教 え る 側 は 、 教 わ る 側 か ら 学 ぶ こ と が 沢 山 あ る
こんちには。田中雄大です。
よく驚かれることがあるんですが、教員免許を持っている。
学校や先生あれほど嫌いだったのに、
気づけば先生になる資格を持っている(笑)
将来人を教えることをするのであれば、子供たちに触れておこうと考えて、
大学時代に子供に4年間ほど水泳を教えていたことがある。
沢山の子供と関わって、いろんなことを与えてもらった。
教えてもらっていたのは僕だったような気がする。
そんなところから今回は、指導側と選手側の関係性について書く。
尊敬から入ると子供の見え方が180度変わってくる
コーチや監督、指導者という立場と、選手の教わる側、がどちらかといえば、指導者側の方が立場が上に見える。
だから感謝をしているは、選手側ばかりのことが多い。
本当にそうなのか?
選手は体を酷使してトレーニングや、練習をしていく。一生懸命、時間という命を使っていることを指導側は忘れては行けないと思う。
そして習い事でもそれは同じで、教えると教わるは一対で、お互いの信頼関係がない中で教育というものは生まれない。指導側に、情熱や愛がそこになければ、選手側にとっても伝わるものも伝わらない。
選手側に対して指導者側が尊敬をするということが、指導者として必要になる。
尊敬から来る言葉は相手の胸に届く。
尊敬のない言葉は相手の胸に刺さりもしないから何も生まれない。
先生と言われていることに慣れてはいないか?
先生と呼ばれる人が偉い立場や、権力があるという自覚がないと今の自分の居場所は、自分が作ったものと思いがちの人は多い。
僕はその姿を反面教師にしながら生きてきたタイプの方だ。
自分のポリシーや信念を曲げられてはたまるかと思って、監督や先生に向かって抗議を起こす時もあった。
僕ができているというかどうかはわからないが、日本は立場が違いすぎて、あるべき姿があるのではないかと問いたい。
指導を受けてくれてありがとう。
指導してくれてありがとう。
こんな会話が行き来する未来になれば、より幸せな気持ちになって、お互いが尊敬し合う関係が生まれるのじゃないかと考える。
今もう一度自分を見直すとき
自分はどんな風に周りに映っているかどうかはわからない。
しかし、人間は”人の間で生きる”ことで、人間になる。
いろんな立場に立ちながら、関係を築いていくことになる。
そこに尊敬はあるのかと自分に問いながら今日も生きる。
以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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