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日本神話と代理出産 「うけい」のお話

宗教と違って教義を持たない神話とは、空想を使った御伽噺であると言える。
神話とは神々を信用するなという教訓話であり、自分の目で観察し、頭を使って判断することを尊ぶ民主主義である。

そして、ある意味において神話とはサイエンスフィクションでもある。
北欧神話の神々は、火を噴く剣(レーヴァテイン)や、投げれば絶対に敵に命中する槍(ガングニール)といった武器を扱うが、これは現代の火砲や誘導ミサイルのようなものであると言える。
もっとも、レーヴァテインは無限にエネルギーを発しているように見えるし、ガングニールは無限に弾数を増やすことが出来る。
機能性において、これらの神々の武器は、現代兵器よりも先進的であることは確かだ。

だが、こうした未来武器よりも遥かに未来的な技術が描かれているのが日本神話である。
筆者は、古事記の「うけい」について考察しようと思う。

古事記とは何か?

古事記は天皇が支配のための権威付けを行うために造ったもの…ではない。
古事記とは神々が滅茶苦茶を繰り返し、その結果として悲劇と喜劇が繰り返される落語のようなものであるので、ツッコミどころが満載なのだ。
古事記は文学作品として純粋に面白いので、現代語訳されたものを読むことをお勧めする。
おそらく、これは権威を信じなという古代人の教訓である。

古事記の編纂を命じた天武天皇はその完成を見る前に亡くなってしまったが、彼は草葉の影でこの物語を読んで何を思ったのだろうか?
彼は、中華的な統治体制を整備したが、文化面では和歌を好み、博打を愛した日本男児である。
彼は当時としてはかなりの高身長で、槍の名手であったとも言われているが、大海人皇子の幼名の通り、海を愛した男であったとも伝えられている。

天武天皇という英雄が国家の基盤を成立させた後は、天皇の権力は圧倒的に弱体化して、天皇制は実質的な立憲君主制となった。
彼が造り上げた政治制度が無意味であったとは言わないものの時の流れを経てそれは形骸化し、彼の残した文化事業の方が後世の日本に強い影響を与えたというのが今に至る流れである。
そして、古事記の翻訳に成功したのは江戸時代の本居宣長であって、日本人の多くはかなりの長期間において、この書物のことを忘れていたという歴史的事実がある。
明治維新が起きたのは本居宣長の国学の影響が大きく、つまるところ、天武天皇の文化事業が文明開化を起こしたと言えなくもない。

古事記の「うけい」とは何か?

日本神話において、スサノオとアマテラスが己の正当性を比べ合って勝負を行った話。
女神であるアマテラスはスサノオの剣を噛み三柱の女神を産んだ
男神であるスサノオはアマテラスの玉を噛み五柱の男神を産んだ。
スサノオから女神が生まれたので、スサノオの心が清らかであることが証明されたとされ、スサノオの勝利となった。
この女神たちは、現代では厳島神社に祀られている。

古事記の「うけい」の解説

女神が生まれたら心が清らかなのか?

無茶ぶりもいい所である。
そもそも、何故、女神が生まれたことが清らかな心の証明の証になるのか?
これは実はスサノオのハッタリで、ハッタリでも勢いで勝てば良し、という精神を体現していた部分がある。
「勝てば官軍」とは言ったものだ。

女神を産んだのはスサノオなのか?

女神を産んだのはアマテラスだが、スサノオの持ち物から女神が産まれた。
この場合は、子を産んだアマテラスよりも、生まれた子の基となったスサノオの方が親であると考えられているわけだ。
現代における受精卵と代理母の関係であると言っても問題はないかもしれない。

実のところ、これは現代で言う代理出産である。
持ち物から遺伝子を採取する技術は、現代よりも圧倒的に高いような気もするが、神々の力を以てすればそれも可能なことなのだろう。
この物語を考える限り、神道的な価値観では代理出産は肯定される。

そして、アマテラスの遺伝子を使ってスサノオが出産していることも注目すべき事態だ。
男の神であるスサノオが子供を出産しているが、これはシュワルツェネッガーが出産する「ジュニア」という映画を思い出させる。

男神が子供を産むことを肯定しているのだから、神道では科学技術力を駆使した出産を肯定していると言っても過言ではないだろう。
おそらく、体外子宮による出産も肯定されるに違いない。

神道は宗教か?

神道には教義がないので神道は宗教ではない。
宗教とは実体に基づかない観念を教義として絶対視するものだ。
その教義に反することは、実体がどうあろうとも、絶対に許されない。
つまり、実体に基づいた合理性も結果を重んじる判断も、全てが否定される。

だが、古事記では頭を使った問題解決を重んじている。
それどころか時には、ペテンやハッタリで相手に勝つことすら推奨されている。
古事記は御伽噺ではあるのだが、ある種のリアリズムが物語の中に存在している。
本居宣長は、このリアリズムを「もののあはれ」と呼んだ。

余談

三種の神器とは、日本の工業力の象徴である。
実は、剣とは戦いの象徴そのものであって、これは当時の戦いに使われることが多かった船を象徴するものであると考えられることも有る。
スサノオが剣を司ることが多いが、彼は海の神でもあり、知恵と力の神でもある。

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