考察コラム1:無料に破壊されたクリエイティブを救う方法はあるのか?
サウナで物思いに耽っている時に浮かんだ事をスッキリさせたいという目的で書いたコラムです。
サウナに入ってると色々考えることもできてアイデアが浮かんだりすることも多々あるので、何か悩んでる時もサウナはオススメですのでお試しください。
何か感想があればコメントくださると嬉しいです。よろしくお願いします。
無料によるクリエイティブの崩壊はなぜ起きたのか?
「無料」
いい響きですよね。
今や多くのものが無料で楽しめる時代。
クリエイティブなものは全て無料が当然と言う考えはなぜ生まれてしまったのか?
それはクリエイターになることのハードルが下がったことで「上手い人たち」が増えすぎたからであると私は思っています。
クリエイターが増えれば増えるほど単価は安くなっていく。
例えば「絵がうまい」クリエイターは昔より格段に増えました。
増えたことで絵が上手いクリエイターには希少性がなく、単価は安くなっていきます。
次に注目されるのは「個性」ですが、個性もまた飽和状態に入っていきます。
個性的な人が増えたのは自身を発信する場が増えたことで今まで希少だった「個性」の量が増えたことで個性のコモディティー化が進んでしまいました。
そして次に求められたのは「組み合わせ」
クオリティ×個性×異なる経験を求めるようになります。
・個性的で絵がうまくて8カ国で働いたことがある経験を持っている人
・個性的で絵がうまくて、絵を描く以前は別の職業で働き続けてきた人
・絵が下手だけど話上手でこれまで何にもの人に会ってきた人
そのような「体験」「スキル」「背景」が求められるようになりました。
ただし、この時代も終わりが来ることは間違いありませんし、単価自体は下がっていく一方です。
また消費者側も求めるレベルが格段に上がっていきます。
1年間で新しいクリエイティブがどれだけ生み出されているのか想像してみてください。
今この瞬間にも新しいクリエイティブは生まれ続け、そして多くは無料で消費されていきます。
一時期、アンダーグラウンド性のある誰にも見つかっていないけど「質の高いもの」を好むような人もいましたが、外に発信できるようになった時代においてアンダーグラウンドカルチャー自体は育ちにくく、巨額のお金を動かすまでには至りません。
クリエイティブなものは消費され続け、やがてお金を払うことが煩わしくなっていきます。
今は「体験」を消費する時代になりましたが、体験もやがて飽和していくことになるでしょう。
私は次の消費されるものは「時間」だと思っています。
コロナの影響で多くの人が「仕事」の中にあった無駄に気付きました。
そして「時間」を有益に使いたいと言う人が増えていると思います。
そのうち「暇」と言う概念が人々を襲い、時間の進むことに対する恐怖が芽生えると予想しています。
その時人は余った「時間」に対してお金を使うでしょう。
クリエイティブは「余った時間」に対して<質×個性×異なる経験×影響力>が重要になっていく。
よりクリエイターは同時に多くのスキルを身につけなければ生きていけない時代になってしまうのかもしれません。
解決するのは個人ではなくチーム
現状を打破する方法は「個人」ではなく「チーム」になることで補っていくことになりますが、ここでいうチームのメンバーは「全員がクリエイター」などではなく、全く異なるスキルを保有する人同士が「同じ文脈」を背景に結びついたチームが希望があると思っています。
例えば…
①個性的で絵が上手いクリエイター
②日本中を駆け回る大型トラックの運転手
③マーケティング企画で働いている会社員
④パーソナルジムのトレーナ
上記のような全く背景も職業もスキルも異なる4人が「同じ文脈」を共有したチームになったら何かできそうだな…と考えられませんか?
異なる人同士が結びつくことで生まれる新しいクリエイティブの可能性があるのではないか…そんなことを考えていると私も何か生み出せるのではないかな!と勇気が湧いてきます。
人はクリエイティブに憧れを抱き嫉妬している
「好きなことやって稼いでるなんていい身分だな」
そんな時代遅れな言葉を発する人はSNSを覗く限り思っている以上に多くいることに気付かせれます。
「私たちは苦しんで仕事しているのにお前らは好きなものを作って遊んでるだけじゃないか」
そんな風に思う人たちもクリエイティブなものに触れて、クリエイティブな体験に胸を躍らせ、クリエイティブなものを楽しみに生きていたりすることからも、「クリエイティブへの憧れから嫉妬する」人が多いのではないかと思うようになりました。
クリエイティブとは全ての物事に存在している概念ですが、それはあくまで広義の考え方で実際は「特別なスキルを用いて人の感情を動かす目に見える創作物を生み出すこと」をクリエイティブと呼んでいます。
異なる背景を持つ人たちによるチームの時代が来ればクリエイターになれる可能性は広がりますし、そもそもそのチームで必要なのは「アウトプットした経験」ではなくて「どう生きてきたか」「何を経験しどんな体験をしてきたのか」になります。
クリエイティブなものを生み出す経験を欲している時点で、それは従来の消費されすぎたことで滅びゆくクリエイティブと変わりません。
文脈とは何か?なぜ大切なのか?
厳しい言い方になってしまいますが、私は異なる背景を持つチームの時代になってもクリエイターになれる人間は限られると思っています。
なぜならクリエイティブなものとは苦しみが付きまとうものですし、楽な近道が存在しない茨の道だからです。
だからこそ、異なる職種、異なるスキル、異なる背景を持つ集合体において重要になるのが「共通の文脈」を持つことだと思います。
文脈とは「意味のつながり」を指す言葉で、異なる背景を持ち異なるスキルや経験を持つ彼らがチームとして繋がるための共通の「意志」や「目的」のことをここでは「文脈」と呼んでいます。
当たり前のことを言っているのは重々承知なのですが、結局この部分が大切ということです。
企業の理念とかも本来はそういう目的のために作られたものですからね。
つまり異なる人同士が共通の文脈を持ってチームを結成するにはどうしたら良いのか…という問題に行き当たりますが、その辺についてはまた別途で書きたいと思います。
まとめ : クリエイティブを愛してるからこそ生き残る方法を考えてしまう
愛する文化を守りたいなって思うとどうしてもお金の動きを活性化させないと…に行き着くのですが、そのためには結局人の行動を改めることができるクリエイティブの力が必要になります。
「私はこの世にある全てのものはクリエイティブである」という信条を抱いているのですが、今後は全ての人がクリエイターであるって時代になるのかなって思います。
そしたらよりクリエイティブの希少性は下がってしまうのかもしれません。
でも、それは発展することによって生まれるジレンマなのかもしれません。
なので、私たちは以下にしてクリエイティブに生きて食らいついていくか…新しいルールを作っていくのかに注力すべきだと思います。
駄文ではございましたが、私の中で「新しいルールを作る」という答えが出てスッキリしました。
また今日もサウナで色々と流れるように溢れる設問に対して自分なりに考えようと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました! もしよろしければスキやシェアをしてくださると嬉しいです! また、サポートしていただけましたら、より良い記事を書くために活用させていただきます。