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短編小説「LINK」

 2029年12月16日の早朝、ヒューマンズリンク ~ H&TW ~ というアプリ運営会社から、1通のメッセージが僕のスマホに届いた。

『おめでとうございます。貴方は弊社が企画・運営いたします、ツナガル・プロジェクトの参加者候補に選出されました。尚、プロジェクトへの参加は任意です。プロジェクト概要につきましては、本メールに添付されておりますPDFファイルの文書をご確認ください。参加を了承されます場合は、本日午後11時59分までにこちらのメールにご返信下さい。またこのプロジェクトに参加することによる金銭的報酬はございません。ただし、本プロジェクトに最後までご参加いただいた方に限り、別途運営側よりご連絡させて頂くことがございますのでご了承ください』

 先週、怒涛の期末試験を無事に終えた僕は、久方ぶりの心地よい日曜日の朝を迎えていた。体温で温もった布団の中で、惰眠の余韻に浸りながら寝返りを打ち、見覚えのないメールに目を通す。

「・・・いかにも怪しいな」

 そんなことを呟きながら僕はメールを閉じた。それから某トークアプリを開いて、友達の亮介にメッセージを送信する。

『今起きた。亮介、遅れるなよ』

 亮介からの返信も待たず勢いよく布団を剥いで起き上がると、僕は早速出掛ける準備を始めたのだった。

 繰り出した街は既にクリスマス一色だった。商店が建ち並ぶセンター街を一人で足早に突っ切って、亮介と落ち合う約束をした駅へと向かう。日曜日というだけあって街には人が溢れ、仲良く身を寄せ合う恋人達を多く見掛けた。僕はコートのポケットに手を突っ込んで、楽しそうに言葉を掛け合っている恋人達を横目にそそくさとその隣を通り過ぎて行くのだった。

 人の溢れる駅には、既に到着した亮介が寒さを堪える様に待っていた。

「おはよう」

 小走りに駆け寄りながら僕がそう声を掛けると、亮介は相変らず小さな声で「おはよう」と返した。高校に進学してからというもの、亮介はいつも元気がない。元々それほど明るい奴でもなかったが、最近は前にも増して辛気臭い顔をしている。
 そんな彼の様子に思い当たる節がないこともなかったが、僕はできるだけ亮介の前では明るく振る舞うようにしていた。

「中学以来だな、ゲームショウに行くの」

 そう言ってはみたものの、「うん」とだけ小さく答える亮介。背負っている大きめのリュックには、亮介の愛機がちゃっかりと収まってはいるだろうに、僕を目の前にしてはしゃぐ気など毛頭ない様子だった。そんな亮介を元気付けようと今回のゲームショウに誘ったのは僕であったが、正直、間違いだったかな、と心の底で不安に思うのは許してほしい。

「・・・行こうぜ」

 痩せた肩を叩いてやると、亮介が小さく頷いたのが見えた。特に言葉を交わすでもなく、僕達は一緒にゲームショウが開催される会場へと足を運んだのだった。

 別段盛り上がった訳ではないが、久しぶりのゲームショウはやはり楽しかった。途中から好きなゲームの最新作先行プレイに参加できた亮介はいつのまにか笑顔を見せるようになっているのだった。
 そんな最中、僕はスマホに1通のメールが届いていることに気付いた。送信元はH&TWからだった。メールには、『プロジェクト参加是非の再確認』というタイトルが記載されていた。

 ゲームショウを楽しんだ後、ファミレスで暫く話をしてから亮介と別れた僕は、帰宅後、何度もH&TWからのメールを読み返していた。風呂に入り、晩御飯が済むころ、僕は添付されたPDFファイルに目を通すことにした。
 概要を大まかにまとめると以下の通りだ。

・プロジェクトへの参加は任意

・プロジェクト期間は2029年12月18日~12月24日までの1週間

・H&TWが開発したトークアプリ(他社の某トークアプリと互換性あり)を経由して、無作為に選ばれた誰かとトークができる 
※ただし、相手が拒否するとトークはできない。了承すると既読が付く

・無作為に選ばれるのは、スマホ利用者であり、スマホの言語を『日本語』に設定、かつ他社の某トークアプリを利用している集団から1人

・アプリのロックが外れてトークが利用可能なのは原則1日1回、午前0時~1時の1時間

・トークする相手と直接接触する様な情報、個人を特定できる様な情報等のやり取りをしてはいけない 
※運営管理のAI検閲を受け、直接接触の可能性が35%を超えた場合、アカウント削除及び登録解除される。利用者側に%は測定不可

 PDFファイルの概要を読み込んだ所で、怪しさを拭い去ることはできなかった。そもそも、このプロジェクトの目的と意図が分からない。これは先日学校の性教育の内容にあった『出会い系』と呼ばれる類のものなのではないだろうか。しかし、直接接触するための情報のやり取りなどはできない仕組みである様だし、知らない誰かとトークを楽しむためだけのものなのだろうか。言わば、僕は新開発アプリの実験台に選ばれたということなのだろうか。
 そんなことを考えつつ概要を読みながら馬鹿馬鹿しくなった僕は、スマホをソファーに放り投げた。すると、ちょうどその近くに座っていた妹が、

「こっちに投げないでよ」

 と言ってスマホを僕に投げ返して来たのだった。小学生の時まで甘えん坊で可愛かった妹は、中学校に進学し、すっかり生意気になっていた。家にいる時はいつもスマホと睨めっこしている。

「だからお兄ちゃんは彼女ができないんだよ」

 そう呟いた彼女の言葉に僕はカチンときた。

「・・・関係ないだろ」

「は?あるに決まってんじゃん、女子に向かって物を投げるとか最低」

 すると台所から、「やめなさい!」という母の怒鳴り声が聞こえた。妹は「ふっ」と僕を鼻で笑った後、またスマホと睨めっこを始めたのだった。
 むしゃくしゃした僕は自分のスマホを手に取って、そそくさと自室へと戻った。ベッドに横たわり、まだなんとなくイライラとした気分の居所を探しつつ、僕は徐にスマホの画面を見た。そこには再びH&TWから、『プロジェクト参加是非の最終確認』のメールが届いていた。時計を見やると、午後10時3分。僕はイライラとした気分を抑えきれないまま、H&TWからのメールを開き、『参加する』を選択してメールを返信したのだった。

 やや微睡(まどろ)み始めた夜更け。ふとスマホのマナー音に目を覚ました僕が時計を見ると、午前0時だった。2029年12月17日の月曜日だ。
 覗いたスマホの待ち受け画面にはH&TWからの返信が届いていた。

『プロジェクトへのご参加ありがとうございます。それでは、本社のアプリ内にてアカウントの新規作成を行い、登録を完了して下さい』

 僕は眠たい目を擦りながら、指示に従ってH&TWのアプリにアカウント登録したのだった。


 朝を迎えて、2学期最後の月曜日が始まった。各授業では先週の期末試験の結果が返却され始めた。文系科目の試験結果はなんとも言えない点数が羅列する羽目となってしまったが、得意な数学がなんとか平均点を底上げしてくれている様だった。最も得意な化学は明日返却されるので、僕はその結果に期待することにした。
 冬休みに向けて浮き足立つ生徒達は終礼を終えてもガヤガヤと教室で騒いでいた。僕は隣のクラスの亮介と合流し、空気の乾いた寒空の下、足早に家路へと就いたのだった。

「・・・ごめんね」

 突然、隣を歩く亮介がそう呟く様に言うのが聞こえた。一体何のことを謝られているのか見当もつかずに僕はきょとんとしていたが、

「いつも暗い顔して・・・昨日のゲームショウとかも、気を遣ってくれてたんだよね?」

 と言う亮介の言葉の意味を理解し、僕は苦笑して見せるのだった。少しだけ背の低い亮介の肩に手を回す。

「何言ってんだよ、楽しかったじゃん」

 そう言う僕に、亮介は小さく笑ってくれていた様な気がした。

 その日の夜、僕はいよいよ始まるツナガル・プロジェクトに落ち着かない気分だった。少しだけ緊張を孕んだ心地に、晩御飯の味も風呂の熱さも禄に分からなかった。時間が近付くと、僕はスマホを手に自分の部屋に籠ってその時をジッと待っているのだった。
 そして、時計の針が頂上でぴったり重なった。2029年12月18日、火曜日だ。僕はロックの外れたH&TWのアプリを開いて、早速誰もいないトークルームに向けてメッセージを送信した。

『こんばんは。良ければお話しませんか?』

 メッセージを送信してから10分ほどが経過したが、アプリからの反応は何も無かった。どこかの誰かに届いている筈。

・・・拒否されたのかな

 僕はジッとトーク画面を睨み付けたまま、少しだけ不安な気持ちにもなっていた。すると、僕が送ったメッセージに静かな既読が付いた。

「お、誰か見た」

 返信はすぐに返って来た。

『初めまして。こちらこそ、宜しければお願いします』

 という丁寧なメッセージ内容だった。なんとも言い難い嬉しさと小さな感動に包まれた僕は、震える体を抑えながら早速話を進めることにした。

『返信ありがとうございます。僕は高校生です』

『僕は中学です』

 最初の対話の相手がいきなり年下の男子中学生であるとは予想もしていなかった。僕は冷蔵庫から持ってきていたペットボトルのジュースの蓋を開け、啜る様に一口飲んだ。

『ちなみに何年?』

 そう訊ねてみると、しばらく間が開いた後、

『中2です』

 と返信が返って来た。

『じゃあ、来年受験だね』

『はい』

『勉強の調子はどう?』

『普通です』

『部活は?』

『やってません』

『そうなんだ。中学生活は楽しい?』

 すると、再びメッセージが途絶えた。僕はジュースをごくごくと飲みながら既読の付いたメッセージをジッと見ていた。すると、

『いいえ』

 と返信が返って来た。

『・・・楽しくない?』

『はい』

『どうしてか・・訊いていい?』

『いじめられてます』

 返ってきたメッセージに僕は思わず小さな息を飲んだのだった。しばらくなんと返事を返せばいいのか悩んだが、

『・・・そりゃ、楽しい筈ないよね』

 としか返せなかった。
 すると対話相手の男子中学生は、

『死にたいです』

 とメッセージを送って来たのだった。
 僕は再び言葉選びに詰まってしまっていた。しかしここで会話から逃げてしまうのはなんとなく嫌な気持ちしか残らない様な気がした僕は、折れそうになっていた心を持ち直して話を続けることにした。

『誰かに相談とかできてる?』

『いいえ、ここであなたに初めて話しました』

『そうなんだ・・・話し聞くだけでも君の力になれないかな?』

『・・・話していいんですか?』

『もちろん、だけど個人情報は出さないでね』

 その後、僕は中学生の彼が受けているいじめについて色々な話を聞いた。僕はただ相槌を打つような返事しか返せなかったが、彼もゲームが好きであることを会話の中で知り、残りの時間はゲームを中心とした話題で盛り上がるのだった。

『ゲームショウ、いいですね』

『楽しいよ、ぜひ君の住む近くで開催されたら行ってみなよ』

『行ってみます』

 ちらりと時計を見ると、時間は午前0時58分を過ぎていた。

『そろそろ制限時間だね、なんかもう少し話していたかったよ』

 僕がそうメッセージを送ると、

『僕もです。もっとあなたと話していたかった』

 と返事が返って来た。

『その言葉だけでも嬉しいよ、ありがとう』

『本心です、もしあなたが先輩だったら僕の人生少しはマシだったかも』

 彼の言葉が僕の胸に重い一石を投じた。短時間でも会話した顔も知らない彼のことを、僕は忘れられない様な気がした。実際に会って話してみたら、きっといい友達になれたかもしれない。しかし、アプリのルール上それは不可能。僕にできることは今この瞬間の会話を大切にすることだけだ。

『生きてみようよ。俺もまだ16年しか生きてないし、先のことなんて何も分からないけどさ。一年先のことも、半年先のことも、1週間先のことも、結局何も分からない気がする。きっと未来は変わってるって思いながら、今を変えていくしかないのかもしれないなって思うよ』

『・・・そうかもしれませんね』

 彼の返信を受け取った後、僕は小さく息を吸って、そっと最後のメッセージを送信した。

『それじゃあ、さようなら』

『さようなら。いつかどこかで、あなたと会えることを願っています』

『ありがとう』

 僕が送ったメッセージに既読が付いたのを確認した後、アプリは自動で静かに閉じられて、再びロックされたのだった。


 その日の次の深夜。再び時計の針が午前0時を差したのを皮切りに、僕はH&TWのトークアプリを開始したのだった。

『こんばんは。良ければお話しませんか?』

 そんなメッセージを送ると、今夜はすぐに既読が付いた。

『これは詐欺なのか?』

 唐突な質問メッセージに僕はややたじろいだ。

『いいえ、詐欺ではありません。僕も最初そう思いましたけど』

『お前は誰だ?』

『それは言えません、個人情報は言えない決まりなんです。ただ、僕が高校生であるということは言えます』

『なんだ子供か』

 そんな返信にややムッとした僕であったが、一度深呼吸をしてトークを続けた。

『あなたは社会人なのですか?』

『もう25年社会人やってるよ』

『大先輩ですね』

『口の上手い奴だな』

『何かお話しませんか?』

『何処の誰とも知れない子供と話すのは気が乗らないな』

 僕は、「こういうタイプの人か」と一人呟き、下手(したて)に出てみようと試みた。

『僕、来年大学受験なんですよ』

『息子と一緒だな。まぁ、精々頑張れ』

『ありがとうございます。じゃあ、お父さんも息子さんの心配もあって大変ですね』

 そんなメッセージを送ってみると暫く返信が途絶え、その数分後にポツンと返って来た。

『ここ数年、息子にもお父さんなんて呼ばれたことないよ』

『仲悪いんですか?』

『悪いってもんじゃない。もう無視だよ、無視。こっちは朝から晩まで働いて稼いだ金で授業料払ってやってるのに』

『そうなんですね、僕も父とはそんなに話す方ではありませんが・・・』

『男の親子ってそんなもんかね』

『かもしれませんね』

 今夜、昨日のトークを踏まえてもう少しリラックスして会話をしたいと思った僕は、パソコンで音楽を流しながらトークをしていた。緊張したところで自分は碌な会話をすることができないということを僕は重々承知していた。すると、

『で、勉強はどうなんだい? 順調かい?』

 と対話相手の男性の方から話題を振られた。

『まあまあです。今、期末試験の結果が返ってきてて、得意な化学だけは98点でした』

『おぉ、やるじゃないか。うちの息子に爪の垢を煎(せん)じて飲ませたいもんだ』

 どんな息子さんなんだろ、と僕は思いつつ音楽の音量を少しだけ下げた。

『やっぱり、社会人になって働くって大変ですか?』

『大変だね。俺なんかついさっきまで会社で残業してたよ』

『仕事終わりすぐにお話して下さってるんですね、ありがとうございます』

『いやいや、なんかいい気晴らしになりそうだ』

 それから僕は、自分より二回り近く年上であろう男性と何気ないトークを続けた。彼が務める会社は超過勤務が当たり前のブラック企業らしく、何人もの人が過労で体を壊したり精神を病んで退職していったらしい。彼は僕に、自分の失敗を元にした勤務先の選び方と処世術の様なアドバイスを簡単にしてくれた。そして、口も聞いてくれない息子さんの話も。
 時間はあっという間に過ぎ去って行き、気付けば午前0時59分に迫ろうとしていた。

『そろそろ、時間です』

 僕がそう告げると、

『そうか、今日はありがとうな』

 と男性が言った。

『いいえ、こちらこそ』

『久しぶり、息子と話せた様な気がしたよ』

『ぜひ息子さんとも時間を作って話してみてください。何気なく声を掛けるのもいいですが、息子さんの好きなものを訊ねてその話題なんかも話してみたらいいと思いますよ。僕も父とそんな話ができたらとても嬉しいので・・・』

『そうだな。そうしてみるよ、ありがとう』

『こちらこそ。・・・では、さようなら』

『さよなら』

 そうして、12月19日のトークルームが自動で閉じられ、再びアプリにロックが掛かるのだった。


 その日の次の深夜、僕は3度目のトークを開始した。

『彼氏とね、別れそうなの』

 どうやら今夜の相手は大学生の女の人らしい。

『喧嘩ですか?』

『うん、ほんの些細なことなんだけどね』

『何年付き合ってるんですか?』

『3年』

『長いですね』

『高校の時からだもん』

『それは、尚更辛いですね』

『君は彼女いるのかい?』

『いいえ、いません』

『え、じゃあ好きな人は?』

『いました』

『いました? 過去形?』

『はい、その子、転校しちゃって』

『そうなんだ、残念だったね』

『はい、また会いたいです』

『うわっ、一途、可愛いね』

『・・・そういうあなたこそ』

『あはは、なんか楽しい。こんなやり取りは彼氏と高校で付き合ってた時以来かも・・・』

『大好きなんですね、彼氏さんのこと』

『・・・生意気なこと言うのね。まだ誰とも付き合ったことないくせに』

『誰かに恋する気持ちは、似た様なものだと思いますよ』

『君、面白いね』

 僕はそんな軽快なやり取りに思わずくすりと笑うのだった。すると、ポツリとメッセージが一件届いた。

『でもね、付き合うって結構苦しいことも多いよ。楽しくて幸せな時もあるけど、深く傷つく時もある・・・』

『・・・誰かと恋愛するって、難しいことなんですね』

『君、ちょっとテキトーでもあるのね笑』

 そんな返事に思わず吹き出した僕は、それから大学生の女の人との軽快な恋愛話を楽しんだ。そして時計の針は、まるで生き急ぐように午前0時57分に差し掛かっていた。

『こんなに楽しかったの久しぶり。君と現実で会ってたら、もしかしたら好きになってたかも』

『揺らがないでくださいよ笑』

『こらこら、女性の気持ちを笑なんかで返さないの笑』

 僕はベッドに静かに座り直して、そっとメッセージを送信した。

『そろそろ時間です』

『・・・そっか、じゃあ、お別れだね』

『はい』

『ありがとう、本当に楽しかった』

『こちらこそ。彼氏さんと仲直りしてくださいね』

『うん、ありがと』

『それでは、さようなら』

『バイバイ・・・』

 閉じられたアプリが再びロックされたスマホを静かに傍らに置くと、僕は転校した幼馴染みの女の子のことをぼんやりと思い出すのだった。


 その日の次の深夜、4度目のトークの相手はなんと外国人だった。しかし彼の出身国が何処なのか僕には検討もつかない。

『私はやっぱり、Japanは面白い国だと思うよ』

 流暢な日本語のメッセージでやり取りをする彼に、僕はやや驚きを隠せなかった。高校の授業科目の中でも特に英語が苦手なので、本物の外国人を目の前にすると碌に会話もできないし恐らく文章も書けたもんじゃない。できるのは多少読めて聞けることくらいだ。

『どうしてですか?』

 と僕が外国人の彼に尋ね返すと、

『君みたいな少年がカウンセラーできるアプリがあるなんて』

 と返事がきたのだった。

『僕はカウンセラーじゃないですよ』

『でも安心だよ。気持ち聞いてくれて』

『ありがとうございます。少しでも力になれれば嬉しいです』

『How wonderful it is!』

 どうやら彼は、今年から日本の大学院に留学してきた学生らしい。

『ママや、familyに会えないの、寂しいね』

『そうですよね、自分の国に帰りたいですか?』

『そういう時たまにあるよ。でも自分で決めたんだよ、この国で勉強するということ』

『凄いですね。僕には留学する勇気がありません』

『必要なのは勇気じゃないよ。君が何をしたいか、です。君の夢、何ですか?』

 その返答に僕は思わず言葉を詰まらせていた。まだ僕に明確な将来の夢はなかった。

『夢が見つからないんです』

『Oh・・・、Japanは色々溢れてる。分からないのかい? どれを選んで良いか』

『そうかもしれませんね。ちなみにあなたは何の勉強をされてるんですか?』

『日本食だよ』

 彼は食べることが好きで、かつて世界中を旅しながら食文化の研究をしていたらしい。そして、日本という国に出会った。

『誇りを持つこと大事だよ、自分の国に。でもそれには自分の国のこと、よく知らなきゃいけない。そうしてこそ自分の国を誇れるか否かが、判断できるよ』

『そうですね、僕は自分の国でありながら日本のことを良く知らないと思います』

『世界を見ることも、大事だよ。そうすれば、自分の国の有様が見えて来る』

 僕は大学に進学したら留学も視野に入れていた。同級生の間で語学留学の話題が出て来た時に、留学していた方が将来のためになるのではないかという焦りをなんとなく覚えたからだ。しかし、留学から得られるものは何も語学だけに限ったことではないのかもしれない、とふと思った。日本の良い高校、良い大学を卒業して、日本の企業の社員や公的機関の公務員として働く、ということを当たり前と思い込んでいた自分の狭い価値観の膝を蹴り崩してくれそうな考えが、海の向こうに行けば分かるのかもしれない。
 今日も時計の針の足は速い。あっという間に午前0時58分が迫っていた。

『・・・そろそろ午前1時になりそうです』

『Oh... It's time to say good-bye. やっぱりお別れは寂しいね。でも、君の未来に幸多いこと、祈っています』

『Thank you very much!』

『It's my pleasure! See you again, bye.』

『Bye.』

 こうして4度目のトークルームが閉じられたのだった。僕はスマホを置いてデスクに向かうと、今まで一番嫌いだった英語例文集をそっと手に取って静かに開いてみるのだった。


 2学期の終業式を終え、無事冬休みに突入した日の深夜に開始した5度目のトークは、初めて拒否されたのだった。拒否されると、トークアプリ自体が閉じられてしまうことを僕はこの時初めて知った。ベッドに仰向けに倒れ、深い溜息をついた数秒後、突然スマホのマナー音が鳴った。手に取って画面を覗き見ると、開かれた H&TW のアプリのホームに『リベンジトーク』と表示されていた。

・・・リベンジトーク? 

 ヘルプを確認してみると、一度拒否した相手が『やはりトークしたい』という場合には、相手から再送信されたメッセージが届く、ということだった。僕は急いでトーク画面を開いた。そこには、

『あなたは誰ですか?』

 というメッセージがあった。

『名前は言えませんが、僕は高校生です』

 と返信すると、

『助けて下さい』

 と返って来たのだった。少しだけ寒気を催す不安を僕は感じた。

『どうしたんですか? 大丈夫ですか?』

『お父さんにまた蹴られた。さっき、お母さんも』

 僕は思わずベッドから飛び跳ねる様に身を起こしていた。

『君はいくつ?』

『小学2年生です』

・・・これって、虐待? 

 僕は自分の心臓がバクバクと騒ぎ出すのを感じていた。

『ちょっと、待っててね』

 警察に連絡しようにも身元が分からない。下手に個人情報を聞き出したら、僕のアカウントは削除されてしまうだろう。僕はすぐ様、H&TW の運営にメールを送った。虐待の事案があるかもしれない、と。
 すると、運営側からすぐに返信が来た。

『ご報告ありがとうございます。発信源を元にこちらで特定・調査いたします。貴方様は、本日のトークを終了してください』

 とのことだった。僕はトークを終了する前に、メッセージをやり取りした小学2年生の子に最後、

『大丈夫、もうすぐ助けがくるよ』

 と返信した。すると、

『ありがとう』

 とだけ返って来て、静かにトーク画面が閉じられたのだった。アプリに再びロックが掛かった後、騒いでいた心臓が漸く静まって来た僕は体が何処までも沈んでいく様な憂鬱さに襲われた。男の子なのか女の子なのかも分からないが、自分の親に暴力を振るわれるってどんな気持ちなのだろうと考えると、僕は恐ろしくなって小さく自分の肩を抱き寄せるのだった。
 その後、その小学生の子がどうなったのか僕は知る由もない。


 次の深夜のトークも『リベンジトーク』から始まった。僕は再び戦慄したが、どうやら今回は相手の操作ミスだったらしい。今夜の相手は70代後半のおじいさんだった。

『画面が小さくてね、良く見えんのだよ』

『今、簡単スマホって言って操作しやすいスマートフォンもあるんですよ』

『そうなのかい? なんせ妻が買ってきたものだから、僕はあまり使わんのだよ』

『奥さんはそういうのに詳しいんですね』

『そうだよ、僕は何だって妻に頼ってばかりだ』

 その人は、奥さんと50年以上も連れ添っているらしい。

『子供達も皆巣立って行って、漸く夫婦水入らずで過ごせるところだったんだけれどもね』

『そうではないんですか?』

『今、妻は入院しているんだよ。もうそんなに時間は無いみたいだ。彼女は今、僕の隣で静かに眠っているよ』

 彼は病床の妻の傍らで、僕とトークをしている様だった。

 それから、おじいさんは奥さんとの思い出話しばかりを僕に聞かせてくれた。僕は物心つく前に祖母を亡くしてしまったが、祖父は僕が10歳になる頃まで元気だった。今は既に祖父も亡くなってしまってもういないが、祖父との思い出は今でも明瞭に覚えているし、時折思い出して涙ぐんでしまう時もある。祖父は決して祖母との思い出話しを僕に聞かせてはくれなかったが、沢山の祖母との思い出を収めた写真のアルバムを自分の部屋の棚に大切にしまっていたことを僕は知っていた。
 あれから少し成長した僕は、素っ気ない祖父の本当の優しさをほんの僅かばかり分かり始めて来た様な気がする。
 そして、時計が0時58分になろうとする頃、

『お別れはいつだって必ずくる。その時に大切な人の傍に居れることは、何よりも幸せなことだよ』

 と彼は言っていた。

『お話聞かせてもらって、ありがとうございます』

『こちらこそ。来年の大学受験、頑張りなさいよ』

『ありがとうございます。頑張ります。それでは、さようなら』

『さようなら』

 お別れを告げた後、アプリが終了するのを確認した僕は、そっとスマホを傍に置いて静かに目を閉じたのだった。


 その日の次の深夜、時計の針が午前0時を告げ、12月24日となった。今日はクリスマスイヴ。運営からの説明によればプロジェクト最後の日だ。その日、僕はトークの相手に違和感を覚えた。

『息子がね、私が居なくなってからいつも暗い顔をしているの』

『失礼ですが、・・・離婚されたんですか?』

『ううん、死んだの』

 え? っと僕は身を固めた。一瞬で頭が真っ白になる。

『・・・どういうことですか? 誰が亡くなられたんですか?』

『・・・私よ』

 全身に鳥肌が立ち、持つ手が震えて僕はついスマホをベッドの上に放り投げてしまっていた。

・・・何が起こっている? 死んだ人と繋がる?

 そんな話は聞いていないし、そんな馬鹿げたことが起こるはずがないと思った僕は、すぐ様パソコンにダウンロードしていたプロジェクト概要の記載されたPDFファイルに目を通した。もちろん、死者とつながることなど記載されている筈がない。

・・・嘘なのだろうか? 僕はからかわれているのだろうか?

 そう思った僕は、恐る恐る再びメッセージを送った。

『・・・嘘ですよね?』

 既読はすぐに付いたが、しばらく音沙汰ない時間が数分続いた。そして、

『・・・本当よ』

 と返信が返って来たのだった。
 途端に恐ろしくなった僕は、スマホを部屋の隅に放り投げてしまった。しかし、その後すぐにマナー音が鳴った。どうやら新しいメッセージが届いた様だ。震える体をなんとか抑えながらスマホの画面を覗き込むと、

『いつも、息子と仲良くしてくれてありがとう』

 とメッセージが届いていた。僕はハッとし、その場に膝から頽(くずお)れていた。

・・・いつも仲良くって、それ亮介のことじゃないか

 そして、亮介は今年の春に母を病気で亡くしている。僕は怖がりながらも、もう一度スマホを手に取ってトーク画面をしっかりと見た。

『息子はいつも一人で泣いているの。でも、あなたが一生懸命に元気付けようとしてくれていることが私はとても嬉しい。息子の友達が、あなたで良かった』

 僕はそんなメッセージを見て、思わず目頭が熱くなるのを感じた。まだ生きていた頃の亮介の母親の姿が目に浮かぶ。優しくて明るい人だった。僕は亮介の母親の笑顔を思い出しながら、そっと返信メッセージを送った。

『お母さん、きっと息子さんは大丈夫だと思います。彼は強い、僕の何十倍も』

 僕ならきっと耐えられない、とは言えなかった。

『ありがとう、これからも息子をよろしくね』

 最後に、亮介の母親かもしれない女性はそう言っていた。最後のトークが終わった夜、僕は一人でいつまでも涙を流しているのだった。亮介の寂し気な後ろ姿が目に浮かぶ。プロジェクトが終わったらまた亮介と遊ぼう。大切な思い出を作ろう。




『最終日までのプロジェクトへのご参加、誠にありがとうございました』

 そんなメールが12月24日の深夜に届いた。
 僕はこのプロジェクトが死者にも繋がることを運営に問い合わせてみようと思っていたが、事実を聞かされるのが怖くてやめた。
 運営からの謝恩メールを読み進める中で、僕はある文言に目が留まっていた。それは、

『最終日まで参加して下さった方への謝礼:希望の方へトークをお繋ぎ致します。ただし、時間制限はルール同様』

 というものだった。
 僕はすぐ様、運営にとある内容をメールで問い合わせた。すると、『可能です』と運営側からメッセージが返って来たのだった。

 そして、時計の針が午前0時に重なり、2029年12月25日となった。
 僕はアプリを開いて恐る恐るトークルームにメッセージを送った。

『香耶(かや)?』

 すると、既読はすぐに付いた。

『うん、そうだよ。久しぶり』

 そんなメッセージが返って来た。僕は驚きと少しの焦りで急ぐ心を宥(なだ)めながら、

『久しぶり、元気だった?』

 と返信した。

『元気だよ。あなたは?』

『元気』

『そっか、良かった』

 僕は口に手を当てたまま、零れ落ちる涙を止めることができなかった。

『・・・香耶ともう一度話せるなんて、思ってもいなかった』

『私もだよ』

『香耶が転校して、本当は寂しかった』

『私もあなたに会えなくて寂しかった』

『転校先はどうだった?』

『楽しかったよ』

『そっか、良かった』

 何気ない会話。何気ない一時。僕は、香耶ともう一度話せるこの瞬間を、ずっと絶望的な思いで待ち望んでいたのかもしれない。
 すると、

『あなたってやっぱり、すごく優しい人だね』

 と香耶が言った。

『どうして?』

『だってあなたと話した人達、皆あなたに感謝しているもの』

 ボロボロと落ちる涙。僕は、めいいっぱい笑顔を作ってみた。

「そっか・・・そういうことだったんだ」

 知らぬ間にそんな呟きが口から零れていた。そして、そっと香耶からメッセージが届く。

『自殺した中学生の男の子も、過労死した会社員のおじさんも、事故死した大学生のお姉さんも、感染症で亡くなった留学生の外国人の人も、衰弱死した小学生の女の子も、奥さんを迎えに行ったおじいさんも、そして亮介くんのお母さんも。彷徨っていた人達皆、あなたに感謝してる』

 香耶の訃報(ふほう)を聞いたのは今年の初夏だ。塾帰り、大通りを暴走した後に歩道に侵入してきた飲酒運転の自動車に香耶は轢かれて亡くなった。僕達は、香耶の転校直後に1度だけ交わしたメールの中で、今年の夏休みに会う約束をしていたのだった。

『・・・そっか、その人達の力になれて僕は嬉しい』

 そんなメッセージを送ると、聞こえる筈の無い香耶の静かな笑い声が聞こえた気がした。

『ほら、やっぱりあなたは優しい』

 僕と香耶とのトークの時間は、あっという間に過ぎ去っていった。
 大事なことを伝えきれないままに。

 そして、時間はいよいよ午前0時58分となった。僕はまだ迷っていた。本当は直接言いたかった言葉。そして、直接聞きたかった返事。でもそれは今では叶わない。それなのに、僕は文字で気持ちを伝えることにすら躊躇していた。どうすれば勇気を持てる?

—— 必要なのは勇気じゃないよ。君が何をしたいか、です。君の夢、何ですか?

 突然、そんな言葉が頭に浮かんだ。数日前にトークした留学生の彼の言葉だ。僕の夢はまだ分からない。しかし、今この瞬間にやりたいことは分かる。それが今この一瞬でもいい。それはきっと、これから先の自分にLINKするだろうから・・・。
 頬を流れる涙を拭いた時、香耶からメッセージが届いた。

『あのね、あなたに伝えたいことがあるの』

『・・・僕もだよ』

『そうなの? じゃあ、先にあなたが言って』

 大きく息を吸い込んで、僕はゆっくりその言葉をフリックした。

『君のことが好きだ』

 そのメッセージを何度も確認し、震える指先に負けぬ様、僕は慎重に送信ボタンをタッチしたのだった。胸がドキドキと高鳴るのが耳元で聞こえる。
 しかし、送ったメッセージはなかなか既読にならなかった。焦った僕が時計の針を見ると、もうすぐルールの時間が過ぎてしまう10秒前だった。秒針が、止まることなく進んでいく。

—— 51、52、53、54、55、56、57・・

・・・ダメだ、もうトークが切れてしまう

 諦めかけたその時、僕が送ったメッセージに既読がついた。そして、一通のメッセージを受信した。

『私も大好き! ありがとう!』

 そんな香耶の最後のメッセージが、しっかりと僕のスマホに届いていた。

 2029年12月25日、火曜日、午前1時00分。外には、ちらほらと粉雪が降り始めていた。僕は窓を開けて冷たい風に涙を預けた。自動で閉じようとする H&TW のアプリの画面に最後に表示された会社名。

—— ヒューマンズリンク ~ Heaven & This World ~

 ぐすりと鼻を啜り、僕はそっと微笑みながら呟いた。

「・・・メリークリスマス」


< 終わり >

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