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言葉は伝わりにくいものだから

 ちょっとだけ損をしているなあ、と思う。『言葉』という表現方法を選んだことについて。
 ノベリストであることがイヤだとか、後悔しているという話ではない。
 ではどういうことかというと、絵や音楽の場合にはそれを見たり、聞いたりした『一瞬』である程度の良し悪しや、合う合わないが『直感的に』伝わるのに対して、小説などの『言葉』を用いて表現される芸術・作品、そこに内包された感性や主張は、『読む』という工程を経なければ伝わらない。難解なテーマ、技巧を凝らした表現などの場合はもう一歩踏み込んで『読解』を試みてもらうしかなく、伝わるまでに時間がかかる、伝わり方のばらつきが大きい、という点で、ちょっと損な部分があるなと思うわけだ。

 言葉は読み手に対するギフト。どのように解釈するも自由、それが良い方悪い方、どちらに転ぼうとも――とはいえ伝えたいことはなるべくきちんと伝えたい、発した側と受け取った側の齟齬をなるべく小さくしたい、というのも表現者としての本音だ。普段から使う、よく耳にする言葉ばかりで文章を組み立てると、そもそも単語の使い方を間違えていたり、書き手の意図とは違った捉えられ方をすることもままある。
 そのような事態を回避するためにはやはり、より適切な言葉を選択していくほかなかろう、と、今の段階では考えている。いまだ知らないたくさんの言葉に触れ、語彙を増やす必要があると。

 そうした一方で、自分が読み手に回ったとき、ひとつの誤用や言葉選びの拙さなどから全体を判断してしまわないように気をつけておきたい、とも考える。(ただし内心若干イラっとすることはわりとあると思う)。構成要素にいくらか認識の違いがあったとしても、それを理由に文章に込めた思想や主張を酌まないでいるのは、読者として相互理解の務めが足りないかな……と、他の人の小説を読みながら、ふと思ったりした。

 というわけで、時おり馴染みのない言葉を用いることもあるかもしれない。少しの手間をかけさせることとなるが、新しい言葉に興味などわくようであれば、調べてみていただければありがたい。

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