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<芸術一般・エッセイ>ナンデ君とダカラ氏との12の対話(そしてときどき、ワカッタ嬢の闖入)(後編)


6.ナンデ君「なんで、生き物を殺したらいけないのですか」

 ナンデ君、少しわかったような顔をしながら、今日もダカラ氏の家を訪ねてきた。

ナ「死ぬことを避けなきゃというのは、なんとなくわかったんだけど、じゃあ、今度は殺すこと、もちろん人を殺すのはいけないのはわかっているけど、他の生き物、例えばハエや蚊、そしてゴキブリとかは、普通に殺していますよね。・・・これって、どうなんだろう?」
ダ「うん、それも大変に難しい問題だね。・・・そして、その答えを一番簡単に出しているのは、実は宗教なんだ」
ダ「例えばヒンズー教では、輪廻転生といって、神様や人は、他のいろんな生き物に生まれ変わると信じている。だから、今はゴキブリであっても、もしかしたら神様の生まれ変わりかも知れないと考えて、殺さないようにしている」
ナ「じゃあ、蚊に刺されても殺さないの?」
ダ「厳格なヒンズー教徒、つまりカーストでいえば最上級のバラモンの人たちは特に、蚊が刺していると、息を吹きかけて逃がすようにしているね」
ナ「そんなことしたら、マラリアとかの病気になっちゃうじゃない?」
ダ「そうなんだ、そうやって人に害を与える生き物を殺してはいけないとしたら、今度は人が殺されてしまうことにつながる」
ナ「僕はヒンズー教徒じゃないし、輪廻転生とやらも信じないから、ハエや蚊を殺すし、台所にゴキブリが出て来たら、殺虫剤をかけるよ」

ダ「それは、間違っているとは言えないけど、できれば殺さないで済めば良いね」
ナ「それは、逃がすっていうことですか?でも、そうするとゴキブリはものすごく繁殖しちゃいますよ?」
ダ「繁殖、良いことに気が付いたね。これは例えば、森に住むクマ、キツネ、タヌキ、シカ、イノシシなどが、畑にやってきて作物を荒らす被害があるよね。特にクマは人を襲うから、かなり危険だね。また毒蛇や毒虫も危険だ。こうした害獣や害虫と言われている生き物たちに対しては、逃がすことはしないし、人は殺してしまう。なぜなら、そうしないと自分たちが殺されてしまうからだ」

ダ「これは、人の側の勝手な理屈であるけど、台所のゴキブリを殺すように、仕方ないことと受け容れるしかないんだ。でも、その次に考えられることがある」
ダ「つまり、クマや毒蛇が住むところと人が住んで畑を作ることに境界を作れば、お互いが殺し合いをしないで済むよね。もちろん、土地の問題とかいろいろと出てくるし、もっと言えば、野生生物がもともと住んでいた場所に、人が勝手に入り込んでいるのだから、人が出ていけば良いという考えもあるだろう」
ダ「でも、こういう時にはなにか一つのことにこだわったり、一方の側を正解として、別の側を間違っていると責めたりすることは、避けなければいけない重要なことなんだ。なぜなら、正解は一つだけじゃないし、いろんな状況で答えは変わってくるからね」

ナ「とういうことは、ダカラさんでも、この問題には答えられない、ということですか」
ダ「正確にいうと、答えを簡単に出せない。その時やその場所で答えが変わってくるというのが、答えかな」
ナ「それじゃ、僕は何をどうすれば良いのでしょう?」
ダ「自分が判断しなければならないときに、今いったようなことを全て踏まえた上で、例えば食べ物にハエがたかっていたら、『すまないね』とでも言いながら、殺すのかな。もちろん、友達が憎らしいからといって、『すまないね』などと言って殺すのは論外だけどね」
ナ「『すまないね』ですか」
ダ「もし仏教の阿弥陀経なら、『南無阿弥陀仏』だね」
ワ「すまないね、ナンデ」と言いながら、ナンデのお尻を叩く。
ナ「なにすんだよ、おねえちゃん!」
ワ「だって、ナンデは私にとって害虫だからね」
ダ「そういうことじゃないよ!」

7.ナンデ君「なんで、協力や助け合いをするのですか」

 ナンデ君、お姉ちゃんとの仲が悪いらしく、いつもけんかしているので、ダカラ氏が年配者らしく注意している。

ダ「まったく、つまらないことで兄弟げんかをするじゃない!」
ナとワ「はい・・・」
ナ「次の質問だけど、ダカラさん」
ダ「今度は何かね?また、死ぬとか殺すとか、ぶっそうなことかね?」
ナ「いいえ、違いますよ」
ナ「さっき、殺し合いとかけんかをしあうとかは避けなきゃいけないと聞いたけど、逆に協力しあったり、助け合ったりするのは、なんで必要なのかな、と思って・・・」
ダ「うん、そうだね。人はお互いに協力しあったり、助け合ったりしている。それは、人と他の生き物の間にもある。それがなぜかっていうことだね」

ダ「そりゃあ、例えば無人島に一人で暮らしたら、他の人と協力したり、助け合ったりすることはないし、また他の人のことを気遣いすることもない。つまり、自分勝手に生きられるということだ」
ダ「そうやって自分勝手に生きられるとしても、一人だと出来ないことが沢山ある。特に病気やけがをしたときは、他の人に助けてもらわなくちゃいけない。そして、無人島ではない、人が沢山いるナンデ君がいる世界は、お互いが協力しあい助け合うことで、自分の生活を維持できているよね」
ナ「たしかに、水、食べ物、電気やガス、ごみの処理とかそうだし、電車やバスに乗るときも、他の人にやってもらっています」
ダ「そう、だからわざわざ協力し合いとか、助け合いとかいわなくても、無人島にでも住まない限り、人は当たり前のように協力し合って、また助け合っていきている。それが、社会の仕組みだ」

ダ「だから、普通に生活しているときに、わざわざ特別に他の人に協力しようとか、助け合おうとか、そうした何かを探すことまでは必要ないと思うね。もちろん、そうした気持ちを常に持って、例えば困った人がいたら助けてあげるとか、人の手が必要なときには、率先して参加するとか、そういうことで十分なのだと思う」
ナ「それはわかるのですが、なぜそうしなければならないかという、そのことを知りたいのです」
ダ「簡単にいったら、そうなっているという答えになる。さっきまで今ナンデ君が生きている社会について話したけど、人が生きているこの世界は、人と人が協力しあい、助け合いをすることでしか、成り立っていないものになっている。なぜそうなったかと言えば、人の歴史がそうするように進化してきたからだ」

ダ「人がなぜそういう方向に進化したかと言えば、それは人が生きるために一番良いものだと信じたからだ。だから、今の世の中がとっても良いとまでは言わないけど、既にこうなっている以上、もう後戻りはできないからね。これからもっと良い世の中にしていくために、お互いに協力しあい、助け合いをしていく、そういうことなんだろうね」
ナ「ふーん、なんだか難しいけど、困った人がいたら、僕も助けるようにしたいな」
ワ「ナンデ!私はお金に困っているから、あんたのお小遣いで私を助けてちょうだい!」
ナ「もう、お姉ちゃんは自分勝手なんだから・・・」

8.ナンデ君「なんで、宗教はあるのですか」

ナンデ君は、毎日ダカラ氏と対話を続けるうちに、少しは世の中のことがわかってきた気がした。そして、ダカラ氏の答えに出てくる宗教というものについて、少しばかり興味が出てきた。そこで、ダカラ氏に聞いてみることにした。

ナ「ダカラさん、宗教ってなんであるんですか」
ダ「おやおや、またまたとても難しい質問だね。・・・ところで、ナンデ君の家は何教、または何宗?」
ナ「お父さんに聞いたら、うちは昔から浄土真宗だって言ってた。お墓参りするお寺には、歴史の教科書に載っている親鸞というお坊さんの絵が飾ってあったよ」
ダ「そうか、浄土真宗は別名真宗ともいって、日本で一番信者が多い仏教だね。そして、お経は南無阿弥陀仏と唱える。これは、阿弥陀様という偉い仏さんに帰依する、つまり心の底から仕えます、という意味だね」
ナ「そうなんだ。僕はそんなことも知らずに、お坊さんに従って、南無阿弥陀仏と言ってた」
ダ「普通はそんなものだろうし、またそれでいいと思うよ。でも、ナンデ君の家でも墓参りするときは、お寺に行くけど、その時だけは仏教徒になっているわけだね」
ナ「はい、いつもはそうじゃないです」

ダ「そんなわけで、日本では宗教はあまり生活の中に入っていないよね。生まれたら神社でお祓いしてもらい、結婚式はキリスト教、お葬式は仏教というのが、普通にあるくらいだから、日本人は皆無宗教って答える人が多い」
ナ「僕も無宗教だから、なんで宗教があるのかなと思ったんですよ」
ダ「でも、無宗教と言っても、例えば宝くじを買ったりしたら、『一等賞が当たりますように』って神様にお願いするだろう。それから、神社やお寺にお参りしたら、『試験で良い点数が取れますように』とか『可愛い彼女ができますように』とか、いろいろとお願いするだろう?」
ナ「はい、お賽銭を払って、沢山のお願いごとをするけど、なかなか実現しないのがくやしいです」
ダ「そりゃあそうだ。神様だって、みんなのお願いごとを全て実現していたらキリがないし、そんなことしたら、世の中がおかしくなっちまうよ」
ナ「じゃあ、神様のお願いするのは意味がないのかな」
ダ「そんなことはない。お願いした後、そのお願いを実現するために、自分ができることを必死にやればいいと思うよ。そうすれば、実現するかも知れない」

ダ「そして、そうしたことにナンデ君が考えている宗教があるのじゃないのかな。つまり、何かをしたい、欲しいと思って、自分で頑張ろうとしてもなかなか自分だけではうまくいかないものだ。そこで、宗教の神様・仏様にお願いすることで、自分自身にはっぱをかけられる。それに、もしかしたら神様や仏様が、自分が努力しているかどうか、空から見ているかも知れないと思うと、自然とサボろうとしなくなるだろう」
ダ「そうして、誰も見ていないから悪いことしてもいいや、という弱い気持ちを押さえてくれる。また、何か困ったことがあったとき、『この時、神様や仏様にお願いしたら、もしかしたら助けてくれるかも』って考って、もう少し頑張ることもできる」

ダ「もしそこに、なにも支えてくれるものがないと、人って不安定で、危なっかしい状態になるけど、誰か、または何か支えてくれるものがあると、たったそれだけで安定して、安心できるものなんだ。そして、それが多くの人にとっての宗教だろうね」
ナ「じゃあ、僕は無宗教だから、宗教に代わるものを探さないとだめですね」
ダ「だめってことはないけど、私も宗教を信じる気持ちになれなかったから、その代わりにいろいろな本を読んだりして、支えになるものを探してきたよ」
ナ「そうか、そういう手があるんだ、…僕もそうしよう」
ワ「そうよ、ナンデ! もっともっと勉強して、良い大学に入って、それから大きな会社に入って、私に良い先輩を結婚相手に紹介しなさいよ!」
ダ「そういう意味じゃないけどね・・・」

9.ナンデ君「なんで、言葉はあるのですか」

 ナンデ君は、ダカラ氏からの説明を聞いていくうちに、日に日に賢くなっていくようである。そして、最近はいろいろな難しい本を図書館で借りて読みだした。そうしてある日、ダカラ氏にまた質問してみることにした。

ナ「ふだん何気なく使っているけど、なんで言葉があるのですか」
ダ「おっ、ナンデ君は日に日に難しいことを聞いてくるね。言葉とは何かだって、それは本当に哲学の問題だね。例えば旧約聖書には、神様は最初に言葉を人に与えたとなっているね。でも、その後神様のようなことをやろうとしたから、つまりそれはバベルの塔という天に届くような高い建物を作ろうとしたから、作業ができないように人々の言葉をバラバラにしたということも書いてある」
ナ「そうなんです、言葉は一つだけではないし、例え言葉がなくても、本当はテレパシーで会話できるとか。それと人と動物が会話できるのであれば、言葉はいらないのじゃないかと思って・・・」
ダ「ふむふむ。ナンデ君との会話も、対話らしくなってきたね」
ナ「対話?」
ダ「噛み砕いて言うと、対等に議論をするような会話だね」
ナ「僕は、ダカラさんに教えてもらっているだけですよ」
ダ「それじゃ、もっともっと責任重大だな」

ダ「ところで、なんで言葉があるのかということだけど、現生人類の前に、ネアンデルタール人というのがいたのを学校で教わったと思う。このネアンデルタール人は、現生人類とあまり変わらない人たちで、実際現生人類の中にもDNAが残っているそうだが、大きな違いは、つまりネアンデルタールが滅亡した理由は、言葉を使えなかったということらしい」
ダ「言葉って、何に使うかと言えば、お互いの意志の疎通だけではなくて、情報の伝達という役割がある。これは、誰かが獲物を見つけたら、獲物がいる場所にいかないまま別の人にそこを教えることができるし、昔あったこと、つまり歴史だね、それを若い世代に伝えることができる」

ダ「つまり、原始時代から現代まで、人類が進化し、いろんなことが発展したのは、全て言葉があったからだと言える。もし言葉がなければ、特に原始時代の人はだいたい30歳までに死んでいるから、せっかく苦労して覚えた知識がその人だけで終わることになってしまうが、言葉があることでずっと後の世代まで伝えることが出来たわけだ」
ダ「さらに、言葉を文字に記録することで、人類は飛躍的に発展した。これは言葉があったおかげだと言えるし、言葉があることで、人は言葉を通して物事を考えることができた」
ダ「言葉だけで考えられるということは、実際にこの世にないもの、神とか昔や未来のこととか、遠い世界のこととか、別の人の考えていることとか、そうしたものを考えることもできたんだ」

ダ「つまり、人が人であるための、万能のツールが言葉なのだろうね」
ナ「でも、言葉は便利すぎて、ものごとを失敗したり、人を傷つけたりもあるし、言わなければ良かったのになあ、ということも一杯ありますよ」
ナ「だから、いっそ言葉を使わないで、テレパシーで会話できたら便利だろうなあと思って・・・」
ダ「たしかに、言葉が便利すぎたり、また言葉を信じすぎたりして、人は多くの失敗をしているけど、だからと言って言葉を無くしてしまうことはできないと思うね。また、テレパシーを使えるようになっても、それはそれで言葉のように行き違いが出てくると思うよ」
ナ「そうか、言葉を使うことは用心しなければならないということかな。そして、言葉を大切に使いたいな」
ダ「そうだね。言葉って軽いものだと思ったら、それは大間違いで、とても重いもの、大事なものだと思った方がいいね」
ワ「そうよね、ナンデも私の言葉を女王の言葉として聞いてちょうだい!」
ナ「もう、お姉ちゃんは・・・」

10.ナンデ君「人が生きているとは、なんですか」

 ナンデ君が、真剣な顔をして歩きながら、ダカラ氏の玄関をノックしてきた。最近のナンデ君は、まるでハムレットのような顔つきになっている。どうやら思春期になったらしい。

ナ「ダカラさん、この前ニュースで見たんですけど、もう100歳近いお爺さんが、老人ホームのボランティアをしていて、それが生きがいになっていると言ってました。また別のニュースでは、大学生が就職した後すぐに辞めてしまう理由として、生きがいがないということが多いと言ってました」
ナ「この、生きがいってなんなのですか。つまり、人が生きているとはどういうことなのですか。息をしていることとか、死んでいないからといった、肩透かしの答えはだめですよ」
ダ「こりゃ、またまた賢くなったなあ。私の教育が良いからだな、ハハハ」
ダ「おっと、そんなことを言うとナンデ君に叱られてしまうから、ここは真剣に考えて、・・・いやいつも真剣に考えているけどね、人が生きているとは何かを考えてみることにしよう」

ダ「まず、考えやすくするために、人が生物として生きてはいるが、本当に生きていないと感じるとき、つまり生きがいがないのはどういうことだろうか」
ナ「例えば、病院で生命維持装置を付けられている植物人間状態ですか」
ダ「それもあるが、もっと普通に楽しく生きているように外部から見えるけど、本人の心の中では楽しくない、生きている実感がないというようなことはないかな」
ナ「お金持ちなので生活の不安はないけど、家族はバラバラで、本気で話せる友達もいないとか?」
ダ「そうだね、それは良い例だと思う」

ダ「そこで、今挙げた例のどこが、生きがいがないことなのだろう?」
ナ「家族で楽しく会話するとか、友達といろんなことを語り合うとか、・・・つまり今僕がダカラさんと話しているようなことが、できないことかな?」
ダ「そうか、そう言ってくれるのはとても嬉しい。つまり、今こうして話をしていて、ナンデ君と私は、生きがいを感じているということだね」
ナ「はい、少なくともつまらない、面白くないとは感じないし、こうして話をしていると、とても楽しいです」
ダ「それは、生きがいのひとつだね。つまり、本音で会話できているということだね」

ダ「そして、ここで生きがいの条件が一つ見つかったね。つまり、自分だけではなくて、相手が必要ということさ。そして、その相手と十分な意志の疎通ができているということだ」
ナ「それがあれば、人が生きていることになりますか」
ダ「これも会話と同じに、ひとつの生きがいの条件だと思う。そして、他にも探せばもっといろいろとあると思う。例えば、家の掃除をして家族から感謝されるとか、困っているひとを助けて感謝されるとか、いろいろあると思う」
ナ「そうしたこと全てが、人が生きていると思える、生きがいになるのですか」
ダ「そうだね、それは人それぞれでちょっとずつ違うけど、誰かのために役立つことをしているというのは、生きがいになるね」
ナ「そして、それが生きていることの意味にもなると」
ダ「そうだね、そしてそうするのもしないのも、実は自分次第なのさ」
ワ「そうよね、だからナンデ、私のいうことを聞きなさい!」
ナ「でも、そこに僕は生きがいを感じられないよ・・・」

11.ナンデ君「なんで、私はこの世に生まれたのですか」

 最近のナンデ君は、ダカラ氏からの話を聞き続けたせいだろうか、まるで見てはいけない闇の底を知ってしまったように、どこか深刻な顔をしている。そして、思いつめたようにして、ダカラ氏に尋ねてきた。

ナ「ダカラさんからいろいろと教えてもらって良かったと思うのですけど、何か、わかればわかるほど、わからないことが増えてくるように感じるんです。・・・そして、今一番気にかかっていることは、自分がなんでこの世に生まれてきたのだろう、ということなんです。それは、僕がこの世に生まれてきて何をすべきかということでもあるんです」
ダ「フーン、ナンデ君はもう、いっぱしの哲学者みたいなことを言うようになったね。日本で言えば、旧制高校の学生のような感じか。・・・あっ、これはちょっと例が古すぎたな。でも、旧制高校の学生は、ハムレットの『生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ』なんて、深刻な顔をしながら、芸者と遊んでいたけど。・・・(笑いながら)芸者遊びは余計かな」
ナ「芸者遊びなんて、僕なんかの庶民には絶対に無理な世界だし、そんなことができる余裕があれば、僕みたいに悩んでいる暇はないんじゃないですか?・・・それよりも、人がこの世に生まれる意味を教えてくださいよ」

ダ「うーん、益々難しくなったな。この世に生まれる意味なんて、ちゃんとした答えを出せた哲学者はいないし、また宗教の世界でもいろんな意味付けをしているけど、結局は本人次第なんだ。つまり、哲学者や宗教が出した答えを自分が信じて従うどうかということさ」
ナ「答えはなくても、信じられるのですか」
ダ「答えはないが、自分でこれだと思って選んだことを、とりあえずそれを答えと信じて、その後の人生を生きていく、こんな感じかな」
ナ「なるほど、それでダカラさんがとりあえずでも選んだものは、なんなのですか」

ダ「・・・恥ずかしいから教えない・・・とは言えないね。でも、これが正しい答えとは思わずに、自分で考える材料にするつもりで聞いてほしい」
ダ「私が選んだ考え方は、こんな感じだ。古代ギリシア神話の世界では、この世で最善のことは生まれなかったこと、次善のことはすぐに死ぬこととした思想が多かった。それはたぶん、戦争や病気などの災厄が多すぎることを憂えたのと、それから難しくなるけど、それまで人と自然とが調和していた世界が、人が進化することによって対立するようになったことが背景にあるという見方もある」

ダ「そうした、いわゆるペシミズムやニヒリズムと呼ばれる悲観的な考え方の世界にはまっていると、そこでできることは隠棲という社会から逃げる道しかないことになる。でも、人は他人という意味での他者との関係があってこそ、生きている、生きられているから、社会から逃避することは解決策にはならない」
ダ「そこで何をどうするかということになるが、私が今一番自分にしっくりと合っているなあと感じるのは、仏教の一つである禅の世界なんだ」

ダ「禅では、もちろん坐禅という厳しい修行をすることをモットーとする宗派もあるが、かならずしも坐禅だけが修行だとは言っていない。毎日、きちんと寺の皆の食事を作ること、寺の掃除をすること、毎日規則正しく生活すること、経典などを読書すること、読経すること、人に親切にすること、家族を大切にすること、こういった普通に生きている中で行っていることも、修行になると言っている」

ダ「だから私は、特別に生まれてきた意味や、生まれてきた目的を探す必要はないし、また無理して作ることではないと思っている。自然に、この自然はどこか老子の道教に近いものがあるけど、いわば無為自然ということで、何もしない手つかずのそのままの自然にある環境や出来事という意味なんだが、この自然にある中で、いつものとおり自分がその日その日にやるべきことを、真面目に一所懸命に行うことだと思っている」

ダ「そして、毎日一所懸命に生きていけば、たぶん死ぬときになって、自分の生まれたきた目的は、生まれてきた意味は、こういうことだったのだなあと、ぼんやりと気づくかも知れない」
ナ「気づかなかったら、寂しいですね」
ダ「それもまた良し。気づかないということが、その人の生まれてきた意味だと思うから。全てが正解であり、間違った答えはない。禅で言えば、すべてが丸、つまり大きな丸い円の中に入っているというイメージだね」

ナ「じゃあ、とりあえず今の僕ができることは、勉強するとか、家のことを手伝うとか、そんなことですね」
ダ「ナンデ君が、そう思うなら、そしてそれを選んだのなら、それが答えだと思うよ」
ワ「そうよ、ナンデ、私の宿題を代わりにやってよ!」
ナ「お姉ちゃん、もしやったらお姉ちゃんの修行にならないよ?」

12.ナンデ君「なんで、宇宙はあるのですか」

 ナンデ君は、もう一人前の哲学者になった気でいる。そして、ダカラ氏に究極の質問をしようと思い立った。

ナ「なんで、僕らの生きている宇宙はあるのですか。神様が作ったのですか。それとも、特別優れた宇宙人が作ったのですか。」
ダ「そうか、ついにナンデ君もここまできたか・・・。それは、昔からずっと続く究極の問題だね。そして、新しいことが発見されるたびに、どんどんとわからない、知らない世界が無限に広がっていく、そんな課題だね」
ナ「この問題については、なにもわかっていないんですか」

ダ「いや、歴史の時間が進むにつれて、特にアインシュタインの相対性理論とボーアの量子力学によって、宇宙の解明は飛躍的に進歩した。また、望遠鏡自体も単なる鏡の反射から、電波やその他の粒子を測定するものが出来た上に、地球軌道上に打ち上げたハッブル望遠鏡などの鮮明な情報によって、昔は得られなかった知識が、どんどんと増えている。例えば、ブラックホールは想像上のものでしかないと言われていたけど、今は存在が確認されているし、その働きと力もかなりわかってきている」

ナ「それは、物理学の世界のことですよね。僕はもっと哲学的な宇宙の理解が知りたいのです」
ダ「たしかに、特に古代から近世までは、哲学がそのまま今の宇宙物理学のように、物質を説明し、宇宙に関する論理を考えてきた。ところが、ニュートンやケプラーが出た後は、物理や宇宙のことについて、哲学の出る幕はなくなってしまった。代わりに、物理学や宇宙物理学の学者たちが、かつて哲学者が考えてきたようなことを考えるようになっている」
ダ「たとえば、難病と闘いながら宇宙物理学を研究したホーキングは、宇宙のことについて、また人が在ることについて、人間原理ということを言っている。それは、なぜ宇宙があるのか、なぜ人が在るのかという問いに対して、それは我々人類がいるからだという答えを出している。つまり、宇宙も人類も、まず我々人類が既にいまここにいることを前提にして、全て思考の対象になっている。だから、思考の対象になっている根拠は、人類がいることだという理屈だ」

ナ「なんだか禅問答みたいですね」
ダ「そう、最新の宇宙物理学の本を読むと、まるで禅問答みたいなことを書いてあったり、宗教的なイメージでの神や天使を持ち出したりしているものがある。19世紀末の哲学者ニーチェは、キリスト教の神は死んだと宣言したが、20世紀末になったら、神を否定する最先端の科学者が神の存在を述べるように変わっている」
ナ「じゃあ、宇宙を作ったのは神なのですか」
ダ「神という一般的な言葉の使い方からしたら、それは違うと思う。ただ、宇宙の仕組みがわかるにつれて、全てが偶然にできたとは思えないものが次々と出てきた。この地球という惑星があることもそうだし、ここに人類が生まれたこともそうだ。なにか、見えない力が予め決めているようにしか思えないくらい、うまく計画的に進められ、しかも失敗したらリセット、例えば地球では数回生物が絶滅した時代があるから、これは生物を作る試験で失敗したためのリセットとも見えるし、またそのリセットにしか見えない証拠が確認されている」

ダ「宇宙の誕生理論もそうだし、宇宙の大きさを知ること、宇宙の中に地球に似た惑星が沢山あることもみつかっている。生命体が地球だけに存在している理由を言うのは、かなり難しくなっている。ただ、生命体がいる惑星同士の距離は、とてつもなく遠すぎるから、相互に交流することはかなり確率が低い」
ナ「それじゃ、UFOはどうなんですか」
ダ「そう、UFOはずっと空想上のでっち上げで、実際にはそんなものはいないと馬鹿にされ、否定されてきた。しかし、最近アメリカ政府はUFOの存在を認めて証拠映像を公開したし、また古代遺跡からは、その時代に絶対に作れない高度な建築物や器具が発見されている。また、壁画には、宇宙人やUFOとしか見えないものが、沢山発見されている」

ナ「UFOや宇宙人は、大昔から地球に来ていたのですか」
ダ「そう信じる人が多くなっている。つまり、紀元前一万年頃の地球の、最初に文明が勃興したという、メソポタミア、エジプト、インド、中国の四ヶ所に、文明が高度に発達した宇宙人が来て、人類に鉄器、医薬品、宇宙の構造、建築のための数学などを教えたというのだ。しかも、その宇宙人同士の激しい戦いがあり、核爆弾も使われ、その証拠がモヘンジョダロのような古代都市遺跡にあるという。また、神話の中にそうした記述を読み取る人が沢山いる」
ダ「旧約聖書の中では、預言者といわれる人の中には、火の車輪のような(宇宙)船に乗って飛び去ったという記録も残されているから、そうした証言は他の宗教の経典にも沢山ある。仏教のマンダラは宇宙の構造を現わしているし、仏様の乗っている蓮の花は宇宙船かも知れない。仏教の霊的な鳥である迦陵頻伽(がりょうびんが)、インドネシアではガルーダといっているが、これは空中を自由に移動した鳥類型宇宙人のイメージを記録したものかもしれない」

ナ「なんだか、頭が追い付かない話になってきちゃったみたいです。僕もこれから、ダカラさんみたいに、沢山本を読んで、沢山の人の考えを学んで、ひとつのことに縛られない自由な考え方をして、知らないことを知り、わからなかったことをわかるようになりたいと思います。そのための、なにか心得みたいなことはありますか」
ダ「そうだなあ、これも禅の言葉を引用して、ちょっとわかり辛いかも知れないが、しいて言えば、無心ということかな」
ナ「無心。心が無いということですか」
ダ「いや、むしろ無い心があるということだ」

ナ「無い心、無の心ということですか」
ダ「そうだね。無の意味を説明すると、それだけで一冊の本になってしまうから、これは自分でいろんな本を読んでもらうことにして、今簡単に言うとすれば、無という言葉の中には、宇宙の全てが含まれている。そして、そうしたことを頭で無理やり考えるのではなく、心に自然に受け入れること、それが私の考えている無心という言葉の意味だね」
ナ「なるほど。それでは、ちょっと坐禅でもして、宇宙について考えてみることにします」

ワ「ナンデ、隙あり!(といいながら、ナンデの頭をはたく)」
ナ「何すんだよ、お姉ちゃん」
ワ「禅だの、無心だの、わかったようなことを偉そうに言うから、私が喝を入れてあげたのよ!」
ナ「喝って、そんなものじゃないと思うけどな・・・」
ダ「ハハハ、若い人達には敵わないな。・・・ここらで、年寄りの私は舞台から退場させてもらいましょう」と言いながら、ダカラ氏は空の上に消えていった、・・・ように見せかけて、自宅の書斎に隠れてしまった。

あとからそっと、ナンデ君とワカッタ嬢が覗いてみると、ダカラ氏はソファの上で、すやすやと気持ちよく、まるで死んでいるような静けさで寝ているのを見た。ナンデ君は、「まだまだ、教えてもらうことが沢山あるから、それまで長生きしてくださいよ」と独り言を漏らした。
そうナンデ君がつぶやいたのが聞こえたのか、ダカラ氏の口から少し息が洩れたような音が聞こえた。その日は夏至に近く、いつまでも日が沈まずに明るかった。ただ、夕陽がいつもより大きく見えたのは、目の錯覚だったのかも知れない。


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