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ありがとう、のない国

機体を一歩踏み出すと、じわりとあったかくて安心するような湿度の、ひとの体温と熱気に満ちた空気が広がった。

乗り込む前に最後に吸い込んだ空気は氷水のような冷たい冬の空気だった。

その温度の違いは、私に何よりも早く旅の始まりを教えてくれた。とうとう、やってきたのだ。

はじまりの国、ベトナム

出発点はベトナム、ホーチミン。タンソンニャット空港。
ホーチミンはベトナム最大の都市である。



本当に大丈夫?と思うほどの簡単な保安検査を通り抜ける。乗り込む前の手荷物検査で、「筒状の金属」という、聞けばなるほど納得の理由で引っかかった、夜に灯そうと持ち込んだUCOの蝋燭ランタンは驚くほどすんなりと関門を突破。妹が誕生日にくれた宝物を没収されてしまったらどうしようという6時間にわたる私の葛藤はあっさり杞憂に終わった。

ゲートを潜るとたくさんのプラカードに出迎えられる。そのカードにはもれなく名前が書かれていて、自分のツアー客を探す声が溢れていた。私は個人旅行なのでそこは素通りし、今度は両替とSIMカードを勧める声の飛び交うエリアに入る。

そうだ、SIMカード。
適当なベンチを見つけて座り、そこに座って日本から持ってきた東南アジアの全エリアで使えるカードに入れ替えた。電源を入れ直したスマホの画面にベトナム語を見つけてほっと一息つく。
たぶん、ようこそと書いてあるのだろう。そのメッセージも、いまここがベトナムで、日本ではないのだと私に言った。



さて。



金がない。 


日本でのレートが悪かったこともあり、私はベトナムのお金を一銭も持っていなかった。とりあえず宿までの交通費を手に入れなければ。そう思って入口からは少し離れた、おじさんがひとりで店番している両替窓口へ近寄った。
「おじさん、5000円分両替したいんだけどできる?」
「10000円からだよ。」
にべもない。え、そんなことはねえだろ。そんなこと言われたことないぞ。

おじさんはでかでかと10000と表示させた電卓を丁寧に私に突き付けた。わかったって。わかんないのはそこじゃねえんだって。

日本に比べたらそこまでではないが、現地空港のレートだってお世辞にもいいとは言えない。できれば市街地のATMからキャッシングするか、その辺の商店を使いたい。

そのとき、背後から声がかかった。
発音のはっきりしたそれは日本語だった。

「だいじょうぶ?」というその声に振り向くと、同じくらいの背丈の女の子が立っていて、ちょっと心配そうに笑っていた。

LCCの小さな機体が乱気流に巻き込まれて大きく揺れたのをきっかけに話をした、隣の席のベトナムの女の子だった。

人情の町、ホーチミン

日本の人と勘違いするほど自然な日本語を話し、「どちらから?」と聞いて「これからベトナムへ一時帰国するんです。」と聞いて初めてベトナムの人とわかった。私が驚くのをみて、「日本人だと思った?」と笑っていた。隣にはもうひとり、彼女の友人も座っていて、同じように話をした。

聞けば留学生ではなく、日本で働いているのだという。母国を離れて異国で仕事をする彼女たちをすごいと私は言ったが、彼女たちにすれば、こんな高校生みたいな(これについてはそっくりそのままお返ししたい)女の子がひとりで旅をすることの方がびっくりだと言っていた。

そしてそのあとも、そんな私をずっと心配してくれていたのだろう。到着ゲートへ向かう間に一度はぐれた後、こうして見つけて、また声をかけてくれたのだった。もしかしたら探してくれていたのかもしれない。

「うちの家族が迎えにきてるから、いっしょに行くよ。宿どこ?」

指差した先には、ご家族と思わしきおばさんと、お兄さんが2人いた。女の子がベトナム語で何か話すと、分かったというように頷いて手招きする。

宿までの行き方は、事前に調べてあるから1人で行くのも無理ではない。
だが海外1人旅は経験があっても、1ヶ月以上の長旅は初めてである。それなりに緊張もしている。
不安も怖さも、期待やわくわくに比べればぐんと少ないだけで、なくはない。

そんなときにこういう、人からの好意はとても心強いものであった。
なによりこういう一期一会な出会いが旅の喜びだから。
リスクの見極めが難しいところではあるけれども。

私は荷物をよいしょと背負い直し、5人が車へ荷物や買い物袋を詰め込んでいるところへ駆け寄ったのだった。

車が低いエンジン音を響かせ、初めて見るホーチミンの町並が左から右へ流れ出す。たくさんの車と、それを上回る数のバイク、バイク、バイク。色とりどりのヘルメットが、次々と車を追い越していく。それぞれ2人以上、多いと4人家族が全員乗って走っている。砂煙と、ぱぱあっとあちこちで鳴るクラクション。

日本では見られない光景の中に飛び出ていきたいワクワクを抑えるように、大きなバックパックをぎゅっと抱きしめて、助手席からその景色を眺めた。

女の子は名前をマイさんだと教えてくれた。

家族であれこれと話しながら、私から宿の名前と住所を聞く。お兄さんが地図を見ながら道を調べ、覗き込む弟くんが何やら首を傾げてお兄さんに耳打ちする。お兄さんがお母さんにぽんと携帯電話を投げる。受け取ったお母さんは宿にどうやら電話してくれている模様。
「ここ、車でどう入るの!?」的なこと聞いてくれている、ような気がする。
お母さんが道を指差して、お兄さんがよっしゃあとスピードを上げる。


なんという連携プレイ。
とても今日初めて会った相手への対応とは思えない。これが人情の国ベトナムか。そんなふうに言うのか知らんけど。迷子の子供を見つけて交番に送り届けるときのような見事な手際。

マイさんはマイさんで、私がみんなと別れた後に連絡が取れるようにとLINEを交換してくれた。

もう、ほんと、南国のあったかい空気以上にあったかい。
寒い島国から来た身には染みすぎるほどに染みた。

そして20分もたたないうちに、車は宿の近くの路地の入り口に横づけされたのだった。

「もう大丈夫、ほんとにありがとう。」

とみんなにお礼を言いながら車を降りると、なぜかお母さんがいっしょに降りてくる。

私の前に立って、ちょこちょこと進む。たまに振り返って私を見る。戸惑いながらついていく。それを繰り返して、お母さんは本当に宿の目の前、玄関ドアの前まで私を送り届けてくれたのだった。

これは本当に嬉しくて、何度も何度もありがとうと言った。ベトナム語で、英語で、日本語で。あとボディランゲージで。使えるものは全部使え!てやつで。

お母さんは、いい、いい!というように手を振って車の方へ戻っていった。

車が狭い路地を華麗に切り返して大通りの方へ向かっていくのを、見えなくなるまで手を振った。

あたりまえ、のあたたかさ

これはあとあと聞いた話だが、ベトナムでは基本的に日常で「ありがとう」と言わないのだそうだ。それに当たる「Cảm ơn(カムオン)」という言葉はあるけれど、あまり使わない。

農耕民族で、人との関係が密接なベトナムの人たちにとって、親切や助け合いは、するのもされるのも当たり前のこと。わざわざ言葉にする必要のないことなのだ。
だからあのときお母さんは一瞬不思議そうな表情をしたのだろう。

そんな「当たり前」に救われて始まった旅。
きっと、忘れられないものになると、南国の風がそう告げて上空へ吹き上がっていった。

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