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暗黒時代を支えてくれたヴィジュアル系

自分が中学生の頃にヴィジュアル系に出会っていなかったら今間違いなくこの世には存在していなかったと、冗談抜きで断言することができます。

「私はヴィジュアル系に救われて今日この日まで生き長らえた」

当時、私の抱えた「痛み」を受け止めてくれる場所がヴィジュアル系しか存在しておらず、苦しくて死にたい時に「一緒に堕ちていこう」と側に寄り添ってくれたのは彼らだけでした。

思い出したくない暗黒時代に唯一漆黒に光輝く麗しき記憶を久々に紐解き、当時の私と対話してみようと思います。

VISUAL SHOCK

私がヴィジュアル系と出会ったのはいつなのか?

L'Arc〜en〜CielのREADY STEADY GOやGLAYの時の雫が音楽を聴き始めた時期とドンピシャで、2004年や2005年が私が音楽が好きだと言うことを自覚した頃です。

MDウォークマンを買ってもらったのものめり込むきっかけとなりました。

当時小学5年生とかで、当時受けていたいじめによってクラスの全員が敵だった頃で私は誰にも相談できず内側に苦しみを蓄えていました。

死にたいと願い、自殺を考えたこともあった時に青天の霹靂が起こります。

Mステで時折放送していた「過去の名ライブ」という特集で流れたX JAPANの「1993年12月24日:スーパーライブ'93『X』」というファンの間では"伝説のライブ"と称される衝撃映像を目撃してしまったのです。

あの日、あの時の感情はきっと死ぬその瞬間まで忘れないでしょう。

「暴力的なまでにショッキングなヴィジュアル」「今まで聴いてきた全ての音楽とも違う『速さ』『重さ』『美しさ』」「ステージを縦横無尽に動き回り、楽器を破壊する過激なパフォーマンス」

そして、HIDEが放った一言…

「俺たちが、サンタクロースだ!」

私の心を射抜いた「X JAPAN」との衝撃的な出会いです。

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後から彼らはすでに解散していて、HIDEが既にこの世にいないことを知ったときはひどく落ち込みました。

その後hideのソロ曲であるROCKET DIVEピンクスパイダーを聴いたことでhideの虜となり、もっと知りたいと過去の雑誌を買い漁るようになります。

小学、中学といじめられっ子だった私が出会ったロックスターのお陰で私は生きる希望(という名の依存)を覚え、結果として今日まで生きるほど勇気をもらったのです。


ヴィジュアル系の虜になる

X JAPANとhideとの出合いによって急ピッチで私は多くのバンドと出会います。

Xの弟分であるLUNA SEA、同時代に一世を風靡した黒夢との出会いはXと同じぐらい衝撃的で今でも自分の中のど真ん中にいるほど影響を受けました。

他にもBUCK -TICKZI:KILLと同世代で活躍したバンドを雑誌経由で知り、それらを掘り起こす事で理解を深めていきます。

L'Arc〜en〜CielGLAYJanne Da Arcのようにすでに知っているバンドが同じシーンと密生つに関わっていること、そしてそのシーンのことを「ヴィジュアル系」と呼ぶことを知った私は現行のヴィジュアル系を追いかけていきます。

当時発刊していたFOOL'S MATESHOXXというヴィジュアル系専門誌からthe GazettEナイトメアアリス九號.アンティック-珈琲店-シド雅〜miyavi〜ムックといったネオヴィジュアル系と呼ばれる世代まで一気に追いついた時には、完全にヴィジュアル系の虜になっていたのは疑いようのない事実です。

田舎に住んでいましたがTSUTAYAでレンタルできたことも大きかった。

そして私はその過程でX、hideに続く人生を変えたVISUAL SHOCK「DIR EN GREY」と出会います。


「痛み」との対峙

DIR EN GREYとの正式な出会いは中学校のトイレで聴かせてもらった「朔-saku-」という曲です。


当時私はいじめられていましたし、今思えば朔-saku-を聴かせてくれた相手も特別仲が良いわけではありませんでした(むしろ私のことをいじる側でした)が、Xを聴いていることがバレた時に「お前知らねーだろ」ってノリで聴かされた曲が私の心にぶっ刺さります。

DIR EN GREYは私の心の中に蓄積されていた「苦しみ」を肯定し、その怒りを…悲しみを…憎しみを吐き出してくれました。

今思えば「いじめられっ子が学校のトイレでDIR EN GREYと出会う」ってのも乙なものですね。しかも出会いは「朔-saku-」…きっと運命だったのでしょう。

そういった環境も相まって私はDIR EN GREYに魅了され、"虜"になっていくことになります。

今でも私はDIR EN GREYを追いかけていますが、最近は「当時のような刺さり」が良い意味で減りました。きっと私が抱えている「痛み」が緩和されてきたのかな?と少し嬉しくなります。

ただ、Ranunculusは久々に涙が出るほど救われたので、やはり私は何年経っても虜なのでしょう。

初めから気付かないフリで
自分自身を押さえ付けて生きてきたのは
上手く生きる為なんかじゃない
春よ、夢うつつ

憎む為じゃないだろ?
誰かの為に今日も笑うの?

叫び生きろ 私は生きてる


DIR EN GREY:Ranunculus より引用(The Insulated World収録)

多様性と広がり

hideとの出会いは私の人生観に大きな影響を与え、様々なものに興味関心を抱き、好きなものを追求する姿勢を教えてくれました。

メタル、パンク、テクノ、ジャズ、ヒップホップ、ワールドミュージック、プログレ、オルタナティブ…など様々な音楽が好きなのはhideの影響が大きいです。

また、ヴィジュアル系は様々な音楽性を持つシーンのため音の多様性が幅広く、なんでもアリなのが特徴です。

※以下音の多様性に満ちた懐メロなヴィジュアル系楽曲

■ムック - リブラ


■雅-miyavi- - 咲き誇る華の様に-Neo Visualizm-


■シド - 御手紙


■LM.C - ☆Rock the LM.C☆


■12012 - SHINE


■摩天楼オペラ - もう一人の花嫁


さらにアートや文学、歴史、哲学、ファッション、宗教観、思想など自分の見解を広げたのはヴィジュアル系の影響がかなり大きく、「好き」「嫌い」ではなく「自分の琴線に触れる」かどうかで判断ができるようになり、趣味嗜好に対して他者の否定をしなくなったのもこのシーンのおかげです。

音楽だけでも紹介しきれないほど広く深いジャンル幅であるにも関わらず、共存しているだけでも凄いのに、ファッション、世界観、哲学、アートワークも驚くほど幅広いです。

当時の私にはこの懐の広さが「居場所」のように感じていました。

※同時期にSNS(モバゲータウン、mixi)やニコニコ動画、個人ブログとも出会ったことでインターネットに住み着いたこともありました。


破壊と創造を繰り返して私たちは次へと進む

私はヴィジュアル系が救いでしたが、きっと他のジャンルでも「何かに救われた」方は大勢いると思います。

大きな衝撃が「自分の中にある何か」を破壊して、あたらしい世界が見えた時…世界が変わって見えるようになります。

そして自分だけの世界を創造していきます。

私はヴィジュアル系から世界が一気に広がっていき、どんどん新しい出会いが訪れました。

Visualizmを胸に今日も「自分らしく」好きなようにカッコよく生きようと思います。

【パーソナルデータ】
名前:Uto
職業:Webマーケティングコンサルタント/ライター
趣味:サウナ、アート鑑賞、一人旅、音楽Dig
特技:和太鼓

【連絡先】
メールアドレス:yy.edih.xx@gmail.com
Twitter:@hd2OimM


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