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【短編小説】二人の物語

1,880文字/目安3分


 波の音は静かに、時間の経過を忘れさせる。コンビニでアイスコーヒーを買って、浜辺で海を見ながら過ごすのがわたしたちの定番になっていた。石段に並んで座って、なんでもないことばかり話す。コーヒーを飲み終えても、氷が溶け切っても、日が暮れるまでおしゃべりをする。

「わたしたち、これからどうなるかな」
「そうだなぁ、案外何も変わらないんじゃないか?」
「よくそんなことが言えるね」
「分からないけどね。でも、今と同じような日がずっと続く気がするんだよ」
「なにそれ。幽霊のくせに」

 わたしの隣に座ってアイスコーヒーを飲みながら話す彼は、一年以上前に事故で死んだ。いや、死んだはずだったと言うのが正しいのかもしれない。
 朝は少しだけ早く起きて、二人で朝ご飯を食べてコーヒーを飲む。その日もいつものように過ごした。そうして彼は出かけていき、帰って来なくなった。お葬式にも出たし、棺の中も見た。確かに死んだはずだった。
 でも今は隣にいる。話している。同じ時間を過ごしている。触れれば体温を感じる。

「また急にいなくなるのはやめてね」
「大丈夫だよ、きっと」

 わたしたちは話す。彼がどうして帰ってきたのかは分からない。本人も分かっていない。突然いなくなって、突然現れた。
 ありえなかったことがありえる。いなくなったはずなのに、ここにいる。生きていくことって、思っている以上にあやふやなものなのかもしれない。

 浜辺で過ごす時間はゆったりなのに、時計はあっという間に進んでしまう。すっかり日が落ちてしまった。
「暗いね」
 わたしはつぶやく。
「そろそろ帰ろうか」
 彼がそれに答える。
 立ちあがろうとすると、体が痛いことに気がついた。
「ちょっと待って、痛い」
「本当だ、痛い」
 座っていた時間が長かったせいで、足もおしりも腰も背中も痛い。なんなら肩も。カチカチになって全身が痛い。うまく立つことができず、よろけて彼にしがみつこうとする。
「ちょっと待った。俺も痛いから」
「え、助けてよ」
 避けようとする彼に必死でつかまる。彼も「痛い痛い」と騒ぎ始める。大袈裟だぞ。そっちだって。二人して大声で騒いで、そして二人して笑った。

 すっかり暗くなった道、手をつないで家へと向かう。座っていた時はずっと話していたのに、歩いている時はどちらも静かだった。
 長いこと潮風を受けていたから、体が冷えてしまった。彼も同じみたいだけど、冷たい手から感じるかすかな熱が心地いい。

 先に口を開いたのは彼だった。
「痛いって、いいな」
「何?」
「さっき、ずっと座っていたせいで体が痛くなったでしょ。俺はそれが少し嬉しかった」
「知らなかったけど、Mだったの?」
「違うって」
 彼は笑っていた。
「俺は死んだはずじゃん。その時のことは覚えてないけど、きっと何もなかったと思うんだ。何も見えないし、何も触れない。痛みもなければ心地よさもない」
「うん」
「でもね、今はちゃんと――」
 彼は立ち止まって、わたしを見つめた。
「生きているって感じがする」

 彼の瞳はまっすぐで、そしてキラキラしていた。生きているのと何も変わらない目。
 考えもしなかった明日が、ある日突然やってくる。彼がいなくなった日も帰ってきた日もそうだった。守ってきた平穏はあっけなく終わる。その中でどうにか自分を保って生きていく。
 世界は簡単に変わってしまうんだ。次々と起こる何か。それが幸せなことでも、受け入れられないことでも、いつしか日常に溶け込んでいく。 

「ねぇ、急にいなくならないでよ。悲しくなるから」
 訴えかけるように、わたしは同じことを言う。
「大丈夫、いなくならないよ」

 彼の言葉には何も根拠がない。それでもわたしを安心させるには充分だった。
 真っ暗で他に誰もいないのをいいことに、お互いの身を寄せ合う。それから一つキスをした。
 慣れないことに、胸のあたりがくすぐったい。彼とわたしで目を見合わせて、小さく笑った。

「今日の晩ごはん、何にしようか」
「そうだな、餃子丼はどう?」
「また? この前食べたばかりじゃないの」
「いいじゃん。餃子丼がいいんだよ」
「分かった。それならスーパーに行かないと」
「じゃあすぐに行こう」

 もう、仕方ないなぁ。
 わたしたちはそのままの足でスーパーに向かう。ご飯を一緒につくって、お酒を飲みながらまた話をして、同じ布団で眠る。そうやって、これからも二人で同じ時を過ごす。

 いつか彼がまたいなくなってしまっても。反対に、わたしがいなくなることになっても。
 ありえないことが当たり前になる日常の中で、わたしはここにいる。だから、あなたもここにいて。




おわり




――――

『ここにいる、ここにいて』

1.【短編小説】ここにいる、ここにいて
2.〈自由詩〉ここにいる
3.写真で描写『ここ』
4.【短編小説】ここにいる理由
5.〈自由詩〉ここにいて
6.写真で描写『遊ぶ』
7.〈自由詩〉答えあわせ
8.【短編小説】二人の物語



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