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<書評>『悲劇の死』

『悲劇の死 The Death of Tragedy』ジョージ・スタイナー George Steiner 喜志哲雄 蜂谷昭雄訳 筑摩書房 1979年 原書は1961年

『悲劇の死』

 本書の内容は、もちろん本文が中心なのだが、スタイナーによる最後の解説的な第10章とそれを補足する訳者の解説は、最初に読むべきだと思った。最初に読んでいれば、本文の感じ方がかなり異なった気がする。

 アメリカ人ジョージ・スタイナーは、オーストリア系ユダヤ人ゲオルゲ(ヨルゲ)・スタインであり、ユダヤ人として生活したが、ナチスドイツの迫害を逃れてスタイナー家族は1940年にアメリカに逃げた。歴史的からはこの決断は正解だった。

 当然、ヨーロッパに残ったスタイナーの(ユダヤ人の)知人・友人は、強制収容所で虐殺された。一方、スタイナーが戦後ポーランドを訪ねとき、列車の中でポーランド人から、戦争末期のソ連人捕虜たちが飢餓から人肉食を行い、解放したソ連軍将校によって証拠隠滅のため銃殺されたことを聞かされたことを、スタイナーは第10章の冒頭で述べる。スタイナーの過去には、こうしたユダヤ人虐殺と戦争の重い記憶が刻まれ、自らが「生き残った」という負い目を背負っている。

 ところでスタイナーは、幼時からドイツ語、フランス語、英語を日常的に使い分ける環境で暮らし、成長してからはイタリア語にも親しんでいる。そのため、本書に書かれている歴史上の悲劇作家たちの作品を、ギリシア語・ラテン語の古典やロシア語・ノルウェー語などは別として、ラシーヌもシェイクスピアもゲーテも、全て原書で原語の意味や音を確かめながら読みこなしている。これは、私のような日本語に翻訳したものでしか読めない人間とは、文学研究上の雲泥の差がある。そして、本書のようなヨーロッパ悲劇についての歴史的考察を行うのに、これほど最適の人間はいないと言わざるを得ない。

 私は、以上のスタイナーの持っている特別な背景を知らずにいた上に、読み始める前には現代文化に関する評論だと勝手に決めつけていたため、読み進めていくうちに細かい演劇史の考察が延々と続くことにやや閉口してしまった。また、こうした専門的な演劇論は、一般の読者には読み辛い印象があると感じた。

 さすがにギリシア悲劇やシェイクスピアについては、その作品を未読であっても、様々な形でストーリーや概要を知る機会があるので理解しやすいが、ラシーヌとかコルネイユなどのフランス中世演劇については、その歴史的価値と西洋史の授業で出てくる名前であることは知っていても、彼らの作品を読んだことがある人や、まして観劇した日本人は多くないと思う(フランス語が堪能であるスタイナー自身も、フランス人でない外国人がフランス語の原典を読んだ人は少ないだろうと述べている)。

 そういう前提がある中で、馴染みのないラシーヌとコルネイユに関する専門的な演劇論を延々と読まされるのは、正直ちょっと辛いものがあった。私のような無学浅学な者から勝手なことを言わせてもらえれば、例えば20世紀の文化や演劇との関係でラシーヌやコルネイユを論じてくれたら、もっと親近感と興味が湧いて意欲的に読めたのではないかと思う(なお現代演劇を論じる第9章に、ようやくこの観点からのラシーヌやコルネイユ論が出てくる)。

 とはいえ、そうした過去の偉大な悲劇作家たちについての論評を読んでいくに従い、この一冊を読むことで、いつのまにか西洋演劇史を包括的に学んでいることに気づいた。そうなのだ、本書を読むだけで、基本的な西洋演劇史をひととおり学べることになるのだ。これは良い本だと思う。特に西洋演劇を学ぶ者には必読書であり、大学の教科書に採用してもおかしくないくらいだ。

 なお、スタイナーが述べるとおり、西洋演劇史で史上最高の悲劇作品はギリシア悲劇であり、作家としてソフォクレスやエウリピデスの名が挙げられるのは当然だろう。そして、その後のヨーロッパにおける演劇の歴史は、(シェイクスピアは、ギリシア悲劇を十分に承知していなかったかも知れないが)、このギリシア悲劇をその時代に再現・再興すること(あるいはその全否定)が目的・テーマになっていたと述べ、それらは部分的な成功を収めたが、ギリシア悲劇を越えるまたは並ぶ悲劇作品は、もう作ることはできないとスタイナーは結論している。

 その理由として、韻文から散文へと言語芸術の主体が変化したこと、古代宗教やキリスト教が支配していた時代の民衆に対して、現代の民衆は神話の世界に生きていないことを挙げる。その結果、科学主義の浸透を反映したマルクス主義などの社会思想という新たな神話を創作するか、またはロマン主義の延長として作家個人の世界に限定した神話を新たに作るしか、現代に悲劇を創作する(民衆の)基盤そのものがなくなっていることを、スタイナーは強調している。

(なお、本の帯にある「悲劇が衰退したのは、現実の悲劇性が増大したためである。」という理由を、私は本書の中から明確に見つけられなかった。現実の悲劇性という言葉が、過激かつ恣意的な社会思想や作家個人の神話を創造した結末を意味しているのであれば理解できるが、スタイナー自身が経験した20世紀の悲劇的事件が、悲劇としての創作行為を阻害しているとは思えない。現実の悲劇的事件から人が受ける衝撃は、ギリシア時代も現代でも余り変わらないはずだ。)

 ところで、ギリシア悲劇の再現という目的に向かって最も近づいたのは、リヒャルト・ワーグナーの楽劇だと私は思っているが、スタイナーはそうは見ておらず、失敗例だとしている。本書第8章でスタイナーはワーグナーに言及しているが、晩年のニーチェが、それまで賛美していたワーグナーを批判した言葉である「退廃的」という言葉を使って、ワーグナーの楽劇は悲劇の再現にならなかったと述べている(別の言葉で言えば、悲劇ではなく音楽劇でしかなかったと述べている)。

 しかし、私はギリシア悲劇の根源はコロスにあると見ているので、それを再現したのはワーグナーのコーラス(合唱曲)であること、またギリシア神話に代わるゲルマン神話を背景にすることで、やはりワーグナーはギリシア悲劇を限りなく再現できた作家ではないかと考えている。実際、ワーグナーの楽劇には、ギリシア悲劇に近い感動を得られると思う。

 ワーグナー以降の演劇史としてスタイナーは、現代に通じるイプセン、ストリンドベリ、チェーホフ、ショーらの作品を論じていくが、すでにラシーヌもシェイクスピアの影響も残存していない、悲劇そのものの概念が無くなってしまったと嘆く。さらに、本書を書いた頃のスタイナーは、私の好きなサミュエル・ベケットらについては、これから研究していくとして明確な評論をしていない(その後『脱領域の知性』で取り上げているが、悲劇作家としては評価していない)。

 たしかにベケットの作品には、神話的な背景はない。もちろんコロスに相応するものもない。なによりもギリシア悲劇が持っていた大衆性とは正反対な、一部の特別な人(つまり、ベケット作品の背景となっている、20世紀を支配した実存主義や現象学などの思想に親しんだ人)を対象にしている趣がある。そういう観点からは、ベケット作品はギリシア悲劇の歴史からは最も遠いところにあると思う。

 なおスタイナーは、20世紀に入ってから著しく発展した映画(映像作品)については、悲劇の候補として見ていない。ワーグナーの楽劇やオペラは候補として評論しているのに対して、どこか片手落ちという感じを私は持った。たしかに映画には、スタイナーが悲劇の条件としている韻文や詩は、現代劇以上に入り込む余地はない。なぜなら、映画という芸術は台詞を聞かせるものではなく、第一に映像を見せるものだからだ。映像には、韻文も詩も入り込まない。

 例えば、テオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』は、20世紀に再現されたギリシア悲劇と映画評論家たちに絶賛されたが、登場人物たちのセリフは散文であり、しかも20世紀の口語である。そして舞台は第二次世界大戦下のドイツに占領されたギリシアだ。たとえ登場人物の名前やストーリーが、ギリシアの神々と英雄による悲劇と同じものであっても、内容は似ても似つかぬ世界でしかない。こうしたことからも、スタイナーの映画に対する評価は正しいのだろう。

 やはり結論としては、現実が悲劇以上になったという理由は同意できないが、人類の思考の進化(退化?)により、ギリシア悲劇の世界が再来することはないし、歴史の流れの必然として、ルネサンスがそうであったように、古代の再現そのものは不可能なことであり、再現という名の新たな創造しか方法はないのだと思う。つまり、ベケットが「ゴドーを待ちながら」の登場人物に言わせた「前へ進め」ということに尽きるのだ。たとえ、その先に地獄の深淵が待ち受けているとしても、人は後戻りはできず、ただ前へ、新たな悲劇の創造へ進むだけなのだ。

 本書の中で、参考になった部分が多々あった。それを抜粋しておく。その中には、スタイナーが書いたものでは当然ない演劇のセリフも含まれているが、それを引用したことにスタイナーの意図があるものと見なして、同様に抜粋した。これを通して読めば、本書の内容が概観できるかも知れない。また、要点を太字で強調した。

P.39
 しかし諺にも言う通り、葡萄酒はよその土地へもって行くと味が変わる。フランス以外の国では、コルネイユやラシーヌの味が分かるのは大体において特殊な詩人や学者に限られている。『ル・シッド』、『オラース』、『フェードル』、『アタリー』などが時たま上演されるはするが、でき上るのは生きた演劇というよりもむしろ博物館の陳列品である。

P.79
 ・・・コルネイユやラシーヌが、フランス以外の国の演劇的環境なり文学的伝統なりにとって《翻訳不能》だという問題である。彼らの作品があれほどの力と多様性をもっていながら、ごく狭い範囲の人々にしか訴えないのは、私にはやはり不思議に思われる。しかしこの事実は、新古典主義の理想がもっていた限界によって、ある程度は説明できよう。新古典主義戯曲においては、行動はすべて言葉の内部に含まれているのだ、舞台上のしぐさや装置などの要素は、最小限度必要なものだけに限られている。ところが、劇の中でいちばん翻訳しやすいのは、まさに感覚に訴えるこういう要素なのだ。それは目だの身体だのという普遍的な言葉の世界のものであって、特定の国語に縛られない。台詞が意図した効果のすべてを伝えねばならない場合には、翻訳の――と言うより、再創造の――奇跡が必要なのだ。

P.149
 中産階級の興隆とともに、世間の事柄の重心は公的なものから私的なものに移った。・・・これまでは、ある行動は、高貴の人物を巻きこみ、公衆の眼前で行われる場合に限って、悲劇にふさわしい幅をもつとされた。悲劇の主人公の背後には、コロスなり群衆なりじっと見守っている延臣なりが立っているのである。ところが18世紀になって初めて私的悲劇という観念が現れる。・・・そして私的悲劇は、演劇ではなくて小説という新しく発展している芸術の好む領域となった。小説は単に中産階級の新しくて世俗的で合理的で私的な世界を呈示しただけではなかった。それはまた、近代の都市文化の断片化した受容者にとって、まさに適切な文学形式という役割をも果たしたのである。

P.176
 『メッシナの花嫁』の序文の中で、シラーはコロスの役割を明快に分析している。彼はコロスを必要な非現実感をもたらす手段であるとする。詩劇は、現実で同時に幻でもあるような――と言うより、上演という特別な虚構の範囲内においてのみ現実であるような――一連の行動を表現する。劇的行動を形式的言辞という儀式的動作という壁で取り囲むことによって、コロスは観客に対して必要な距離感を押し付けることになる。それによって現実は想像されたものとなるのだ。この点でシラーの議論は、ブレヒトが提出した観客と戯曲の間の《異化》という概念を先取りしている。第二に、シラーはコロスの存在に豪華な「抒情的つづれ織り」を見てとっている。これを背景にすれば、劇の行動はしかるべき威厳をもって展開しうるというわけだ。コロスの吟唱は、劇の事件を日常的な話し言葉の次元から引き上げる。最後に、シラーはコロスが悲劇に息抜きの要素を導入すると信じている。つまり、それは暴力の尖った角(かど)を丸くし、そうすることによって観客の精神が、絶望に陥ることなく悲劇的恐怖を目撃することを可能にするというのである。

P.187
 韻文と悲劇はどちらも貴族生活の領域に属している。喜劇はもっと低い階級の芸術だ。それは悲劇の舞台から追放された物質的状況だの肉体的機能だのを劇化する傾向がある。喜劇の人物は肉を超越したりはせず、その中に浸り切っている。悲劇の宮殿には便所はないが、喜劇は誕生のそのときから尿瓶(しびん)を使っていた、悲劇においてば、人々が食事をしたりいびきをかいたりするところは現れない。だが、アリストパネスやメナンドロスの芸術には、ナイトキャップや料理用の柄杓(ひしゃく)が頻出する。そしてこういうものによって、われわれは下方へ、散文の世界へ押しやられるのである。

P.208
リア 腰から下はつまりケンタウロス、女というのは腰から上だけのことにすぎぬ。腰帯のところまでだけは神々のもの、その下はすべて悪魔の領分だ。それこそは、地獄、暗黒、硫黄の噴き出す穴、ただ燃えたぎって、悪臭と腐敗を発散している。いとわしい、ああ!いまわしい!(第四幕第五場)

P.213
 古典的ないしシェイクスピア的な伝統において守られていた悲劇の理想は、リアリスティックな散文の普及という現象だけでなく、音楽によっても戦いを挑まれた。19世紀後半には、オペラが悲劇の遺産に対する相続権を真剣に主張するようになるのである。この主張はあらゆるグランド・オペラにこめられているが、現実の裏づけをもつことは稀にしかない。オペラの大多数は作曲された台本――人間の声と管弦楽とに伴われたり飾り立てられたりした言葉――にすぎない。言葉と音楽の間には形式的な一致関係があるだけであり、劇的行動の展開は、台詞を語るよりもむしろ歌うという手がこんでいて不自然な約束事に依存するのである。音楽はテクストのまわりに一定の規則に従って強調なり適当な気分なりを作り出すのであって、言葉と融け合って完全な劇形式を創造するところまでは行かない

 ・・・モーツァルトは音楽のもつ劇的表現力を完全に使いこなしていた。そして彼の数々のオペラを聴くと、17世紀以降は演劇から影を潜めていた悲劇的神話や悲劇的行為の約束事に生気を与えることができるのは、音楽だけではなかったかという気がしてくる。しかしモーツァルトには直接の後継者がいなかった。

P.215
 『パルジファル』の音の網に誘いこまれた聴き手は、この伝説において具体化している神秘的な信仰を直接に感覚で経験することになる。そしてこれこそがワーグナーの狙いであった。ニュートン以後の合理主義の浅薄な熱意は、知性と信仰との架橋を破壊してしまったが、音楽がそれを再建するだろうというのである。・・・ニーチェに刺激されて、ワーグナーは古い劇の例を自らの演劇観をまとめるために自信をもって利用した。ニーチェと同じように、彼も悲劇は音楽と舞踏から生まれたのだと主張した。台詞劇は長いまわり道だったのであり、悲劇は音楽に戻ることによって実はその本来のあり方に戻るのである。ソクラテス的ないしヴォルテール的な懐疑主義の痕をとどめている近代の言葉には、音楽の助けを借りなければ、もはや人間の内部に神話的意義の暗黒の泉を湧出させることができない、と彼は主張した。

 ・・・ワーグナーの作品はオペラのレパートリーの中では大きな位置を今度とも占めるに違いない。しかし彼の仕事は、劇におけるロマン派とヴィクトリア朝との伝統との終末を意味している。リヒャルト・シュトラウスの場合を除けば、現代のオペラはワーグナーに続いたのではなくて彼に叛逆したのだ。現代的上演をどれほど懸命に試みても、バイロイトは今日では古めかしい神殿にすぎない。

P.218-219
 イプセンは、17世紀終わり以後、一流の劇作家が必ず試み、それでいてゲーテやワーグナーのような人物でさえも完全になしとげられずにいたことを、みごとにやってのけた。すなわち、彼は新しい神話を創造し、また、それを表現するための劇的約束事をも創り出したのである。これがイプセンの天才の最大の成果なのだが、このことは未だに十分には理解されていない。

 すでに見た通り、悲劇の衰退は有機的な世界観の衰退と、また、こういう世界観に付随する神話的・象徴的・祭式的意味大系の衰退と、分かちがたく結びついている。ギリシア劇はこういう意味大系の上に成立したのであり、エリザベス朝の人々も、また想像力を働かしてこういうものにすることができた。こんなふうに秩序と様式をそなえた人生観は、寓喩と表徴的行動を選ぶ傾向を含んでいるが、すでにラシーヌの時代にこれは衰え始めていた。しかしラシーヌは、新古典主義の約束事を懸命に守ることによって、もはや信仰にささえられてはいない古い神話に、生きた形式がもつ生気を賦与することができたのだ。彼はみごとな後衛的行為を果たしたのである。しかし、ラシーヌ以後、悲劇を支える意味大系となっていた、意識し即座にそれと認めるという古い習癖は、もはや広く行きわたったものではなくなった。

 だからイプセンは文字通り真空状態に直面したのだ。彼は自らの戯曲のために観念的な意味の体系(効果的な神話)を創造せねばならなかった。彼はまた、リアリズム劇のふしだらさに浸されていた観客に向かって自分の意味するところを伝える手段として、象徴や劇的約束事を考えださねばならなかった。いわば彼は、新しい言語を作り出し、次いでそれを読者に教えこまねばならない作家のような立場にいたのである。

 一流の戦い手だったイプセンは、自らにとって不利な点を逆に有利な立場に変えた。つまり彼は、近代人の信仰の不確かさや想像力に支えられた世界観の欠如そのものを、出発点としたのである。世界の成り立ちを説明したり人間を世界と和解させたりする神話がない世界に、われわれは裸で生きているのだ。イプセンの戯曲の前提には、神は人間界の出来事から手を引いたのだとする考え方がある。そして神が手を引いたことによって、人間界には、生命をもってはいないが悪意にみちた宇宙から、冷たい風がほしいままに吹き込むようになっている。

P.238-239
 マクベスをとりこにする悪魔の誘惑の性質を伝えるには註は要らなかったし、恩寵を司る者へのハムレットの訴えは、神学的解説を加えなくても痛切に感じとれた。劇作家は共通の地盤の存在に依存していた。彼と社会との間には一種の理解の絆があらかじめ結ばれていたのである。平均律音階における音楽の約束事を受け容れることを前提としてクラシック音楽が成立しているように、シェイクスピア劇は共通の期待感をもった観客の集団の存在を前提にしているのだ。だが、この絆は、ヒエラルキーを基礎とした古い世界像が崩壊するとともに切れてしまった。

・・・デカルトとニュートンの時代以降に支配的であった神話は理性の神話である。それは真実でないという意味ではおそらくそれ以前の神話と同じであろうが、芸術にとり入れにくいという点ではこの方が著しい。

P.246
 どれほどの劇的工夫を凝らしても、現代の世界の鋭くて細い光のもとでは復讐の女神がそれらしく見えることはないであろう。古代とは現代が思いのままにはめることができる手袋のようなものではない。ギリシア劇が依存した神話とは、伝統に即した総体的な人生観の表現だったのである。詩人が観客に対して恐怖なり歓喜なりを直ちに伝えることができたのは、両者が同じ信じ方の慣行をもっていたからだ。そしてこの慣行が時代遅れになってしまうと、それに照応する神話も生命をうしなったりまがいものと化したりする。

P.259
 ベケットの場合はもっと興味深い。彼はアイルランド文学とのつながりを通じて、明白な喜劇的非痛感を受け継いでいる。『ゴドーを待ちながら』には、われわれの道徳のあり方が病んでいることを――現代の深淵と恐怖に立ち向かうには言葉や行為が無力であるということを――苦しくなるほど生き生きと捉えているところがときどき現れる。だがこの場合にも、われわれの前にあるのが真の意味での劇なのかどうか、私は疑問に思う。ベケットは《反(アンチ)ドラマ》を書いているのだ。

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