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伊藤悠平(nutte社長)
2019年3月29日 18:54
2014年11月16日。『TOKYO STARTUP GATEWAY』決勝。丸ビルホールという施設で、数百人の観覧客を迎えてのプレゼン審査だ。ピッチコンペ。数百人を収容する会場。高尾山のふもとの自宅アトリエで、黙々と生きてきたわたしには想像が及ばない、未体験の戦場。これから、この茫漠とした空間で、数百人を前にしたピッチに挑む。数百人。噛みそうな気がする。恐怖で
2019年3月15日 21:00
2014年9月。『TOKYO STARTUP GATEWAY』セミファイナリストに選ばれた。80人から半分以上が落とされて、34人が生き残ったようだ。わたしの事業プランを鼻で笑った、東大だかの学生は、もういない。鼻で笑う気にもならない。次の審査では、ファイナリスト10名が選ばれる。450人のうち10人。狭き門だが関係ない。全員抜くと決めている。いま34位なら、あ
2019年2月12日 20:01
2015年。雨がしんしんと、雪になりそうな、1月の寒い日。嫁に捨てられた。衣装をつくることを仕事にしてきた。元嫁と、ふたりで。その嫁が、わたしを捨てて、出て行った。ミシンと仕事を、ぜんぶ持って。渋谷と恵比寿の中間地点。住宅街にあって静けさを保たれたマンションの一室。2面から光が射し込む10坪のアトリエ。工業用のミシンが何台も並んで手狭だった仕事場。それがぜん
2019年2月13日 12:02
早稲田大学に通っていた。高田馬場の校舎ではなく埼玉にある人間科学部。所沢から2駅先の小手指駅から、バスだ。1年生の夏休みにはインドに行った。ひとりで1ヶ月間だ。大雨でガンジス川があふれてヴァーラーナシーから逃げ出した。インドに行くため、前期から運送会社で仕分けのバイトで稼いだ。2年生には小手指までたどり着けず高田馬場で麻雀に明け暮れた。おかげで2年の前期で留年
2019年2月13日 12:05
大学を卒業して、新卒で入った会社を2年で辞めた、26歳の春。1年制の服飾専門学校に入学した。何を間違えて、そんなことになったのか。ファッションデザイナーになりたかった。とにかく、ファッションデザイナーになる。ブランドをつくる。それならとにかく、専門学校だ。1年間、ひたすら服をつくり続ける日々を送った。夜逃げみたいな巨大なカバンに絵型と製図と縫製の道具。文鎮を10個
2019年2月14日 19:23
ブランドを立ち上げたら展示会をやる。そういうものだと思っていた。工場を継承して、独立する少し前から専門学校の同期の仲間と、ブランドを立ち上げようとしていた。成績優秀者が集まった、本気でパリコレを目指していたチーム。仲間。仲間と熱狂を味わいたかった。いっしょに夢を追いかける仲間。背中をあずけて共に戦う仲間。ビジネスのチームである以前に、仲間だ。大学時代に欲
2019年2月15日 12:15
敗因をもうひとつ。カネがなくなった。使い果たした。ファッションブランドという商売は、カネがかかる。ハンドメイドで手売りするなら元手はかからないが、展示会でバイヤーに買い付けてもらってショップに卸したいなら、相応の生産体制が必要だ。まず、生地で詰まる。展示会には、展示するサンプルが要る。つまり、商品のサンプルを1着つくって、それを展示して、受注を取る。サンプル
2019年2月20日 16:45
2008年。31歳。ふりだしに戻る。これから向こう数年、貧困にあえぐ。結婚した。彼女はゴリッゴリの縫製職人。そして、とびっきりのコミュ障だ。敗北の無念と、ままならない現状と。そんな話をしたくなくて、とにかく人に会いたくなくて。コミュ障ふたりで、隠れるみたいに、高尾山のふもとに住んだ。誰とも連絡を取らなくなった。駅前、4LDK、80平米、95,000円。リビングに工業
2019年2月21日 13:01
御輿に人を担ぎ上げるためには、それを支える人が要る。御輿そのものをつくる人、担ぎ手と、彼らを手配して回す人。仕組みの設計とオペレーション。その構造は、時に見落とされ、軽んじられる。裏方なので、それはいい。むしろ問題は、担ぎ手自身が、自分の腕力を信じられなくなってしまうことにある。わたしたちはチャンスを掴んだ。奇跡みたいな、信じられないチャンスを。2013年。
2019年2月27日 16:29
2015年。しんしんと雨が降る、1月の寒い日。嫁に捨てられた。ミシンと仕事をぜんぶ持ってわたしを捨てて、出て行った。衣装をつくるアトリエだったマンション。渋谷区東。渋谷駅から明治通りを恵比寿方面に。並木橋の交差点を渡ると現れる、低層の住宅街。わたしのようなよそ者を、迷わせてようとしているみたいに、一方通行の細い道が入り組んでいる。夜。また、夜が来る。真っ
2019年2月28日 22:16
ガラケーを使っていた。SNSどころか、LINEもよく知らない。Twitterは、聞いたことはある。パソコンは持っている。これでも元DTP屋さんだ。それでも、インターネットは、メールと調べものに使う程度だ。 ビジネスコンテスト。そういうものがあることは知っているが、どんなものかは、よく知らない。どちらも、わたしには関係ない。そう思っていた。少しさかのぼって、2014
2019年3月4日 21:56
信じがたいことに、ビジネスコンテストのエントリー審査を通過した。「400字からはじまる、世界を変えるスタートアップコンテスト」『TOKYO STARTUP GATEWAY』本格的な審査はこれから始まる。全応募者450人くらいの中から、80人ほどに残ったらしい。とりあえず、足切りは免れた、ということのようだ。『TOKYO STARTUP GATEWAY』は単に審査をす
2019年3月6日 21:00
再チャレンジするのは、もう、何度目になるだろう。みっともなくて、数える気にもならない。どちらかというと、忘れたいくらいだ。もしもリセットボタンがあったなら、間違いなく押していた。あの時とあの時と、あの時。残念な人生だ。それはともかく、また、ふりだしに立たされた、37歳の夏。今度こそ本当に、ゼロからの再チャレンジだ。これから、事業プランを考える。まず、そもそも、