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ゼロから始める伊賀の米づくり10:稲刈り編:初コンバインで収穫

とうとう稲刈り当日である。前日のひどい豪雨から、無事に晴れ間が見えて来た。

当日は、朝6時半くらいに目覚めた。心身ともに前日までで極限まで疲れすぎたこと、昨晩もまた母の準備する大量の食事で胃もたれ(若者はたくさん食べるものだ、と言う考えは未だ健在である)。とても、寝れたものではない。勝手に目が覚めてしまい、その後眠れないというだけだ。

天気はよく、少しずつ体と心を初のコンバイン運転とその後のプロセスに向けてチューニングを行っていく。臨戦態勢に心身ともに切り替えていくのだ。

朝7時半くらいに当日のコンディションを見てみようということで、一人で田んぼの見回りに行く。

まだまだ朝露に濡れている稲が見える。ふと、写真を撮っていると、一台の軽トラが近くで止まる。

見ると、まさかの親戚のFさんである。父の葬儀その他諸々、何かと助けてくれていた方だ。まだ7時半だと言うのに、どこに行こうと言うのか。(お互い様だが)


「今日、(稲刈り)やるんか?まだ早いぞ」
「ええ、10時すぎくらいからボチボチ始めようかと」
「コンバインやら準備できたんか?」
「おかげさまで、手伝ってくれる人もいまして」
「そうか。無理すんなよ」


ちょっと爽やかな気分になった。思えば、「無理すんなよ」と率直に声をかけてもらう機会が、この半年ほどほとんど無かったように思う。それだけ無我夢中で、耳に入っていなかったのだろうか。


朝8時頃、師匠と先生の二人がやってきた。父の先輩であるSさんは、徐(おもむろ)に田んぼの方に行き、籾を一掴みして、何やら器具を取り出している。

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「これはな、米の水分量を見ているんや。あんまり水分量が多いと、乾燥機に何時間突っ込んでも乾かん。農協も取ってくれん。うん、これくらいなら良さそうやな」

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その、籾の水分量を量っているところに父の仕事仲間であったHさんがやってくる。
「この天気なら、9時半とか10時に始められるな」
おぉ…どんどんその時が近づいてくる。

…その時が来た。

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いざ、コンバインに乗り込むと、Hさんの熱血指導が始まる。

『まず、左足のギアを踏んで、キーを回す。それで、左手のレバーを前に押すと前進。後ろに倒すと後進。右手のレバーは、前に倒せば、刃が下に降りる。手前に引くと、刃が上に上がる。稲を刈らない時、路上を走る時は上にしておけ。右手のレバーを左右にふれば、その方向へ旋回する。ただ、路上で急にグイッとやると下のキャタピラが痛むから、じわじわやるんや。柔らかい田んぼの中なら、グイッとやっても大丈夫や。まずは、低速で田んぼまで行くぞ』


既に両手がマルチタスクだが、とにかくやるしかない。
無事に田んぼの淵まで行く。斜面を降ろうとすると、
「刃を下げろ!斜面に並行になるように、じわじわ行け」
で、斜面を降っていくと
「刃を上げろ!そのまま斜めに刃が地面に突き刺さるぞ!」
無事に接地。その後、まずは平山さんが端に乗りながら、田んぼのへりの稲を刈りながら進む。

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Hさんの一つ一つの説明の理屈は頭ではわかった。ただ、コンバインの操作の仕方、そもそもでかい車体の車間距離が掴めないので、ピンとこない。とにかく、やるしかない。
と、
「待て待て待て!もっと刃を下げろ!地面ギリギリまで!」
で、下げて進んでみると
「待て待て待て!土も一緒に刈り込んでるぞ!止まれ!止まれ!」

目まぐるしく状況が変わるので、とにかく食らいつくので必死だ。食らいつくどころか、この日この操作の内に運転技術を自分のものにしなければならないのだ。負荷がヤバイ。


結局小一時間、コンバインの土のつまりを除去した結果、
「ちょい刃を上げ気味に行け」
との師匠からの御達し。

ともあれ、刈り込んでいき、コンバインのタンクがいっぱいになると、アラームがなり、中にため込んだ籾を軽トラに運んでもらう必要がある。リモコン操作で動くパイプは、少し癖があるらしいが、どうにか軽トラへ籾は積み込まれた。

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あとは、田の端から真ん中に向けて刈り込んでいくだけだ。
ちょっと待て!稲を刈らない時は、刃は上!ローターは止めろ!

ともあれ、刈り込んでいく。中心付近の残り一往復で、藁クズを細かく裁断するのではなく、藁のまま排出するモードにチェンジ。
Sさんによれば、婆さんがわらを畑や田んぼように必要だ、とのこと。

さて、これで一段落か。田んぼの一面を刈り終えて、もう昼前だ。結局、3時間くらいは出ずっぱりだったか。途中、母が飲み物を差し入れてくれたり、写真やら動画を取ってくれていたりしたが、両手ともレバーの操作になれず、緊張で手に力が入りこわばっている。と、母が何やら叫んでいる。
「もう一つ、お宮さん(神社)のところの田んぼもやろうか!うちの乾燥機がいっぱいになるまでやろう!」
まじか。
「おうおう、社長がああ言ってるわ。いくか」と平山さん。
舵を切り、神社前の田んぼへ。

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一旦、2つ目の田を半分ほど刈り込んだところで、いよいよ昼休憩。

遅くなった昼食で、開口一番、師匠と先生の二人は
「下手やな!」
「何年かかることやら。3年やな」
「まぁ、はじめはこんなもんやわな」
「コースの入り方が下手や、もっとゆるい角度で入れば良い」
「親父に教わらなかったんか!」
開口一番といいながら、もうそれはボロクソに浴びせてくれる。


ボロクソ言われても、もう笑って流すしかない。
ともあれ、一通り、自分のコンバイン運転の下手さ加減をネタに話し、弁当を食べていくと、話のネタは少しずつおっちゃん二人自身のことに話題も移っていく。


なんだかんだ初対面の二人の、田んぼとの付き合い方、減反政策と補助金の話。経年劣化している水路の話、おっちゃんら自身何やっている田んぼの面積の話、1町5反、1町8反等。


また、米のおいしさについても話があった。
「米の美味しさは土で決まる…なら、その土はどう変わるんですか?」
「それは昔からや。線路を隔てて向こう側・こっち側、川を隔てて向こう側・こっち側、山側と平地側…それだけでも土質が変わってくる。美味しいと言ってもらえる家の土地は貴重や。自分の家で精米までしない家がこの地域でもほとんど。でも、そうなると美味しい土地、まずい土地の米がまとめて混ぜられて袋詰めされていく。そうなったら、まずいと呼ばれる。粘土質の土は、足を取られるし、機械も入りにくい。けれど、美味しい米ができる。」

その後、昼休憩も終え、二つ目の田も無事に刈り終えた。
母の動画を確認するに、この田の後半になってくると、コンバインの運転・旋回にも手慣れてきている感がある。


最後、飛地となっている3つ目の圃場である。
もはや、集中力、体力共にギリギリのため、どれだけ師匠と先生二人にド下手と言われようが、「とにかく終われば良い」というモードになっている。


この飛地は特にカーブが多く、とにかく切り返しも多い。そのため、シートに座らず常に中腰状態で前方を眺め、コースをきっちり見極める必要がある。
「自分でどんなコースで刈るかも考えての、独り立ちやからな」
Sさんもそう言う。
最後は夢中で刈っていたが、結果とにかく終わった。


ゆっくり畦道を走り、最後に軽トラの荷台に籾を排出し、家に帰る。これで終わりではない。このコンバインのメンテナンスが残っている。

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水道の近くに乗り付け、一つ一つのパーツをはずしつつ、泥や籾殻、藁クズを手作業で取り除いていく。どれだけ自動化が進んでも、最後の細部は、人間の手が必要になる。というのは、Sさんの談。キャタピラについた泥を落とし、刃やギアに挟まったゴミを取り払う。エンジン部等を濡らさないように気を付ける。


このコンバイン清掃だけで2時間は経っただろうか。
「よし、じゃあ元どおり組み立ててみ。そうしたら、覚える」

はずしたパーツ一つ一つを再び組み上げていく。

「よし、それじゃあ後は後日でいいけど、タンク内のゴミはコンプレッサーとか使って、風でゴミを飛ばしておけ。」

「あ、1つ忘れてた。チェーンに油を挿しておこう。エンジンかけて、ローター回しながら、注油ボタンを押せ、それで前進・後退を繰り返して満遍なく挿すんや。」


「後はまた、晴れた日に仕上げで水洗いしていくといい。洗車用ブラシとか使えばきれいになるわ。水洗いした後、タオルで吹いていけ」

コンバインを最後、ガレージに仕舞い込み、コンバインから落ちた泥を処理して、この日は終わった。

本当に、これで刈り入れが終わった。

もはや心身ともに極限にきており、何も考えられない。

「本当に、ゼロから教えてくださって…ありがとうございました!」

唯一、Sさん、Hさんに対してそれだけが出て来た。

自分が1日に処理・咀嚼できる情報量はとうに超えているが、言語や情報ではなく、五感で感じた経験や感情だけが、コンバインを仕舞い終えた後に残っていた。

今年初めから撮ってきていた記録写真だが、とうとうこの景色まで辿り着いた。父はもういないが、この景色は残った。

あぁ、よかった。

これまでの家の営みが、繋がったような気がした。

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