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【短編小説】ここにいる、ここにいて

1,807文字/目安3分


 仕事から帰って、晩ごはんの支度を始めようとしたら、彼が突然帰ってきた。
「ただいま」
 そう言っていつもやっているかのように、傘を置いて、上着を脱いで、部屋へ着替えに行った。
「あ、おかえり」
 遅れてその後ろ姿に声をかけたけど、間抜けな声しか出てこなかった。
 平静を装って、料理の準備に戻る。今日は二人分作らなくちゃ。

 彼が部屋から出てきて、わたしの隣に立つ。ふわっと風が動いて、どきりと胸が驚いた。
「今日は雨が降ると思って傘を持って行ったけど、結局降らなくて無駄になっちゃった」
「いいじゃん。降らない方が、いいよ」
 どう返そうか慎重になってしまい、ぎこちなくなる。
「夕飯はどうする?」
 当たり前のように彼はわたしに訊ねる。
「今日は餃子丼にしようと思う」
「餃子丼か。いいね」
「食べられるの?」
 思わず聞いてしまった。
「うん。お腹すいたよ」
 彼は大げさな動きでお腹をさすった。
「そっか。じゃあ作ろう」
 わたしはなぜか、ほっとしていた。

 後で手間を減らすため、二食分作って冷凍しようと買っておいたのが正解だった。ちゃんと二人分作れる。
 餃子丼と言っても皮で包まない。なんなら皮も使わない。餃子っぽいそぼろ丼みたいな感じだ。うちは適当なのだ。
 長ねぎとニラをみじん切り、豚ひき肉にはオイスターソース、鶏ガラの粉末、お酒。わざわざ分量を計らない。そこに長ねぎとニラのみじん切りを入れて、大葉をちぎってぱらぱらと落とす。
 いい具合にまとまるまで、片栗粉を少しずつ入れながら具材を混ぜ合わせていく。その間に彼はフライパンにごま油を入れて、コンロに火をつけ温めてくれていた。
 料理している時はなんとなく二人とも黙ってしまう。別に集中しているわけではないけれど、いつもそうだった。
 フライパンが充分に温まったので、餃子の種を入れる。ジューっと音がして、ごま油とお肉の香りが飛んでくる。その時セットしていた炊飯器が鳴った。いいタイミングでお米が炊けた。彼は食器を準備して、お湯を沸かす。インスタント味噌汁を作るのだ。さすが。勝手をよく分かっている。
 そう思いながら、不思議な気持ちになった。

「いただきます」
「いただきます」
 二人で揃って手を合わせる。まずは味噌汁を一口すする。これも揃う。一緒に住んでいた時間が長いから、こういうところはしっかり似てきたのだ。
 餃子丼はお米に油が絡んでいて、口に入れると中でいっぱいに広がっておいしい。からしを入れるとまた一味変わっておいしい。
「うまいね」
 彼が言う。
「うん、うまいね」
 わたしも同じように言う。
 久しぶりに食べたわけでもないのに、すごくおいしく感じてどんどん口に運んでしまう。本当においしい。いつも私のほうが遅いのに、食べ終わった時はまだ彼のお皿に残っていた。
「食べるのそんなに早かったか?」
 彼は驚いたように言う。
「だっておいしかったんだもん」
「食いしん坊だなぁ」
「いいの」
 彼は笑っていた。

 二人とも食べ終わって片付けをして、ソファーでくつろぐ。本当にいる。隣に。座っている。彼はのんきにあくびをしている。
 思い切って、試してみることにした。
「ちょっと手を貸して」
「なんで?」
「いいから」
 彼は「なんだよ」と文句を言いながら、左手をわたしの前に差し出した。変わらない細くて長い指。少し羨ましくなる。恐る恐る手を取って握る。ひと回り大きくて、そして温かい手。これも最後に握った時と変わらない。浮き出た血管を指で押すと、ぷにぷにした感触が伝わってくる。
 本当にそこにいるんだ。
 わたしは嬉しいのか、悲しいのか、自分がいまどんな感情なのか分からなくなった。

 彼は一年前に事故で死んだはずだった。
 お葬式にも出ているし、棺の中も見ている。散々な思いでずっと過ごしていた。今でも時々ふらっと帰ってくるんじゃないかと思っている。だってまだ一年。でももう一年。
 目の前にいる人が本人なのか、そうでないのか。信じようと信じまいと、わたしの知っている姿で、知っている仕草で、知っている話し方でそこにいる。
 夢? 現実? 幽霊とか? それとも考えすぎたわたしの幻覚か。
 何も分からないけど、とにかくそこにいて、まるで違和感もない。そういうものとして受け入れそうになっている。もしかしたら混乱しすぎているだけなのかもしれない。

 いろいろが頭に浮かんでくるけど、彼に直接聞くのはなんだか怖くてできなかった。



つづく




――――

『ここにいる、ここにいて』

1.【短編小説】ここにいる、ここにいて
2.〈自由詩〉ここにいる
3.写真で描写『ここ』
4.【短編小説】ここにいる理由
5.〈自由詩〉ここにいて
6.写真で描写『遊ぶ』
7.〈自由詩〉答えあわせ
8.【短編小説】二人の物語



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