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ぽんこつ女子が"ベトナム"でひとり旅してみた

去年の夏休みに、1か月かけて5カ国行ってきました。そのうち、オーストラリア、シンガポール、マレーシア、タイの4か国は友人と行動し、最後に訪れた国のベトナムでは3泊4日をひとりで過ごしました。ひとり旅をしたことがないぽんこつがたくさんの人に支えてもらいながら、何をして何を思ったのか書いていこうと思います!


ひとり旅になった経緯

一緒に行くはずの友達がホームシックになってしまい帰ってしまったから。日本でもひとり旅をしたことがなかった私は、ひとり旅が決まった日も、今日からひとりってなった日も、不安でいっぱいでした。辞める選択もできたけど、言語の通じない国にひとりでいくという少しのわくわくで旅をすることにしました。友達と別れるときに何回か後悔したけど、旅が終わった今は、本当に行ってよかったと思ってます。

空港での出会い

バンコクのドムアン空港からハノイのノイバイ国際空港に移動しました。初めての一人で出国するのは、緊張したけど、出国も入国もスムーズにできました。入国もした後、空港で日本円を換金していたら、飛行機で隣だった方に「Japanese!」と話しかけられました。その方は、ポーランドに住んでおり、世界100か国も旅したことがあるそう。ハノイには友人がたくさんいて、ハノイのお勧めスポットも教えてもらい、タクシーでホテルまでも送っていただきました(涙)この日は金曜日で渋滞していたため、タクシーの中で1時間以上お話しました。海外にも旅に出会いがあることを実感。英語が話せたら、もっともっと海外での出会いを楽しめるのに!と思いました。

優しかった~☆彡

靴にボンドを急に塗られた(汗)

ハノイ2日目、湖を散歩していると沢山の良く分からないものが売っていました。テーマパークのように風船が販売してあったり、動く乗り物があったり。これが良く販売していたので、これは何か聞くと、お米で作られたものらしいけど、食べることはできないらしいです。

米で作られた食べれない何か、、、

そんな感じで散歩していると、急に男の人に靴を触られて、何か白い駅を塗られました。この人はきっと修理するよ!っと言っていました。この人は優しさでやっているのではなくあとでお金が取られるかも!っと思った私は、値段を聞くと10ドン、断ると5ドンと言いながら塗ってきました。ノーテンキューと断りながら早歩きしてまくことができました。きちんと断れたことが嬉しくて、そのあとはるんるんでした。

見知らぬ土地で携帯が使えなくなる!?

この日はサパに行く日。サパに行くバスを、世界一周大学の校長先生をしているまさとさんがついてきてくださり、無事購入しました。

バスまで3時間ほどあり、町なかを散歩することに。おみやげをみたり、アクセサリーをみたりしたいました。池の周りでフルーツジュースを買って飲んでいると、まさかの携帯を落としました(涙)(涙)(涙)

携帯の右1/3は全く使えなくなり、2/3は動くときと動かないときがある状況。このまま、携帯が動かなくなったら、見知らぬ土地でどうしようととっても不安になりました。グーグルマップも動いたり動かなかったりするので現地の人に、
「My cellephone was broken. I want to go a cellephone shop!」
って3人ぐらいの人に聞き、無事到着。スクリーンだけが壊れていたらしく20分で直すことができました。世界一周した人が良く課題解決能力が身につくって言っていたけど、こういうことなのかな~。無事、サパに行くバスにも間に合って良かったです。

ホテルになぜか泊まれない

サパには6時間ほどの寝台列車にのって移動しました。サパのバス停につき、タクシーに乗ってホテルへ。でもこのホテルでなぜかチェックインができませんでした(泣)

agodaで予約したのですが、agodaでは販売していないと言われました。私はすでにクレジットカードで支払っていたため、なぜ泊まれないのか分かりません。急に電話を渡され、カタコトの日本語でagodaから売上金をもらっていないことを教えてもらったり。徐々に話していくと、新しくオーナーが変わったことを教えてもらい、前のオーナーがagodaで販売しているのかもしれないという結果になりました。優しそうなホテルの方だったけど、もしこれが詐欺だったらどうしようと疑いの気持ちも持っていました。2時間ほど、チェックインできずに話して、agodaからの連絡を待つことで意見が一緒になり、ようやくチェックインすることができました。次の日は、先住民の方の家にホームステイできるのかひとりで交渉しないといけない、今日のホテルでうまくいかず明日の交渉は騙されたらどうしようと不安に思いながら寝ました。

翻訳機で1時間以上話した(´;ω;`)

次の日、agodaからオーナーに連絡があり、私が現金でホテルに支払いし、agodaから私に返金してもらうことになりました。

先住民の家でホームステイ🏠

いよいよこの日は、ひとりでホームステイを交渉しないといけません。前日にホテルの騒動があり晩御飯を食べそびれていたのでモーニングを食べにカフェに行きました。

その帰りに、街を散策していると、先住民の3人の方に商品を買わないかと話しかけられました。商品は買わないけどホームステイ先を探していることを伝えると、ホームステイもできるとのことでした。日本円で6000円でディナー、モーニング、ランチ、トレッキングがついているというで、ここでホームステイをすることにしました。

棚田の間や道路を3時間ほど歩きました。

サパに来た1番の目的である棚田を見ることができ、この時点で大満足。

棚田💛

棚田って見るだけで癒されて、その見ているだけという余白の時間が幸せに感じることができるから、私は棚田が大好きです。そんな棚田を見ながら、先住民の方と沢山お話をしました。英語は、観光客を相手にするために学校に行き学んだそうです。私の家族のことを聞かれ、家族を説明しました。先住民の方が、

「日本のようにお金がないから、大学まで行くことができず、女の人の結婚は15歳ぐらいでする。」

と言っていたことが衝撃でした。反応にも困りました。私は、たまたま日本に生まれたから、生きていくための保証がたくさんあります。私が何かしたわけでもないのに。

家にようやくつくと、そこにはホストマザーの子供たちがいました。

家のキッチンと右端はシャワー&食器あらう場所

晩御飯までの間はその子供の女の子とみさんがを編みました。みさんが編むのが難しすぎて、半分以上私が作っていないけどミサンガは完成することができました。

家の中で外をぼんやり見ていると目の前に鳥がいたり、犬がいたり、ドアの外にはバッファローが歩いたり。日本にない非日常を感じることができました。日本は犬を癒し目的で勝っており、サパの先住民の家では、お米を育てるときに犬がいた方が楽だから飼っていると知りました。日本の犬は、人間によって来る性格が多いけど、サパの犬は全然よってきませんでした。当たり前だけど犬も違う国で生まれたら違う生活スタイルがあることを実感することができました。

晩御飯は家族みんなで食べました。

味付けはシンプルな塩でした。

サパの学校に行ったときに細い子しかいないことが印象的でしたが、晩ご飯はたくさんあるのに、子供たちはあまり食べていませんでした。貧困で、食べる物が少ないというイメージとは異なっていました。それと、ひとりで食べたハンバーガーよりも、みんなで食べるあたたかいごはんの方が、私は好きだなということも知ることもできました。   

ご飯を食べるとあたりは真っ暗になっていました。まだ早い時間だけど、沢山動いて疲れていたため、いつもより硬いベッドでもぐっすり眠ることができました。

翌日、朝5時ぐらいにおきると家の小さな明かりがついていました。そこには昨日一緒にミサンガを作ってくれた女の子が勉強していました。この子は、学年でもトップレベルに成績が良いそうで、家に賞状も飾ってありました。机といすが同じ高さで、体を机にへばりつけながら勉強をしていました。その姿を見て、勉強がしやすい机とイスがあること、大学に行けること、こうして旅ができることがとても恵まれているということおなじ生活をすることで感じることができました。

子供たちは急いでご飯を食べて、学校に行き、ホストマザーは私に先住民の服を着せてくださいました。マリファナでできたカラフルな服をきて写真を撮り着替えてからトレッキングへ。

2日目は、だいぶリラックスできたからか英語が聞き取りやすくなっていました。滝に行き、レストランでチャーハンを食べました。その後ホストマザーが1週間かけて作った手作りのバッグを日本円で1200円で購入。

ホストマザー💛どっすぴん、、、!

サパのホームステイをしている期間は、生まれる国によって生活水準が異なることを目の当たりにした。たまたま日本に生まれたから、自分は何もしていないのに、1時間働けば900円が必ずもらえる環境がある。将来の選択肢もたくさんあり、なんにでもなることができる可能性が大きい。この恵まれた環境がどれほどありがたいのか、周りのせいにして逃げてしまうことがある自分が醜く感じた経験となりました。

バスで乗り過ごすも高速道路で…

サパで沢山の経験をし、浮かれていたのか、バスに乗ってもすぐには寝れませんでした。ようやく眠ると、起きたら空港に止まっていました。私の思っていた方向の空港ではなかったため、降りずに、バスは出発。グーグルマップで調べるとさっき止まった空港が私のおりたい空港だったことが発覚。

ハノイの町についてそこから行くこともできるけど、一番どういう行き方がいいのか聞いてみようと思い、運転手とその補助?(補助の人は、寝台列車で客と同様に寝転んだりしてた)の人に、空港に行きたいけど、どうやって行くべきか聞きました。すると、補助の人が電話をしてくれてベトナム語で何か話されました。何を言っているのか分からなかったので、とりあえず止まった駅でおりてタクシーに乗ろうと思いました。止まった駅で降りようとすると、降りることを止められました。私が不安そうだったからか、運転手の隣の席に座るように促されました。そして、進んでいき、急に高速道路の途中で止まり、補助の人が、反対方向に走るバスまで連れて行ってくれました。ベトナム語で何言ってるのか分からず、バスに乗るとそのバスは空港に向かうバスで空港まで行くことができました。

ベトナムの人同士の会話は、言い争ってる?と思ったら急に笑いあったりしていて、強い口調(大きい声だからかな?)で話すのが普通なのだと思うけど、私が聞いたときはとても優しい口調で話してくれて(ベトナム語は分からないけど)、バスを止めてまで逆方向のバスに乗らせてくれることがすごい親切に感じて、現地の人にも沢山支えてもらって旅ができているなと思いました。

ドキドキの空港泊

サパで空港券が電波の関係なのか予約できず、当日になると値段が6000円から10000円に上がっていました。その日に帰るとなると夜で交通機関がないため、高いタクシー料金もかかります。そのため次の日だと6000円でタクシー代もいらないため、午前の飛行機を予約し、空港泊をすることにしました。

空港の休憩するイスに座り形態をいじっているとたまたま前の席にいた夫婦も空港泊でした。誰もいなくなり、空港のライトが薄暗くなりました。私は、バッグカップを抱きかかえながら寝ることにしました。前の席の夫婦は、代わりばんこに起きていました。

パッと目が覚めると男の人が、前の夫婦に近づきドキドキしましたが、タクシーにのらないかというものでした。ひとりで空港泊するのは、暗い空港でとても怖かったので、もうしません。(><)

ベトナムのパトカーに乗る!!?

5時45分の飛行機に乗る予定なので4時半に起きましたが、あたりはまだ暗く、エレベーターで、荷物を預けるカウンターにいくも、ホーチミン行きがありませんでした。グランドスタッフの人に聞くと、ここは国際線で国内線は1km離れていると教えてもらいました。でも、日本のような国内線がどっちにあるのか看板もなく、Google mapで調べても空港にピン止めがされていて国内線がどこにあるのか全く分かりませんでした。そこで、とりあえずここではないことが分かったから、人に聞きながら行こうと思って、1階におりて警備員の人に聞いたと思ったら、その人は警察官でした!そして、パトカーで送ってくれることに。パトカーの中は、音楽が流れてて、窓を開けて片手運転する警察官がとてもかっこよかったです。乗った後に、何円か聞くと、警察官だからいらないと断られました。本当に、人に支えられて旅ができてるなと思いました。

ひとり旅を支えてくださった人たち

ハノイの空港で、話しかけてくれてタクシーで送ってくれたポーランドの方も、
携帯の画面が割れたとき、携帯ショップを聞いたら快く教えてくれた方も、
前のオーナーがagodaに掲載してたのが原因でずっと対応してくれたホテルのオーナーも、
ホームステイさせてくれたサパの先住民族の方も、
国内線までパトカーで送ってくれた警察官の方も、

バスのチケットを一緒に買いに行ってくれたまさとさんも、
まさとさんをつなげてくれたそーちゃんも、
サパに着いた時、不安で電話かけたなおこも、
ひとり旅の出発するとき背中押してくれたしゅうも、
宿でチェックインできないとき、夜遅くまで相談乗ってくれたたけみも、

たくさんの支えがあってこそ、ひとり旅ができたんだなと感じます。
本当に、ありがとうございました!!かけがえのない、一生わすれることのない、大切な思い出ができました!!

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