毒親の元、毒環境の中で育った。---私が悪いんじゃない。自分を責めないで。よく頑張った。ありがとう、私。もう、人の分まで背負わない!---

いわゆる毒親の元で育ち、生きてきた。
親の言動に苦しみながら、それなのに、そんな親に対してより、責めるのは自分自身だった。
どんなに理不尽なことをされても、結果、罪悪感に襲われる。
私の自己肯定感は、6歳の時、母親(毒親)との間で起きた出来事により最低になり、根のないグラグラの挿し木状態になっていたから。
30歳の時、あるキッカケを境に、なんとか自分を取り戻そうと準備し始め、今までの流れに逆らうように、自分の意見を言うよう努めるも‥‥
こちらが筋道立てて何を訴えても、母親本人は、ひとつ前に言ったことと180度変えてでも言い返してくる状態。
自身の否は認めない。
何かとネガティブに追いやっておいて、「あんたは暗い人だなぁ。生きとって楽しいか?」など、笑顔を失くしたことすら私のせいだと罪悪感を植え付けるのも上手い。そうかといって、テレビを観ながらささやかに笑えば、水を差すような言葉を呟いたり。笑わなくても、笑ってもダメ。
不機嫌を態度で示し、自分の思惑通りの対応を無言で強要したり。
エンパス体質の私は、無茶苦茶な言い分や態度でも、強く表わされると、相当に構えていない限り、相手に引っ張られてしまう。
私がそういった体質であることもちゃんと見抜いていて、狡猾に支配してくる。
思い通りにコントロールしやすい相手を見抜くのに長けていて、ターゲットを絞っている。
自分を改善する努力をおろそかにして、人の優しさや弱みを利用しながら、自分を守る小細工に全力を費やす、歪んだ心持ちが多々見られた。
私の、数秘33の人格も裏目に出た。
我慢強い性格は、更に。
どんなことにも耐えてみせる。と、幼児決断をしたほどだ。
苦しみ、悔しい思いをしながらも、“この人も、いろいろあってこうなったんだから”  なんて自分より相手を気づかったりする。
庇い、寄り添い、癒そうともする。(エネルギー的には、無意識に、自然にやってしまう)
血の繋がりのしがらみが刷り込まれていて、“親を嫌うなんていけないこと” だと疑わなかった。(母親は血縁を武器に強気。血縁ってある意味、残酷で無神経になるような。他の家族や近しい親戚も、私に押し付けて上手く逃げてたとこがある。私はというと、平気な素振りをし、バランスを取る役が板についていった。周りもそれで当たり前になった。年齢も1番の下っぱだったから、軽んじられてた感もある。)
また、責任感も強く、私が変えていく役目のようにも思っていた。
いい子でいなきゃ、いい人でいないと自分に価値なんかないんだ。とも。
親は子供に対して、無償の愛を与えるものだと幻想を抱き、それを実感したいと、ある頃までは、その願いを持ち続けていた。 (ちなみに。私と母親は数秘術で診ても、お互いが本来の姿で生きていると、それぞれの正義が全く交わらない間柄だと証された。いくら求めたところで、私が心から望む関わり方は、まず出来ないのもむしろ正しいということか。)
自己愛しかない親だと、何度も気づかされることがありながらも、その事実を受けとめる強さがなく、怖かった。
私に自立の力はないと、深いところに刻まれていて、その生活を保つ以外の選択肢を選ぶ気力も湧かなかった。
28歳の時、自らを傷つけた後遺症や、両腕に傷跡のある腕での自立は困難なのでは、とも。
外からの刷り込みが充満していて、どうしたいのか、また、決めたことに自信が持てず、疑い迷うの繰り返しで身動きがとれなかった。

人生後半に入り、今、実家を出て暮らすようになって3年になる。
依然として、あらゆる面で不安定な状態ではあったけど、「明日にでも家を出た方がいい。」の助言もあり、やはり、と心を決め、その10か月後、毒親から離れた。

出た当初、私のことが心配だと、執拗な電話にメール。
2度、住居に押し掛けて来たこともある。部屋には入れなかったが。
私がいくら迷惑だと言っても止めないので、姉に助けを求め、母親に言ってもらったところ、ピタリと止まった(私の口の固さにも図に乗っていた)。
が、それからも、帰ってこいと何度言ってきたことか。
その都度、その気はないと返しても続ける。
姉には言わず、私にだけ。
「心配にならんか?」と。自分のことしか考えてない。
「そんなに心配ならお姉さんにも言ったら?言えんなら私が言ってあげようか?」と返すと、「お姉さんには言わんで!」だと。
自分の思い通りにしやすい世話係が欲しいのが見え見え。

この3年は、外から植え付けられたもの、刷り込まれたものとの葛藤だったと思う。
常に意識を外に向けて、相手の機嫌を損ねないことを基準に振る舞うことが板につき、外に合うように作り込み、自分がどんな気持ちでいるかなど、自分の声に耳を傾けるという発想が、そもそもない子供時代、そして今に至るも。
世間体第一の環境で育ったので、こういった家族間のことを発信することは、むしろタブー中のタブーなんだけど、口外出来なかったという状況に、最も毒されたと思う。
どうにもこうにも、話すより他ない事態に陥り、何か口外する度、ささやかな解放感と同時に、罪悪感の波に衰弱もした。
魂的には、私の修行を深めてくれるためにその役割を買った、立派な人。
それが真理である。
とは、一理ある。と、捉えている私がいるのは事実だから。

ならば、すなわち、
『許すこと=仲良くすること』
ではなく、
『感謝すること=その相手との実態、経験を伏せておくこと』
でもない。

発信することで、共感することを経験できたなら、闇に光が触れられるんじゃないか。
自分の存在を肯定できるようになるんじゃないか。
愛されていると知れるんじゃないか。
安心を経験できるんじゃないか。
希望を持つという発想が持てるようになるんじゃないか。

自分を大切にすること。
境界線を引いて自分を守ること。
それらに今ようやく、意識を向けられるようには、なってきた。

毒親って、本人の不安や自信のなさからそういう人になっていくんだなと認識する。
本人も辛いことがあったんだろうけど、それを私は背負わなくていいし、むしろ背負っちゃいけない。
とすると‥‥ 我慢や寄り添った自分を否定する気持ちがで出来て‥‥ と、また自分責めに向かいそうになって‥‥
もうね、
そんな自分のことも、それでいいんだってね (いや、自分責めはしないって、決めたけど)。
毒親どうこうより (いや、極力関わらないけど)、自分を受け入れることが、ひとつの大きな区切りなんだ。
だってね、家庭環境で板についた役割は、家じゃなくても外に出て、どんな関わりの間でもやるんですよ。
もう、散々ですよ。
散々すぎて‥‥。
苦しいと表現しても揉み消されて。
どれだけ頑張ってきたか。
どれだけ足を引っ張られたか。
どれだけ我慢したか。
一生分どころか来世の分まで尽くした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?