クラシック・メタバース、読書の秋:前半

おはようございます。
今日は予想されていた通り土砂降りに加えて、もう完全な秋を感じさせてくれる肌寒い朝ですね。これですよ、これ、ようやくニットが着れる季節になってくれました。

ちょうど秋めいてきた今朝にリンクする読書の話。

僕は生まれてこの方、基本的に視覚的なものに関心が強く、ビジュアルで楽しめる写真や絵画、ファッションなり色というものを好んできた。だから、本と言ったら読み物としての本ではなくて、視覚的に楽しめる写真集や図鑑、いわゆる雑誌だった。

そんな中、30代を過ぎた頃から、家で何もする気が起こらない時ただテレビを観て時間を過ごすのもつまらないと思った時に「そうだ、本てモノが世の中にあったよね」と思い手に取るようになったのがきっかけだった。
以前からも興味がなかった訳ではないけれど、結局何を読めばわからない、読み始めるべきものが見つからないので始まらない、というのが正直なところ。だから、とりあえず図書館に行ってそれこそタイトルと装丁とで判断して気になった本をピックアップして、読み始める様にしてみた。そんな始め方だから、もちろんジャンルは悉くバラバラで、小説だったりエッセイだったり歴史書だったり地域の文化の話だったり植物だったり蜂の飼い方だったり。もちろん、たまに思っていた内容と違って興味が全くわかなかったり難解なのか読めないものもあったりしたけど、ほぼ全て読んで実際「ふむふむ、なるほど」と思えたし、楽しむことができた。

そうやって読み始めてみると、本という文字情報を集約したアナログな紙の媒体がなんと奥深く、懐が深く、温かみがあり、ロマンティックなものか。人の考えやストーリーの世界観へ、あの小さくまとめられた紙の束が、日常からどこでもない世界に連れ出してくれる。作者・著者と自分、更には他の読者とだけ共有できる世界、正直「メタバース、あったんじゃん」と思った。

世界で本というものがこれだけ愛されて、これだけ毎日さまざまな本が出版されている理由がようやく腹落ちできた。もちろん情報の共有や宗教理念の間違いのない流布のため必要不可欠だったとは思うが、印刷技術に関して「わざわざ歴史の授業で習う必要あることかね」と思っていた浅はかな自分を今は少し恥じている。


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、良い一日を。

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