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ゼロから始める伊賀の米づくり13:冬、祖父を思う

冬は、基本的にいわゆる農閑期ですが、農業は日々の環境整備が重要な営みです。また、その日々の環境整備は、利益追求的・株式会社的な観点からは不払い労働とも呼べる側面もあります。(詳しくは以下もご覧ください)

ただ、自分にとっては生まれ育った土地であり、この先の集落の未来を思うと、大事にメンテナンスしていきたい場所でもあります。

おそらくその視点には、自分でも気づかないうちに、単なる金銭的利益追求とは別の価値が置かれているのでしょう。

ともあれ、冬はこの環境整備に取り組むこととしました。

具体的には、田んぼに迫り出してきている木々の伐採と剪定です。

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ご覧のように、我が家の田んぼの一つは、地域の神社を囲う一角に位置しています。その神社の木々が年を追う毎にどんどん田んぼに迫り出してくるのですが、これがなかなかに厄介。

トラクターに乗っていても、田植え機やコンバインに乗っていても、枝がバシバシ運転者の顔に直撃してくるのです。

この神社の木々の剪定は、地域の神社の年番(一年毎の当番)の方が担うこともありますが、その加減は暗黙知であり、範囲も曖昧です。

そんな中、まだ祖父が健在な頃は祖父が我が家の田んぼにかかってくる枝の剪定を行っていたそうです。

8年前に祖父が亡くなり、父が代を継いで以来、必要最低限しか枝の剪定が行われていなかったり、神社の年番さんの匙加減の具合もあり、自分が継いだ頃には本当に枝が繁ってきており、なんとも厄介なことになっていました。

そこで、農閑期のこの冬の時期に、木々の剪定だけは終わらせてしまおう、ということになりました。

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手には剪定バサミとブッシュナイフ、それらを軽トラに載せ、いざ木々の剪定へ。

いざ、実際に伐り出してみるとなかなかの量です。

祖父の代からほとんど放置されていた木々は、8年分の養分と陽光を吸い上げ、成長していたようです。

枝の直径は15センチメートルほどの中々立派なものもあり、ブッシュナイフを使ってギコギコ引いていっても中々切れてくれません。

「あぁ……、まだか!……」

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ふと、こんな風に独り汗をかきながら作業していると、考えることがあります。

「この営みって、本当に個人的なことだよな」

「どうやら、祖母も母もこういう農作業は、いわゆる男仕事と考えているし、祖父や父はそんな考えや価値観を引き受けてやってきたわけだ」

「この、個人的な営みを家族に、そしてもう少し広く開いていくためには、どうすれば良いだろう……?」

そんなことを考えているうちに、どうにかこうにか終えることができました。

伐り出した量は軽トラの荷台4杯分。

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これだけの量を、しかも堅い繊維質の枝を田んぼにバラ撒いても、とても春までに養分として分解することはできません。

幸い、自宅の周囲は開けた土地ですので、昔ながらの野焼き方式で処理することにしました。

木々を焼いていると、祖母がやってきます。

『こんな木、どこから持ってきたんや?』

「お宮さん(神社)のところの木や。こうして切ってやらないと、トラクターに乗ったりしても邪魔になるからな」

『そうか。昔、おじいさんが切っている時は、その場で焼いたりして危うく神社を火事にしてしまうところやったわ(笑)。慌てて消し取ったよ』

「そのおじいさんが亡くなってから、あんまり手入れもされてなかったみたいやしな。年末にこうしてキリの良いところまでやれてよかった」

「そうやなぁ。」

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自分は、祖父が田んぼをやっている姿はおぼろげにしか覚えていません。

ただ、いざ自分が継いでみて米を作るために必要なことをしていると、それが祖父や父のやってきたことが今、自分の中に生きているような不思議な感覚が芽生えてきます。

今回の木々の剪定の話で言えば、祖父が亡くなったのが8年前だとしたら、8年越しに祖父と繋がることができたような感覚です。

今と当時では、家族の形も変わってきました。

地元の集落も、徐々に世代交代に伴う田んぼの手放しや、農業法人による集約、減反に伴う小麦や豆の栽培への転向のような形で、米づくりの営みの姿も変わってきています。

変わりゆくものもありつつ、その中でも大事にしたいものは何か?

この問いには、この先もずっと向き合い続けることになりそうです。



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