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僧侶座談会にスピーカーとして参加した話

数年前のこと、仲良くさせていただいているお坊さんからいきなりDMが届いた。


「ゆかりさん、今度、僧侶座談会に参加しませんか?」


えっ。


仏教は好きだが、まさかのプロたちに混じって座談会…???


どうしよう。
失礼にあたらないだろうか…。

だって周りはみんなプロなのだ。
私はいわゆるパンピー(古)
仏教用語で言うなら在家者である。


ミシュランシェフに混じって「お料理が好きでーす」って言ってる女子みたいなもんなのだ。


うーん…と思考を巡らせ、気づいたらこのように返事を送っていた。


「ぜひ参加させてください」


思ったよりガチ

そうしてやってきた当日。
コロナ禍もあり、今回はzoomでの開催となった。

初顔合わせということでドキドキ。
みたところ全員がお坊さんではなさそうだ…ほっ。

(なぁんだ、深く考えすぎたかな…)
と思うも束の間、自己紹介タイムでその安堵感はガラガラと音を立てて崩れた。

「〇〇寺住職です」
「〇〇寺住職です」
「〇〇大で宗教研究をしていました」
「〇〇寺●代目住職です」←大手


「えっと…仏教オタクのゆかりです」


もはや白目で棒読みである。


いざオタク知識披露

座談会はゆるく進行していった。

まずは一人ひとり持ち時間を与えられ、仏教に対して各々どのような見解を持っているのか語るのだった(いや広すぎる範囲が)


宗教的観点からの仏教や、歴史的背景からみる仏教の変化、宗教学からの仏教など様々な専門的私見が飛び交った。


…いよいよ私の番だ。

「えー、仏教とオタク文化の共通点について語りたいと思います」
うん、終わった。


もう構うもんか。
なんでも話してしまえ!とペラペラ話しまくることにした。
(どうにでもなーれ)


●ブッダとはいわゆる推しである
●信徒とはオタクである
●宗派とはオタ社会にもある派閥や解釈違いのことである
●経典とはオタクによる同人誌である
●仏像や観音様などは概念を擬人化したキャラクターである(ぼくのかんがえたさいきょうのぶっだ)

のようなことをつらつらと述べた。
もちろん出典などはなく、全て持論である。


さぁ話したぞ…どうなる…。ゴクリ。


オタクは解釈違いが一番こわい


さぁ全て話したぞ…。
どうだ…。


開口一番、笑ってくれたのはなんと大手の住職さんであった。


「いいね!そうだよね、ほんとに同人誌だと思うよ〜!」
「時代や文化は違えど…本当にまさにオタクと推しだよね!」

ほっとしたのと同時に
(このお方、同人誌とか知ってるんだ…)という安堵感なのかなんなのかわからない感情が湧いた。
※大手の住職さん、おそらく60代後半くらい


宗教学を研究していたという方も
「オタクの解釈違いによる宗派というのは的を得ていますよね!」と、絶賛してくださった。


「こういう面白い観点から見てもらえたら若い人にも受けると思うんだけどね〜!」
「うんうん、わかりやすいし!」


意外や意外、本当にウケた…!


仏教とは、もちろん宗教であるので、このような例え話はもしかしたら引かれてしまうのではないかと思っていたがウケて安心した。


だが、実際そうなのだ。

もともとは宗教というより教養であり、まさに文字通り「教え」であった仏教。
当初こそ出家者など高尚な者(今の言葉で言うなら意識高い系だろうか)にその門は開かれていたが、現代は世界中がつながっており、だれでもすぐに欲しい情報を手に入れられるようになったのだ。

仏教の門は誰にでも開かれているのだ。

こんなふうに現代のトレンドに合わせた新しい解釈があっても良いのだ。

そんなふうに自分の考え方に少しだけ自信がついた。

緊張していたが非常に良い会であった。


後日談

その後、大手の僧侶さんにお誘い頂き、なぜかFacebookの僧侶グループに入れていただいた。


仏教の門は誰にでも開かれている…。


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