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蝶を美しいと感じる美意識は輸入された文化だったのかを考える。

ある人のエッセーにて、「アメリカでは、蝶も蛾も同じ虫として取り扱われて、蝶に対する感覚が日本人と違うことに驚いた」と記されていました。

その時に想起したのは、日本にて「蝶が美しいというのは西域から入ってきた比較的新しい文化」ではないかと司馬遼太郎と井上康の対談にて、語られてたことです。万葉集では、蝶を歌うことはなく、蝶が美しいというのは比較的新しい時代の感覚だったの言説でした。

司馬遼太郎の推測では、安土・桃山時代頃に中国経由で西域から入ったとのことで、蝶蝶という言葉時代が中国語そのものだと。そして胡蝶の胡が西域を表すとして、西域とは、シルクロードの国々でしょうか。

個人的には、蝶柄がきれいとは感じるのですが、蝶の標本が苦手で、綺麗なので少し怖いと感じる感情が入り混じっていて、これが文化的なDNAによるものかは不明だったのです。

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しかし、調べて見ると蝶と言えば、花の蜜を吸い食物としているイメージもありますが、それだけではなく、動物の死骸に集まり、有機物を吸う種類もあるそうです。つまり、古来、蝶は死の象徴のようなものだったのかもしれません。

つまり蝶に対して畏怖を感じるのは、ある意味正しい。

トカゲを見て、恐竜を思い出して、後ずさりするのは、人間の真相心理の奥底にある心理なのと同様です。※この深層心理が本当にあるかは、感じたことはあっても見たことないのでわかりません。

しかし不思議なものだと思います。親が公園で蝶を見ては、「綺麗だね」と言い、蛾を見ては「怖いね」と仮に言ったとして、その感覚が伝わっていくものなのでしょうか。美意識とうのは、人それぞれに、個人の感覚とすれ思ってましたが、同調圧力の強い日本では、そう感じているように思い込むのか。

はたまた、そもそも動物・昆虫の自然の飛翔にて外敵から捕らえられないようにした形状時代に美しいと感じるのか。

蝶と蛾の違いすら正確に分別できない私には理解のしようもありません。

誰か「蝶を美しいと感じるのは文化の輸入なのか、そして美意識というのは、感覚では、他社からの教育や称賛に影響を受けるものなのか」研究していただけないでしょうか。文化人類学的な論文のテーマとして面白と思います。

・蝶柄の装飾品により、蝶が美しいという文化が西域から入ってきた

・蝶は日本では、昔から美しいと思われていた訳ではない(万葉集で歌われていない)

・世界の国でも国により蝶に対する感覚が違う

よく考えたら当の(本)蝶から考えたら、どうでもいいことか。

蝶が美しいと感じるかは、人の心のありようを伝えるためって言ってる人がいましたが、美しいと感じる感覚が時代と共に移ろってることと、普遍的に美しいと感じる方式があり、美しさに惹かれるのは、人間の本能だと思います。

人間が蝶が自在に飛翔する様に、心惹かれるのは、その形状、動き、自然への適応に対する嫉妬かもしれません。