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24時間の台風航海とジャスミンティー

遅めの夏休みに、憧れの小笠原諸島は父島に行ってきた。ずっとずっとずっと憧れだったが、同時に行くのにものすごくハードルが高いイメージがずっとありなかなか踏み切れなかった場所である。

なぜハードルが高いか?というと、あらゆるものが加速に加速を重ねていく昨今において、父島に行くには船で24時間かかるのだ。24時間、船!口にするだけでインパクトのあるその旅路がどんどんデカいイメージとなっていき、行かない選択肢の裏付けとして成長していったのだ。

しかし、今年ついに行くことにした。
昨年の屋久島もそうなのだが、思い立ってしまったのだ。変な話ものすごくめまぐるしい日々を夫婦共々送りまくっていて、24時間どころか1週間があっという間なのである。そんな折に降って湧いたような遅めの夏休みの許可であった。24時間は短い。そんな日々の中でまとまって休める。じゃあもういいじゃないか、行こう。となって計画したのだった。

船を取ったのは2ヶ月くらい前であったろうか。割と計画性が必要かつ我々的には超高級品の部類のチケット、これはどんなひとが取るんだろうか…と思いを馳せたのを覚えている(いざ来てみたところ、時節もあってか長い夏休みの若者と人生の大先輩方という感じの面々であった)。

さて、9月の夏休みは比較的値段も人混みもピーク時より落ち着いていて大好きなのだが、唯一台風シーズンなのが玉に瑕。自然には勝てないので泣く泣く見送る何かがあるかもしれないなぁという思いがいつも先立つ。
今回の旅の始まりも、台風13号の影響で大雨も大雨であった。竹芝に向かう道すがら、新橋駅付近の高架下は水浸しだった。やっとの思いでコンビニに辿り着き、デカいジャスミンティーを手にとってほうほうのていでお会計をしたのだった。

わたしはジャスミンティーが大好きなのである。初めて飲んだ時がいつだったかは忘れてしまったが、初めて飲んだ時に花を飲んだと思わずにいられない不思議な気持ちになったことは覚えている。しげしげと黄金色のお茶をペットポトル越しに見つめて、本当…?という気持ちになったこと、その間もみずみずしい水分となって全身に染み渡っていくその芳香がたまらなく心地良かったことも。それ以来、スーパーやコンビニにおいては他の飲料に気が向かない限りだいたいいつもジャスミンティーを選ぶ傾向にあり、今回も然りであった。

ところで小笠原に向かう船『おがさわら丸』、以下おがまるはマジで強かった。先日の台風の感じでは全然出航するし、伴って船酔い態勢が整いすぎている。乗船してすぐ受付のデスクに大量の金属製の洗面器が並べられていた。用途は言うまでもない。加えて、我々がお世話になった船室の場合だと枕元に冷蔵庫があったり、バスルームのドアは開きっぱなし固定になる作りになったりしている。廊下にはエチケット袋が各部屋から手の届く位置に配備されていたのも驚きだった。

船に乗ってすぐは波は荒いものの洋上の風景に心奪われて全然平気であった。海というものは、ある地点から「海」というよりも「デカい水」に見えるようになってくる。デカい水、あまりにもデカくて、どこまでも続くもんだから果てしない気持ちになるのだ。ちっぽけなわたし…とかじゃなく小さすぎる。船に乗ってでもこのデカい水に挑もうとした先人たちの心境はいかばかりであったものか。希望だったろうか、絶望だったろうか。そんな遠い時間軸さえ、思いを馳せずにいられなくなる

…と、カッコつけて書くことはできるが、景色見た後くらいからめちゃくちゃ船が揺れ始めたのだった。ダウンロードしていたNetflixの番組を見るも眠くなるタイプの酔い止めを飲んでいたのが効き始め、吸い込まれるように寝台に横になった。

船が、揺れる。
ただその揺れは不思議で、例えるならば巨大な猫のおなかの上にいるような気持ちになるくらい、呼吸の動きに似ていた。ザッ↑パン↓という大きい揺れが絶えず訪れるのだが、ザッ↑のときに私も大きく息を吸い、パン↓に合わせて息を吐くと不思議な楽さがあったので眠りに落ち切るまでずっとそうやって息をしていた。海と一緒に息をしているみたいで、わたしも生き物であり、地球の一部の有機物なんだなぁと柄にもないことを思っていたりして。

そして、大変に喉が渇く。ハァハァと口呼吸をし続けているからだろう。はたとそこで、大雨に濡れながら買ったジャスミンティーを思い出した。やっとの思いで口にした冷たい、その花の香りたるや…

花というものを、実を結ぶのを待つでもなく、愛でるでもなく、水分として楽しめるということがこんなにも救いになるものか、と思った。
この広い海の上には真上から降り注ぐ雨水と苦いほどの潮はあっても、500ml程度の花の香りのお茶はないだろう。それをしみじみ味わって、あぁ、こんなにも心が華やいで、喉が潤って。美味しい。美味しい。美味しい。

その後、しばらく意識を失ったように眠ってしまっていた。その甲斐あってかすっかり荒波をやり過ごし、もうすぐ日の出という頃合いを迎えていた。気怠い体をもぞりと起こしてワンピースを着、ずるずるとデッキに出てみた景色がこれである。

昨夜あんなにも苦しかった風雨の名残であろう雨雲は、眩しすぎる太陽をそっと覆って私たちの目を守ってくれているようだった。海の上で日の出を見ることなど、24時間の船旅でなければきっとなかったと思う。結構たくさんの人たちがいて、みんながそれぞれに嬉しそうで、とても良い時間だった。

そして、24時間というものは全くあっという間ではなかった。日がな一日パソコンを見て、難しい仕事に思い悩んでいるうちに過ぎている時間軸における24時間という体感があまりにも当たり前過ぎたが、波と一緒に息をしながらなんとか自分の体と向き合っているわたしにはあまりにも長い時間であった。本来はきっとそうなのかもしれない。

そして、そんな時に飲むジャスミンティー。あまりにもおいしかった。暑さに身を任せて飲み干すそれも、冬場あっためて飲むそれも、それぞれに美味しいが、救いみたいに美味しかったのは初めてかも知れなかった。

そのことに気づけただけでも、よかった。

結論から言うと本当にいい旅だった。振り返りも兼ねてもう少し、遅い夏休みの話を書かせてほしい。

ジャスミンティー、大好き。

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