飛び出す前に、司会としては話をさっさと切り上げておきたかった。まだ課題曲への講評は続くのだから。
 鈴音はエキストラの二人に対し、Bの責任云々に関する貴重な口添えの礼と、再会の期待を込めた言葉をかけた上で丁寧にねぎらいながら皆に拍手を促して下手へと導いていった。




62.「そうしたことはコンマスの領域」に続く...



♪   ♪   ♪    今回、名前が初登場の人物    ♪   ♪   ♪

エキストラ

山田 晃(アキラ)  自然体のサキソフォン奏者

末松 沙織(サオリ) 控えめ態度のハープ奏者




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