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晴耕雨読をする余力がないため 『働らくこと、投資すること、歩き考えたこと』を綴ります…

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晴耕雨読をする余力がないため 『働らくこと、投資すること、歩き考えたこと』を綴ります。 労働、投資、思索にて釈然としない raison d'être ( 存在理由 ) を求めるより、感性のおもむくまま感じたことを記すのみです。

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『希死』と『生き抜こうとする力』

希死念慮という言葉があるそうです。言葉の通り、死にたいという考えが頭によぎるという意味でしょうか。そして同時に人間には「生き抜こう」との途轍もなく偉大な力もあります。 宮本輝の「青が散る」の小説にて、登場人物がテニスしているときに、突如、希死の願望が表れて、自身を病気だと自認するシーンがあったと記憶します。人は誰しも「仕事辞めよう」とか、「学校やめようとか」、「ここではない何処かへ行こう」、そして「希死」の感情があり、それが命の状態によって、多かれ少なかれ表にでる場合がある

    • 蝶を美しいと感じる美意識は輸入された文化だったのかを考える。

      ある人のエッセーにて、「アメリカでは、蝶も蛾も同じ虫として取り扱われて、蝶に対する感覚が日本人と違うことに驚いた」と記されていました。 その時に想起したのは、日本にて「蝶が美しいというのは西域から入ってきた比較的新しい文化」ではないかと司馬遼太郎と井上康の対談にて、語られてたことです。万葉集では、蝶を歌うことはなく、蝶が美しいというのは比較的新しい時代の感覚だったの言説でした。 司馬遼太郎の推測では、安土・桃山時代頃に中国経由で西域から入ったとのことで、蝶蝶という言葉時代

      • コロナ渦にて廃れた会社の「飲み会」は同一性を確認するために存在してたのか、改めて考える。

        コロナにより、日本の飲み会文化がすっかり廃れたました。無くなったと言っても過言ではありません。今の時期でも飲み会に誘うと、リアル飲み会ですか?なんて聞かれるし、またリアル飲み会を再開したときに言われる言葉は、「コロナ後に人と飲むのは、今年3回目です」というような回数を確認する言葉まで飛び出します。飲み会がなくなって寂しく思っている人もいれば、無くなったことで喜んでいる人もいると思います。 飲み会がある日常にて存在していた居酒屋等のお店の方々の苦境は言うまでもありません。その

        • 都市の空間デザインと日常にあるデザインについて思うこと

          幼少期に大自然の中で育った私ですが、都市空間のデザインが好きです。人って不思議で、毎日触れていると、先鋭的なデザインと言われたものが、徐々に日常化して、親しみが湧いてきます。その後、伝統的なデザインと呼ばれるようになるまでは、洗練され、朽ちずに街に溶け込む必要があるのでしょうか。 大阪にある空中庭園については、日本よりも海外で人たちに有名です。世界でみるべき建築物10選に選ばれてたと思います。 私も大阪に長年住んでますが、空中庭園まで上ったことは、一度もなかったのですが、

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        『希死』と『生き抜こうとする力』

        • 蝶を美しいと感じる美意識は輸入された文化だったのかを考える。

        • コロナ渦にて廃れた会社の「飲み会」は同一性を確認するために存在してたのか、改めて考える。

        • 都市の空間デザインと日常にあるデザインについて思うこと

          近くの川にてヌートリアの生息が発見される注意書きがありました。

          たまによく訪れる公園にて、突然、注意書きがありました。「ヌートリアに注意して下さい」って、えっ、ヌートリアいるの? この張り紙にて、そらもう、ヌートリアがいようがいまいが、公園を訪れる子供たちのテンションはだだ上がりです。だって、公園の管理事務所が公式にヌートリアいるって宣言しているようなもんですから。 早速ヌートリアさんを一目見ようと探索します。 そうそう、川には黒い鯉っぽい魚がいてて、魚をとらないでくださいなんて注意書きもあります。釣り好きな人、どこでも釣りしますも

          近くの川にてヌートリアの生息が発見される注意書きがありました。

          中之島公会堂の建設のために私財投じた、北浜の風雲児と呼ばれた相場師

          大阪の中心地、中ノ島に大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は存在します。その堂々とした威容は、中ノ島にある数々の建築物の中でも一際堂々とした佇まいをしています。 大阪とパリという都市は、人口の規模やその混沌としたカオスぶりが似ている(私見)のですが、そのパリにもシテ島というセーヌ川に囲まれた島があり、大聖堂がその中心地にあります。パリはその昔、シテ島以外は全く人の住んでいないかなりの田舎だったそうです。今や大都会ですが、都市計画というものは重要ですね。 大阪には梅田を中

          中之島公会堂の建設のために私財投じた、北浜の風雲児と呼ばれた相場師

          銀杏の葉が色づき暑かった夏が秋に変るような順当制は、株式市場にはない

          世の中、絶対ということはなく、特に株式市場においては、絶対に儲かる方法というものはありません。あるとすれば、それは絶対に(矛盾してるけど)詐欺又はペテン師の手法とのことです。 そんな中でもIPOの新規上場の株は、結構な確率であがります。稀に下がることもあるけれど。そんな中、東芝から分離して上場予定のキオクシアが今年最大の新規IPOとして注目されていました。 そして、そのキオクシアが上場の延期を発表しました。え、上場延期って、結構レアな発表です。。 キオクシアの大口顧客で

          銀杏の葉が色づき暑かった夏が秋に変るような順当制は、株式市場にはない

          『働きがい』と『やりがい搾取』の狭間にある「時間を切り売りする労働」を考えてみる

          資本家階級(ブルジョワジー)の対義語が労働者だそうです。 労働者の対義語は、使用者(会社側の経営者)とも思うのですが、日本には、就労している労働者が5千万人いると言われています。 そして、労働者の労働は、時間の切り売りだとして批判する人もいます。 しかし、わたしは、個人的に、自分の仕事が、誰かの役に立っていて、誰かの助けになってて、感謝を直接受けることもあり、労働の対価としての賃金だけではない「働きがい」も感じています。 長期間、失業(就労したいけど、仕事がない状態)を

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          公園に求めるものは、安らぎと遊び心です。

          公園って、素晴らしい。 世界中にありますが、日本の公園もまた素晴らしいです。ただし、公園は作られた時代や、その立地によって、さまざまなコンセプトがあると感じます。 私が、公園に求めるものは、みんなが憩いの場として集える安らぎと遊びごころでしょうか。 ブランコひとつとっても次のようなブランコは、ワクワク感があります。 キノコも、木々の下で、女の子は、おうちごっことか、好きなので、このきのこの下で食事するとテンションあがると思います。 そして、キノコに心なしか似ている噴

          公園に求めるものは、安らぎと遊び心です。

          常識は、常識があると自負している人こそ非常識になりがちと自覚すべき

          スタジオジブリさんて本当凄いと思います。 『常識の範囲でご自由にお使いください。』 常識外の大盤振る舞いをしながら、私たちに常識を求めるなんて、こんなん「常識が何なのかって」誰でも考えさせられるじゃないですか。やだ、もう。 常識を持たずして、このごちそうを食べれないというこの顔なしの気分。 そして魔法のように消える食事ではないく、珠玉のような作品をどのように使用すれば、常識範囲内なのか。常識とは何かを考えてみます。 常識という概念を少し真剣に考えるには、 『常識と

          常識は、常識があると自負している人こそ非常識になりがちと自覚すべき