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『働きがい』と『やりがい搾取』の狭間にある「時間を切り売りする労働」を考えてみる

資本家階級(ブルジョワジー)の対義語が労働者だそうです。

労働者の対義語は、使用者(会社側の経営者)とも思うのですが、日本には、就労している労働者が5千万人いると言われています。
そして、労働者の労働は、時間の切り売りだとして批判する人もいます。

しかし、わたしは、個人的に、自分の仕事が、誰かの役に立っていて、誰かの助けになってて、感謝を直接受けることもあり、労働の対価としての賃金だけではない「働きがい」も感じています。

長期間、失業(就労したいけど、仕事がない状態)をしたことのない人や失業した経験があっても仕事のありがたみを忘れてたりすると、働けることの有難さという感覚はあまりないのかもしれません。

一方、不当に安い賃金で(ここでいう不当というのが今回のひとつの課題なのですが)、酷使されて「やりがい搾取」と言われる労働もあります。

事例を出すとその職種の方々に失礼になるかもしれませんが、そのような見方があるという意味で言うと

某テーマパークの最低賃金に近いアルバイトの方であったり、某コンビニエンスストアチェーン店にて加盟店という形態で、働いているオーナーおよびアルバイトの人たちです。※コンビニオーナーは経営者ですが、実態は労働者にてコンビニ企業は団体交渉に応じろとの訴訟もあります。

前者は、コロナ渦においての雇止めが多発しており、また後者は、公正取引委員会が独占禁止法の適用を模索しています。

その他、保育士さんは、非常に高度なスキルと責任感で仕事しているにもかかわらず、その対価が高いといったことは聴いたことがありません。「やりがい搾取」との批判も的外れではありません。

また医療従事者の方々は、命懸けで職務についており、これらの方々への報酬がそれに見合ったものかどうかわかりません。

わたしの父の言葉ですが、「この国で一番しんどい仕事は長距離トラックの運転手さんかもしれない」と言ってました。そしてこの方々が社会の生命線であることは言うまでもありません。その他、ゴミ収集をしてくださっている方など、ほんとに社会を構築するうえでなくてはならないエッセンシャルワーカーの方々です。

私は、仕事柄テレワークができて、オフィスで仕事するときと遜色ない働き方ができますが、エッセンシャルワーカーの方々の多くは、テレワークができない場合が多いです。雨なのでテレワークするときは、エッセンシャルワーカーの方々に感謝しつつ、仕事しております。

さて、賃金が適正か否かのバランスですが、日本と最低賃金は世界の先進国の中で、低いと言われております。

しかし、日本の外食は非常に安いです。安すぎるくらいかと思います。

フランスのパリで弁当を購入するのであれば、1800円くらいはします。

そもそもミシュランの星付きというのは、外食をめったにしないからこそ、外食で失敗できないためのガイドということになります。前菜から始まり、皿の数やサービスの回数が違うので、それは当然に単価が高いですが、そもそもの労働者の賃金も違います。

日本の世界に誇るべき外食文化もコロナ渦にて打撃を受けて、心配ではありますが。。

働きがいとは必ずしも比例はしない、賃金について時間の切り売り換算で語ると、年収1000万の人は、ざっと時給5200円程度です。

計算式 : 1000万 ÷ [8時間 × 20日(ひと月の平均就業日)×12ヵ月]ただし、年収のうち、業績連動の賞与が300万あり、それを抜いた時給は、3600円くらいです。

年収500万の人は、年収1000万の人の半分の時給2600円ということになります。

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詳しくは、こちらに記載してます。

総額と言われる年収と実際の手取りは違い、手取りはもちろんもっと低く、年々手取り額が減っているという日本の現状も押さえておくべきかもしれません。2000年の年収750万の4人家族の世帯と、2020年の年収750万の4人家族の世帯では、受け取っている手取りの額が50万も違うと言われています。

『働きがい』と『やりがい搾取』の問題における適正な賃金という課題は、難しく、賃金を上げるのであれば、経営者から見るとそれならば、サービスの価格を上げるしかないということになります。価格を上げるということは、競合他社との競争においては、不利に働くこともあり、売り上げが落ち込み、利益を圧迫するというような循環に陥ることもあります。

先のテーマパークで言うと、世界基準では非常に安いですし、外食も同様に安いので、高くして賃金に還元するべきと個人的には思いますし、保育士等の方々は、国が賃金に支援するべき対象の職種です。少子化の問題と、教育(教育費)の問題は、問題群としての関連性が非常に高いため。

適正な賃金は、資本主義社会としては、需要と供給のバランスにおいて、国が一定、最低賃金等の法律で介在する問題にて、ここではすべては語れません。

ただ、ひとつ言えることは、理想的な労働とは「例え賃金がもらえない前提だとしても、明日仕事に行きたいと思い、多くの人の支えになる、自分にしかできない仕事をして、結果として適正な報酬を貰えている」というようなものだと思います。これを時間を切り売りしているとは、批判させない。

いきなりこの境地に達することは、まずないとしても、いくら資産があろうとも自分にしかできない仕事はしたいと思います。※資産ないです。

仕事した後のビールうまいし。これがまあ結論ですかね。