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【敗北の味】シリーズ

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nutteを立ち上げるに至る経緯を、伊藤悠平(nutte社長)の半生とともにお話しできたらと思います。
運営しているクリエイター

#エッセイ

旅のはじまりは、後ろ向きで漕ぎ出したボートのように

旅のはじまりは、後ろ向きで漕ぎ出したボートのように

2014年11月16日。
『TOKYO STARTUP GATEWAY』決勝。

丸ビルホールという施設で、
数百人の観覧客を迎えてのプレゼン審査だ。

ピッチコンペ。
数百人を収容する会場。

高尾山のふもとの自宅アトリエで、
黙々と生きてきたわたしには想像が及ばない、
未体験の戦場。

これから、この茫漠とした空間で、
数百人を前にしたピッチに挑む。

数百人。

噛みそうな気がする。
恐怖で

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たとえこの先、どれだけ大きな代償と引き換えになっても

たとえこの先、どれだけ大きな代償と引き換えになっても

2014年9月。

『TOKYO STARTUP GATEWAY』
セミファイナリストに選ばれた。

80人から半分以上が落とされて、
34人が生き残ったようだ。

わたしの事業プランを鼻で笑った、
東大だかの学生は、もういない。
鼻で笑う気にもならない。

次の審査では、
ファイナリスト10名が選ばれる。

450人のうち10人。

狭き門だが関係ない。全員抜くと決めている。
いま34位なら、あ

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無職のおっさん、起業直前の1日

無職のおっさん、起業直前の1日

2015年。雨がしんしんと、
雪になりそうな、1月の寒い日。

嫁に捨てられた。

衣装をつくることを仕事にしてきた。
元嫁と、ふたりで。

その嫁が、
わたしを捨てて、出て行った。
ミシンと仕事を、ぜんぶ持って。

渋谷と恵比寿の中間地点。
住宅街にあって
静けさを保たれたマンションの一室。

2面から光が射し込む10坪のアトリエ。
工業用のミシンが何台も並んで
手狭だった仕事場。

それがぜん

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マンガみたいなカラフルな青春は、 わたしには来なかった

マンガみたいなカラフルな青春は、 わたしには来なかった

早稲田大学に通っていた。

高田馬場の校舎ではなく
埼玉にある人間科学部。
所沢から2駅先の小手指駅から、
バスだ。

1年生の夏休みにはインドに行った。
ひとりで1ヶ月間だ。
大雨でガンジス川があふれて
ヴァーラーナシーから逃げ出した。

インドに行くため、前期から
運送会社で仕分けのバイトで稼いだ。

2年生には小手指までたどり着けず
高田馬場で麻雀に明け暮れた。

おかげで2年の前期で
留年

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食うために働くなら、
ファッション業界は選ばない

食うために働くなら、 ファッション業界は選ばない

大学を卒業して、
新卒で入った会社を2年で辞めた、
26歳の春。

1年制の服飾専門学校に入学した。
何を間違えて、そんなことになったのか。
ファッションデザイナーになりたかった。

とにかく、ファッションデザイナーになる。
ブランドをつくる。

それならとにかく、専門学校だ。
1年間、ひたすら服を
つくり続ける日々を送った。

夜逃げみたいな巨大なカバンに
絵型と製図と縫製の道具。
文鎮を10個

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敗北の味

敗北の味

ブランドを立ち上げたら
展示会をやる。

そういうものだと思っていた。

工場を継承して、独立する少し前から
専門学校の同期の仲間と、
ブランドを立ち上げようとしていた。

成績優秀者が集まった、
本気でパリコレを目指していたチーム。

仲間。

仲間と熱狂を味わいたかった。

いっしょに夢を追いかける仲間。
背中をあずけて共に戦う仲間。

ビジネスのチームである以前に、
仲間だ。

大学時代に欲

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敗因は他にもある

敗因は他にもある

敗因をもうひとつ。

カネがなくなった。
使い果たした。

ファッションブランドという商売は、
カネがかかる。

ハンドメイドで手売りするなら
元手はかからないが、
展示会でバイヤーに買い付けてもらって
ショップに卸したいなら、
相応の生産体制が必要だ。

まず、生地で詰まる。

展示会には、展示するサンプルが要る。
つまり、商品のサンプルを1着つくって、
それを展示して、受注を取る。

サンプル

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ねずみが走ってカラカラ回すアレ

ねずみが走ってカラカラ回すアレ

2008年。31歳。ふりだしに戻る。
これから向こう数年、貧困にあえぐ。

結婚した。
彼女はゴリッゴリの縫製職人。
そして、とびっきりのコミュ障だ。

敗北の無念と、ままならない現状と。
そんな話をしたくなくて、
とにかく人に会いたくなくて。

コミュ障ふたりで、隠れるみたいに、
高尾山のふもとに住んだ。
誰とも連絡を取らなくなった。

駅前、4LDK、80平米、95,000円。
リビングに工業

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わたしだけ呼ばれないパーティーを覗き見して

わたしだけ呼ばれないパーティーを覗き見して

御輿に人を担ぎ上げるためには、
それを支える人が要る。

御輿そのものをつくる人、
担ぎ手と、彼らを手配して回す人。

仕組みの設計とオペレーション。

その構造は、
時に見落とされ、軽んじられる。
裏方なので、それはいい。

むしろ問題は、
担ぎ手自身が、自分の腕力を
信じられなくなってしまうことにある。

わたしたちはチャンスを掴んだ。
奇跡みたいな、信じられないチャンスを。

2013年。

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箱庭の奈落

箱庭の奈落

2015年。
しんしんと雨が降る、1月の寒い日。

嫁に捨てられた。

ミシンと仕事をぜんぶ持って
わたしを捨てて、出て行った。

衣装をつくるアトリエだったマンション。

渋谷区東。

渋谷駅から明治通りを恵比寿方面に。
並木橋の交差点を渡ると現れる、
低層の住宅街。

わたしのようなよそ者を、
迷わせてようとしているみたいに、
一方通行の細い道が入り組んでいる。

夜。
また、夜が来る。
真っ

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インターネットに興味はなかった。

インターネットに興味はなかった。

ガラケーを使っていた。
SNSどころか、LINEもよく知らない。
Twitterは、聞いたことはある。

パソコンは持っている。
これでも元DTP屋さんだ。

それでも、インターネットは、
メールと調べものに使う程度だ。

ビジネスコンテスト。
そういうものがあることは知っているが、
どんなものかは、よく知らない。

どちらも、わたしには関係ない。
そう思っていた。

少しさかのぼって、2014

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ビリからのリベンジ

ビリからのリベンジ

信じがたいことに、ビジネスコンテストの
エントリー審査を通過した。

「400字からはじまる、
世界を変えるスタートアップコンテスト」
『TOKYO STARTUP GATEWAY』

本格的な審査はこれから始まる。

全応募者450人くらいの中から、
80人ほどに残ったらしい。

とりあえず、
足切りは免れた、ということのようだ。

『TOKYO STARTUP GATEWAY』は
単に審査をす

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この事業で、いちばん大切なもの

この事業で、いちばん大切なもの

再チャレンジするのは、
もう、何度目になるだろう。

みっともなくて、数える気にもならない。
どちらかというと、忘れたいくらいだ。

もしもリセットボタンがあったなら、
間違いなく押していた。
あの時とあの時と、あの時。

残念な人生だ。

それはともかく、
また、ふりだしに立たされた、37歳の夏。
今度こそ本当に、ゼロからの再チャレンジだ。

これから、事業プランを考える。

まず、そもそも、

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