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恵比寿で木村伊兵衛を見る

木村伊兵衛(きむらいへい)という人は、と私ことアラサー会社員が語るまでもない。このnote上でも関連の記事を沢山見ることが出来るだろう。戦前から活躍した日本の写真家で、ライカのカメラを愛用していたことから“ライカの名人”や“ライカの神様”などと表現されることがあるようだ。その功績を記念して創設された“木村伊兵衛写真賞”は現在も続いており、私が敬愛している川島小鳥さんも『明星』で受賞している。そんな木村伊兵衛の没後50年に合わせて東京都写真美術館で《木村伊兵衛 写真に生きる》が開催されており、初夏のような気候のなか恵比寿へ向かった。


変わる/変えられる

会場内は写真・動画撮影は禁止となっているので、私の拙い文章のみでの感想になることをご了承いただきたい。展示は全7章での構成となり、終章を除いてすべてモノクロの写真となっていた。第1章の《夢の島 -沖縄》では、1936年に木村伊兵衛が訪れた沖縄でのスナップが飾られている。これは第3章の《昭和の列島風景》の一部にも通じるのだが、第二次世界大戦前の日本(沖縄)の姿が映されている。そのため、それぞれの写真を見ながらこの後に起きた“現実”を思わず想像してしまった。この風景は、おそらくもうどこにもない。写真を撮る重要性と、人間の中の恐さを感じた。

戦後が舞台となっている『ゴジラ -1.0』のモノクロ版が公開された際、監督の山崎貴さんは「目指したのはモノクロ写真の名匠達が撮ったような画調」とコメントした。今回の展示では終戦後の東京の写真が数点あり、もしかすると参考にしたのではないかと思った(推測でしかない)。それほど、劇中の東京の再現度が高かったと言える。おそらくこうした写真も参考にされたことだろう。展示本来の見方とは異なるだろうが、ゴジラの世界観により踏み込む資料としても鑑賞することが出来そうだ。当時はスナップを中心としていた木村伊兵衛の写真が、とても貴重な資料となっている。


タイムレス

一方、第2章《肖像と舞台》を中心に人物のポートレートも多く展示されている。個人的に本展示で最も驚いたのは、この章で展示されている作家・志賀直哉のポートレートだった。1938年頃のモノクロ写真だが、昨日撮影したかのような瑞々しさがある。再び展示から脱線した話になってしまうが、あらめてモノクロで人を写す良さを感じられた。最近は家族も友達もライカM11モノクローム(以下:M11M)で撮影することが増えている。カラー撮影が可能なカメラも所有している上でM11Mを使うのは、上手く言葉に出来ないが“タイムレスさ”を感じられるからかもしれない。

第4~5章は、海外への旅を通じた作品群だ。1954年にヨーロッパを旅した際には、パリでアンリ・カルティエ=ブレッソンに会って写真を撮っている。この2人に共通した1954年の出来事と言えば、ライカの初代Mシステムである“M3”の登場だろう。この時、木村伊兵衛はライカM3とニコンS型を持って行ったらしいが、どれがどのカメラで撮られたのかを想像しながら見るのも面白かった。加えて、混み合っていなければどこにピントが合っているかを1枚ずつ見ても面白いと思う。ピンが来てる/来ていないという話ではなく、何となく“意向”を感じれる気がする(気がする)。

写真に生きる

終章である第7章《パリ残像》は、第4章と同じ滞在時に撮影されたパリでのカラー写真が並んでいる。使用したのは富士フイルムが開発したカラーフィルム(外型反転カラーフィルム?)で、そのASA(ISO)は10だったとのこと。CineStill社の“50D(ISO50)”というフィルムは知っているが、それよりもさらに感度が低い。私には知識がないので「〇〇のフィルムっぽい」と例えられないが、独特の発色をしていると感じた。プリントの具合や、プリントされてからの保管状況なども関係しているかもしれない。前述にモノクロの良さを語ったが、カラーで見る50年代のパリはお洒落だ。

写真集としての『写真に生きる』は、2021年に発売されている。そして、本展示に合わせて新版が発売された。私も帰りにミュージアム・ショップで購入して自宅で少しずつ読んでいる。先日、宇多田ヒカル(様:狂信的なファン)がテレビでこう話していた。「(99年に発売された曲がなぜ時代を超えて愛される?という問いに)新譜かどうかという意識はなく、その人がその曲に出会った時が新譜」だと。木村伊兵衛の没後50年。見る人によっては何度も見た写真たちかもしれない。けれども、私にとってはどれも新鮮だった。この展示を通して、そうした出会いが増えることを願う。


これまで

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