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私の、違和感との向き合い方。

日常の中での違和感は、特に忙しない日々を送っていると、違和感を感じても「ま、いっか」と流してしまうこともあると思います。

もしくは、「自分の気のせいかも」と思ったり。

私もそうやって流していた時期もあったのですが、こうやって自分の違和感を流してしまった人とはどんどん疎遠になっていきました。

違和感を流してしまうと、自分が感じた違和感の正体がわからないままなので、またその違和感を感じることが嫌で違和感を感じた相手と距離を置いてしまうんですよね。

なので、感じた違和感があれば、その都度「何が違和感だったんだろう?」と考えて咀嚼するようにしています。

あるときは、自分が感じた違和感は相手の態度や言動が要因ではなくて、受け取った自分の解釈が要因だと気づいたこともありました。

違和感は、感じることにも気づくことにもエネルギーがかかります。エネルギーがかかるからこそ、感じるスイッチをオフにしたり、気づいてもなかったことにしたくなる時があるのですが、とても大事なサインであることがほとんどなので、必ず取り上げるようにしています。

そして必要であれば、相手にも感じた違和感を伝えるようにしています。

ただ、自分が感じた違和感を伝えることは決して簡単なことではないとわかっているので、「そうしていこう!」という強い意志をもつ為に、自社の行動指針を「違和感を愛でる」というフレーズにしています。

合同会社&anteの行動指針

この行動指針をつくってから、自社内ではお互いの言動などで感じた違和感は、「今、違和感を愛でているのだけど」と伝え合うことが増えました。

自分たちが大切にしたいと思う行動を言語化して共有しておくと、それは共通認識となり、行動しやすくなることがわかりました。

今日は、自分が違和感を感じた時に、どう向き合うかについて記してみようと思います。

これが正しい、良いという話ではなく、あくまでも私の視点からのお話です。


そもそも違和感の正体


ちなみに、皆さんは違和感って、どんな時に感じますか?

人と話しているとき。
とある空間にいたとき。
初対面の人に会ったとき。

色々なシーンが思い浮かびます。

そもそも違和感とは何か、調べてみました。辞書的にはこう記されていました。

違和感(いわかん)とは、自身の感覚や認識と現実の状況が一致しないときに生じる心理的な不快感を指す言葉である。これは、人間が日常生活を送る上で自然と形成される期待や予測が外れたとき、または自身の価値観や信念と矛盾する事象に遭遇したときに特に強く感じられる。

Weblio辞書より

なるほど、自身の感覚や認識と現実の状況が一致しないときに生じる心理的な不快感のことを言うそうです。


既に相手の世界の中で決めつけている形で表出された、と思った時

私が違和感を感じるときは、例えば、「自分の持っている考え方や価値観をそっと置いたり交わしたりという柔軟性がなく、既に決めつけている形で表出された」と思った時です。わかりやすい例で言うと、こんな感じです。

相手「今、仕事何してるの?」
私「今は起業して、自分で会社やってるよ」
相手「へー、女性が起業って大変でしょ。男性になめられない?」

これは実際にあった例ではなく極端にわかりやすくした例です。女性が起業するということ自体がこの人にとっては大変であり、世間からなめられるものである、という解釈なのだと思うのですが、私の考え方としては女性であろうが、男性であろうが、あまり関係ないんじゃない?って思ったりします。

女性で起業=大変、と決めつけられている状態なんですよね。

こういったコミュニケーションは、違和感に感じます。

これは一つの例ですが、こういった「あれ?」と思うことは程度の差はあれ、日常の中で起こると思います。

もちろん、人はそもそもそれぞれ違う考え方や価値観を持っているという前提に立っていても、違和感を感じないようにコントロールできるものではないと私は思っているので、違和感に感じた自分にまずは、気づくようにしています。

自分が伝えた方が良いと思うなら伝える

とはいえ、感じた違和感を何でもかんでも相手に伝えることが良いとは思っていません。実際に伝えてみて、うまくいかなかったこともありました。

そもそも違和感を相手に伝えるのか、伝えないのか議論はあると思うのですが、私の結論は「自分が伝えた方が良いと思うなら伝える」です。

伝えなくても良いかな、これは自分の中に留めておいて良いかな、と思うものは伝えません。一方で、これは伝えた方が良いと思う、と自分が思ったものは必ず伝えます。

そして、自分が感じた違和感を伝える時に一つ気を付けていることがあります。それは、必ず疑問系で伝えること。

「あなたのこの言葉が、私にはこう聞こえて、違和感に感じたんだよね」
と伝えられるのと、
「あなたのこの言葉が私にはこう聞こえて違和感に感じたのだけど、どういう意図でその言葉を伝えてくれたの?」

と伝えられるのでは、どっちが受け取りやすいですか?

人は、断定で伝えられると受け取りたくなくなることがあると思います。私が冒頭で話していた「決めつけ」のように感じると思うんですよね。

「あなたのこの言葉が、私にはこう聞こえて、違和感に感じたんだよね」だけだと、「ごめんなさい」しか言えないと思うんです。

一方で、「どういう意図だったの?」という質問があるだけで、自分の解釈が違う可能性もあるから、あなたの考えていたことを聞かせてほしい、という相手への歩み寄りも感じられるのではと思います。

自分が感じた違和感は大切にしつつ、自分だけが正しい、と思いすぎないこと。相手には相手の違和感センサーや大切にしたいことがあります。


ちなみに、相手から自分への違和感を伝えられることって、特に受け取り慣れていない時はショックに感じてしまう時もあります。

私自身も、社内のメンバーから「違和感を愛でてるから伝えるね」って言われた時に、「あ、なんか不快なこと感じさせちゃったかな」とどきっとしたり。

どうしても違和感=ネガティブという印象がつきまとっているからだと思うのですが、中には私のように構えてしまう人もいるのではと思います。

そういう時は、真正面に受け止めるというより、横に置いて眺める、というようなイメージでやり取りすると私は受け取りやすかったです。(日々、練習です)


以上が、私の違和感との向き合い方です。

私にとって違和感は、自分という存在と他者との関係性を一層深めてくれる大切なサインです。これからも、違和感を愛でていきたいと思います。





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