[#やさしさに救われて] 杉村くん 第17話 ~自分でくん~
皆さんは「不良」と言うと、どういうイメージがありますか?たぶん多くの人がパっと思いつくのが、こういうオートバイだと思います。
あと、ちょっと年配の人であれば、こんなふうにかばんをつぶしたり、
現在はコスプレ化していますが、刺繍や変形要素のある学生服のイメージもあると思います。
これらって、今回の漫画と同じく「自分でやってる」のはご存じでしょうか?例えばオートバイは、こういう形のものが売ってるわけではなくて、普通のオートバイを自分で改造するわけです。かばんも自分で一生懸命つぶします。私の学校だと、かばんはナイロン製だったので、つぶれが元に戻らないように安全ピンで止めたりしていました(女の子はその安全ピンの色でかわいさを表現したりしていました。)。変形学生服は、そういうのを取り扱っているお店があって、どういう刺繍にするかオーダーしたり、好きな太さのズボンを選んで自分なりの組み合わせにするわけです。
また、不良カテゴリーの一種であるパンクロックにはDIYという考え方が基本にあります。ホームセンターの「DIYコーナー」のDIYと同じ意味です。これはもっと本格的で、自分たちでチラシやCD/レコード、時にはレーベルも作ったりして、すぐ俺らを利用してお金儲けしたがる業界人には頼らないぜ!ということです。先日Twitterに上げたスウェーデンのフェスも、廃墟をパンクスが乗っ取って住み着いた場所で行われたものなのです。これもDIYです。要はキャンプのような共同生活です。今回の漫画の、自分たちでおつまみを作ってお皿洗いもして、飲みすぎて吐いてる友達にお茶を買ってきてあげるのも、ほんの数時間のミニ共同生活でした。
これら全部に共通するものは、「自分が目の前の世界をコントロールしている感」だと私は思っています。不良は出来が悪いので、まわりの世界とずれがあります。平均点が60点のテストで30点をとったりします。これは自分が脳をコントロールできないからです。部活で挫折して不良になるパターンの場合も、自分の体をうまくコントロールできないから挫折が発生したわけです。家庭環境が悪い場合も、自分で運命がコントロールができないと言えます。そしてまわりの世界に追い抜かされます。簡単に言えば負けます。そのコントロール不可によって悲しくなってしまった心のバランスをとるために、せめて目の前の手元の世界をコントロールしたくなるのではないでしょうか。昔、ブルーハーツの曲でも「未来は僕らの手の中」というタイトルがありました。ブルーハーツはそういう悔しい思いをした人に向けた歌詞が多かったです。
ところで、以前のブログ&漫画に書いたつるみさんというフォロワーのかたがいます。10代の男性の方です。彼も最近noteを始め、なんとその記事で私の作品について紹介してくれました!嬉しいですね~。
この地獄ようちえんという作品は、私が10年くらい前にKADOKAWAのネット番組に出ていた時の作品です。そんな昔の作品のファンになってくれたなんて感激ですよね。当時、KADOKAWAにはあまり良い扱いをされなくてガッカリした記憶もあって、つるみさんが連絡をくれたことがきっかけで何か心に刺さったとげがポロっと取れる感覚がありました。そのいきさつについての漫画とブログもぜひご覧ください。
さて、つるみさんが今回noteに紹介記事を書いてくれたことも嬉しいのですが、その中で何より私に響いたのは、彼が中学生の頃精神的に辛く学校に通えず別室登校をしていて、その期間はケルベロくん(地獄ようちえんのキャラクターです)のことを考えていたから乗り越えられたという部分でした。最初に読んだ時、私は目がウルウルしてしまい、今もこれを書きながらウルウルしています。
これって今回の漫画のテーマと全く同じ事なんです。言語化すると、「そういうつもりじゃなかったけど結果的に良かった」なのです。私は誰かの支えになるようにという気持ちでその作品を作ったわけではありません。何とか漫画の世界にもぐりこめないかなーということで、お風呂掃除をしながらお話や設定を考えていた記憶があります。逆につるみさんも、このオッチャンをウルウルさせようと思ってブログを書いたわけではないですよね。でもお互い結果的に良い影響を与え合っていたのです。今回描いた漫画も同じく、私達不良がDIY好きだったのは、将来的に妻ちゃんにアップルパイを作ってあげるためではありませんよね。ただの目の前コントロールで自信を取り戻そうという個人的な理由でした。それが今につながっているのはまさに「そういうつもりじゃなかったけど結果的に良かった」なのです。また、つるみさんと妻ちゃんには重なる部分が多いんです。妻ちゃんも小学校からメンタル的な不調から不登校ぎみで、ラルクアンシエルのハイド様のファンだったことが大きな心の支えでした。そのハイド様も妻ちゃんを支えるためにバンドをやっているわけではないので、これまた「そういうつもりじゃなかったけど結果的に良かった」なわけです。(右から二番目の人です)
学校に通えなくなるというのは、本人的には社会からドロップアウトしてしまったという深刻な悩みになりえます。そのため、そこから本当にドロップアウトしてしまい、自分や他人を傷つける方向に行く、要は「もういい!」とやさぐれてしまい幸せを逃してしまうパターンもあります。けれども妻ちゃんもつるみさんもそういうやさぐれ感が無く、純粋さを保っているように思えます。それは何かに支えを見出しながら、「もういい!」にならないようにとどまって、自分で乗り越えてきたからだと思います。もちろん、妻ちゃんに関しては私がお助けしてきた部分もあります。それはアップルパイを作るという日常の楽しいことレベルから、彼女のお店の手伝いという大きめなレベルまで様々です。
そのお助けに関連する話ですが、実は私は先日病院で検査してもらったところ、ASDのグレーゾーンだということがわかりました。ASDとは昔はアスペルガー症候群や自閉症と呼ばれていた発達障害です。人の気持ちがわからないとか協調性が無いとかよく定義されているのを見たことがある人もいると思います。私の場合グレーゾーンなので定義にそのままあてはまるものは少ないのですが、思い返してみれば、私は小さいころ周りになじめなかった時期がありましたし、成長してからも社会的に逸脱することに躊躇がないという、まあ要は変な人だったわけです。
ためらわず社会から逸脱できるというのは、「勇気がある」「決断力がある」「物事に動じない」なんてとらえられることも多かったのですが、単に「みんながこうだから自分もこうしよう」が薄いというだけなんです。いわば広い意味での協調性の無さなんです。なので就職活動もしたことがありませんし、妻ちゃんが学校が怖くて駅から動けなかったらそのまま遊びに連れ出していました。社会的な視点で見れば逸脱した悪い大人ですよね。昔自分の会社を立ち上げた時や、妻ちゃんとお店を始めた時も、多くの人がやるような細かい計画や下調べはゼロでした。でも全体的にうまくいきました。妻ちゃんは私とは逆に「みんながこうだから自分もこうしなきゃいけない」、つまり社会性が強いので、バランスの良い二人だったと思います。さらに私は「自分が目の前の世界をコントロールする」に慣れていたので、もし失敗したらどうしよう…とかをごちゃごちゃ考えないで、目の前のことに集中できる性格だったのも大きかったと思います。実はそれもまたASDの特徴なのです。好きな物に過集中するという特徴です。そしてASDという発達障害も、別に妻ちゃんに気晴らしを与えたりお店を始めたりするために持っていたわけではないですよね。まさにこれも「そういうつもりじゃなかったけど結果的に良かった」なのです。偶然が重なりました。
偶然ってすごく大事だと思うんです。以上の例の場合、逆に意図的に「そういうつもり」でやると、相手の心ってブレーキがかかると思いませんか?もしつるみさんが学校に行けなくて悩んでいる所に変なオッチャンがやってきて「今からホニャララくんというキャラを作るからそれを考えて乗り切ってね!」とか言われても、そのホニャララくんがあんまり好みのキャラじゃなくてもそれを好きにならなきゃいけない気になりますよね。同じく不登校の妻ちゃんの所にチャラい彼氏がやってきて「じゃあ今から元気づけるためにドライブ行くからね!元気になるんだよ!いいね!」とか言われたら、もしつまんないドライブでも喜ばなきゃいけない気になりますよね。当然、自分のやめにやってくれて嬉しいなという、違う意味の喜びを感じるパターンはあります。でも大事なのは、本人が自分で喜びを選択できたかなのです。言い換えれば、自分の「喜び」という気持ちを自分でコントロールできたかということなのです。誰かに押し付けられたのではなく、自分で「あ、これはいいな」と感じるものを選べたかで、それは不良やパンクスのDIYの「目の前&手元の世界をコントロールできた!」という気持ちと一緒です。そして前述の通り、それには自身を回復させる大きな力があるんです。誰かに喜びを押し付けられたってのは、他人にコントロールされたということですもんね。そういう意味でも、今回の漫画とつるみさんのブログ、そして妻ちゃんとの20年、みんな理想的な「そういうつもりじゃなかったけど結果的に良かった」の表れに思えます。
「そういうつもり」は言い換えれば「目標」です。みんながネットに接続するようになった現代って、人生のネタバレにあふれていますよね。他人の失敗/成功を通して「こうやるとこうなる」という例をいっぱい知れる状態です。それは目標を立てやすく、失敗を避けやすくなったということです。それ自体は良い事ですが、同時に他人や社会にコントロールされていることでもあります。自分は本当はこうしたいけど、でもこうして失敗した人がいる、もしくは社会的にはそれはいけないことだしな、という具合に自分の手元の世界に集中できていないわけです。つるみさんが気に入って紹介してくれた地獄ようちえんという作品は、自分の中では苦い思い出、平たく言えば失敗だと思っていました。でもそれがつるみさんの心の支えになって、それが巡って私自身の失敗感も救うことになっていたんです。今回の漫画の、私に子供の頃の悲しい気持ちが残り続けているという状態も、人生の構築に失敗したとも言えます。でもそのおかげで妻ちゃんにアップルパイを作って喜ばせることができたのです。ASDグレーゾーンとしてこの世に誕生したのだって、失敗作の不良品として生まれてしまったととらえることができます。でもその、ためらわず社会から逸脱できる性質のおかげで社会の常識に縛られていた妻ちゃんにお助けを提供できたのです。そして何より、このnoteに載せている大量の漫画です。今数えたら全部で196本もありました。毎回4~8ページ前後なので、間をとって6ページで計算すると1176ページです。もし私の社会性が強かったら、原稿料とかがもらえるわけではない漫画を何年も1176ページも描き続けられませんよね。そしてもっと他者の人生のネタバレ、例えばこういう内容が商業誌デビューできやすいとか、こういう戦略だとマネタイズできるとかを調べて、今とは違った漫画を描いていたはずです。今のこの感じの漫画を読んで面白いと思ってくれたあなたの気持ちが、まさにリアルタイムで起こっている「そういうつもりじゃなかったけど結果的に良かった」なのです。そういう世の中の見方をすると、毎日が今よりもちょっと楽しくなると思います。次回は私のASDネタについての漫画です。楽しみにしていてください。
[おまけ]
「目の前&手元の世界をコントロールする」は、マインドフルネスという考え方にも共通します。あれこれ考えるのではなく、今の目の前に集中すると色々良い感じになるよいう考え方です。以前それについての漫画も描きましたので、ぜひご覧ください!
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