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ネガティブフィードバックを曖昧にする危険性に気づいたお話。

皆さんはネガティブフィードバック、得意ですか?苦手ですか?

私は、ネガティブフィードバックはどちらかというと苦手な方です。されるのは好きなんです。割とネガティブなことでも、自分の成長につながるのではれば「どんどん言ってほしい!」と思うタイプです。

ネガティブフィードバックが苦手だと感じる理由は、自分が見た世界をそのまま伝えて、たまにそれが相手にとっては断定(決めつけ)に聞こえてしまうこともあり、受け取りづらく感じさせた経験があるからです。

その経験から、ネガティブフィードバックを相手にする際はできる限り、自分が見えている世界が本当にそうか?と一度立ち止まって整理してから伝えるようにしています。

そもそもフィードバックとは、このように定義されています。ある論文から引っ張ってきました。

「自分のパフォーマンスや理解に関して、エージェント(教師、仲間、本、親、自己、経験など)から提供される情報」(Hattie and Timperley, 2007, p. 81)

他にも、こんな定義もあります。

「あなた自身に関する情報を得ること」
「人々や経験から、あなた自身について学ぶ方法」
(Stone and Heen, 2015)

「人々や経験から、あなた自身について学ぶ方法」という定義が個人的にはとても良いなあと思います。

つまり、フィードバックはする側も、受け取る側も、どちらも重要なんですよね。


大学院の授業で、とある部下を想定して、その部下の上司役になって、部下の伸び代(ネガティブ)をフィードバックで伝える、という授業がありました。

その授業で、自分自身が上司役になってフィードバックをやってみて気づいたことがありました。それは、「断定」を避ける、ということ。

冒頭にも書いたのですが、これまで「断定」で伝えてきてうまくいかなかった経験から、断定を避けるようになってしまっていたんですね。

具体的に言うと、「断定」は人とのフォールトライン(分断線)を作る行為になりうると思っていて、自分の見えている世界だけで判断していることが気持ち悪いと感じていること、それが目の前の人との関係性に溝を作る行為だと思っているということに気づきました。

おそらく、自分の過去の経験からも、しっかり話を聞いてもらえないまま、「それってこうだと思うよ」「こうだからだよ」と断定されて、嫌な気持ちになったことがあったのも、大きく影響しているような気がしています。

でも、一方で、ネガティブフィードバックをやってみるという体験をして、伝えなければいけないことを曖昧にする危険性も感じたんです。

相手との関係性が悪くなることや相手を傷つけてしまうのではないかと恐れて、本当に伝える必要があることを伝えない。もしくは伝えても誤魔化してしまったり、曖昧にしてしまう。

曖昧にすることによって、結局何を伝えられたかが相手もわからず何も伝わらなかったということや、また同じような過ちが繰り返されること、伝えなかった結果、チームに良い影響を与えず、プロジェクトが失敗してしまうことなども考えられます。

宇宙飛行士の若田さんがこんな言葉を残しています。

「ネガティブ・フィードバックを行う際は、慎重に言葉を選びつつ、指摘する目的を具体的に説明し、改善したら個人・チームにとってどのような効果が得られるのかまで、きちんと伝えた。」

なぜ今このタイミングでこのフィードバックをするのか、このフィードバックが個人とチームの未来にどう繋がっているのかということまで説明する、という姿勢に目から鱗でした。

私たちは、どこへ向かおうとしているのか。向かう方向性は合っているか。そのために、変える必要があるのであれば、曖昧にするのではなく、ちゃんと伝える。そして、変えた結果、個人・チームがどのような効果が得られるかという未来まで想像する。

自分のフィードバックの癖に気づくだけでなく、大切にしたい姿勢が見つかった授業でした。

皆さんはどんなフィードバックの姿勢を心がけたいですか?

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