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中之島公会堂の建設のために私財投じた、北浜の風雲児と呼ばれた相場師

大阪の中心地、中ノ島に大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は存在します。その堂々とした威容は、中ノ島にある数々の建築物の中でも一際堂々とした佇まいをしています。

大阪とパリという都市は、人口の規模やその混沌としたカオスぶりが似ている(私見)のですが、そのパリにもシテ島というセーヌ川に囲まれた島があり、大聖堂がその中心地にあります。パリはその昔、シテ島以外は全く人の住んでいないかなりの田舎だったそうです。今や大都会ですが、都市計画というものは重要ですね。

大阪には梅田を中心とした北や難波などの南もありますが、大阪において、どこが中心地かと言われるとなかなか難しいのですが、やはり淀屋橋や北浜を中心としたこの中ノ島が大阪の中心と考えます。

このあたりには、大阪市役所や日本銀行、大阪府立図書館など、数々の建築物がありますが、やはり中の島公会堂がシンボリックな建屋だと感じます。

現役の公会堂にて、大ホールの見学は原則できません。講演会とかが偶々あってここに入れた人は本当に幸運です。(わたしゃ、2回も入った、自慢しとこ)

そうそう、この公会堂の迎えには、大阪市立東洋陶磁美術館もあります。詳しくはこちらに記しています。(そんなに詳しくないか)

さて、今回の本題ですが、大阪市中央公会堂は、1911年に株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円を寄付したことにより、1911年に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まったとされています。この岩本栄之助は、北浜の風雲児と呼ばれた凄腕の相場師だったようです。しかし幾ら財産があっても、その私財を投じて、公会堂を建設しようという心意気が大阪人らしく、(お上が建造したのではない)誇らしく感じます。正直、現在の価値でも100万は寄付できないな。でも見栄もあり1万くらいならできるかもね。えへん。

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この中島公会堂の竣工は1918年です。

しかし岩本栄之助は第一次大戦による相場の変動で大きな損失を出し、公会堂の完成を見ないまま1916年に自宅の茶室でピストル自殺したと言われています。

この威風堂々とした大阪のシンボルたる中ノ島公会堂を見れなかったのかと思うのと残念でなりません。しかし、人間は、生きたようにしか死ねないとしたら、相場師としての悔いはなかったのでしょうか。

しかし、ひとつの教訓として、投資においては、絶対に信用取引などの身の丈以上の取引はしないとわたしは決めています。資産がゼロなら、なんとかなります。この国だし、生きる気力さえあれば、どうとでもなると、しかし人の財力を借りてまで、投資して、損失による借金がかさみ、自己破産という選択肢があったとしても、やはり信用取引などの投資は賢明ではありません。