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知的好奇心ってなんだろう?   I.S.J.志学塾 佐藤誠二さん編


 母業を初めて4年目。子どもにわたしの願望を押し付けてはいけないなと思いつつも、ひとつ望んでいることがあります。それは「知的好奇心を育んで欲しい」ということ。わたしが住む水戸市周辺に、そういう意味で気になる教育関係の方が何人かいます。そのひとり「志学塾」を経営している佐藤誠二さんは、いつもSNSで私の育児の指針となる情報を発信してくださっています。SNSでやりとりをした佐藤さんの一言がとても印象的です。「子どもの心に学びの火を灯すのは感動です」。

 塾で一体どんな風に子どもたちと接しているのか、そのお話を通して「知的好奇心」のヒントが得られるのではないか。佐藤誠二さんのお話を聞きに行ってきました。(取材日:2020/2/17)

【佐藤誠二さんについて】
栃木県宇都宮市生まれ、小さい頃からダム建設に憧れ、理工系の学部を出て建設会社に就職。その後、水戸の進学塾で講師として働き始める。受験だけが目的ではない塾の在り方を実践するため、1996年友部にてI.S.J.志学塾を設立。小学生から高校生までを塾生に、今年で25年目。
(茨城県学習塾協同組合 副理事長/水戸市教育総合研究所 運営委員/日本イエナプラン教育協会 会員/いばらき発達障害研究会 会員/NPO法人水戸こどもの劇場 副代表理事/プログラミングWSファシリテーター など)

「志学塾」ではどんな風に勉強をするんですか
 小学生の場合、異年齢の子どもたちが同じ教室で無学年の教材を使って学んでいます。塾では個々の教材に取り組むんですが、メニューはいくつかこちらで用意しておいて、ひとりひとりの顔を見て、その子に必要なところやその子が興味を示すところをうまく見つけながら進めます。「今日はこっちのほうがのってるな」と思ったらそっちをいっぱいやっても構わなくて、「ただこっちもやってね」みたいな声がけはします。

なぜ「無学年」スタイルにしたんですか?
 異年齢も一緒にごちゃまぜのほうが、子どもと子どもを比べなくて済むでしょう。同調圧力もなくて済む。能力のある子はどんどん先に進んでいいし、ゆっくりの子はゆっくり進む権利がある。ドイツやオランダの「イエナプラン教育」という教育モデルの考え方と同じで、それぞれにとって無理のない成長をサポートしています。よく教育を語る上で「指示」か「支持」かっていう話がありますけど、わたしは子どもたちを「支持」したい。学ぶことが面白いと思えるように支持をしていきたいですね。

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佐藤さんの立場は「指導者」じゃないんですか?
 わたしの立場は指導者ではないです。本人の「自力」をバックアップするサポーターといったところでしょうかね。やっぱり自分の力で解けたっていう喜びが重要だから、そのために私は、学ぶことを苦痛とさせず面白がれるように工夫する。塾生ひとりひとりとの対話を重視して、本人が本当に必要だと感じるようなことをやんなきゃいけないと思っています。

安心して学べそうですね。安心のために心掛けていることってありますか?
 ひとりひとり表情を見るよう気を付けています。脳科学的には人間って、安心できる前提がないとそんなに成長ってしないらしいんですよ。ちゃんと顔を見ていれば無理強いしてしまうこともないし、「もう少しこれやったほうがいいかな」とか気付ける。
 あとは自分のことを見てくれてるって安心感もあるんじゃないですかね。すごく意識してその子を見るというより、「髪切った?」っていう程度の。「今日は何かあったな」と感じたら「今日どうしたの?」とか。人として接すればいいんじゃないでしょうか。ただこっちは学習に関してプロなので、そういう時にそれなりの情報と環境を提供することができる。

コメント 2020-05-04 171909

佐藤さん自身、小さい頃には安心して学べていたんですか?
 そうですね。いい大人に何人も出会えましたよ。同級生はみんな幼稚園や保育園に行ってたんですけどわたしは行かず、米農家をしている親にくっついて冬は山で落ち葉を集めて堆肥を作ったり、春には田んぼに肥料を撒いたり、そういう四季の中で育ってたんです。その時の体験が基礎になって小学校で理科とかやると、とても面白かった。教科書を読むと「雲のでき方」とか、「堆肥は食物連鎖の一部」とか書いてある。小学校1、2年のとき私は他の子よりも遅れていたと思うのですが、担任の先生が多分、わたしがコンプレックスに感じないように接してくれてたんでしょうね。だから小学校の時は本当に勉強が面白くて、算数とかはもう教科書じゃ足りないので分厚い算数の本を買ってきて、雨の日とかに解いて遊んでました。

そこから今の塾に至るまで、どんな経緯があったんですか?
 子ども心に大きいダムを作ることに憧れがあって、大学でその勉強をして建設会社に入りました。でも学生の頃からやっていた文化系の活動とか地域のことも面白くて、「コンクリートより人だな」と思う面もあった。色々あって辞めたあと、友人の誘いで腰かけ的に進学塾で塾講師を始めました。中学受験のクラスも受け持ったので、本気で中学受験のことを分析して授業をして、結果としてかなり小学校6年生を私立中に入れちゃったんです。合格「させちゃった」。その時は嬉しかったけど、本当に学力がついているわけではなく受験対策で点をとった子たちが、入学してからの勉強に全然ついていけなくなってしまいました。中学で辛くなる子たちが結構でてきたんです。そういう反省があって、この塾を始める時に「持続可能な学力」を目指しました。こっちから「あれやれ、これやれ」って言うんじゃなくて、まずは対話を重視するという指針を持ちました。

「持続可能な学力」をどうやって育んでいるんですか?
 わたしが重要視しているのは「思考力」と「読解力」ですね。塾では考える時間をしっかり確保します。「問題を自分の力で解けた」という喜びや、勉強を嫌いにさせないことも大切なので、強要はしません。こちらではいくつかの教材を用意して「このうちどれをやる?」とか「どれからやる?」とか聞きます。「この子には何が適当なのか」っていうのは常に探るから、コンテンツを10用意するだけじゃだめで、やっぱり手の内には100くらい持っておいて、その中から今どれを出せばいいかを探ります。
 あと、オリジナルの「読解算数」という文章だけが書いてある問題をよく使います。これは解く前にこちらから解法を教えません。問いを読んで、絵を描いても図を書いてもいいから自力で解法を見つけてもらいます。この「読解算数」を続けると、自分の知識から問題を類推しながら広げていけるようになって、自分で解法を見つけた喜びを知っていく。その面白さがわかってくるようになると、こちらからヒントを言おうとすると「待って!」「今日持って帰って考えてくるから言わないで!」みたいな反応もよくあります。

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オリジナルの「読解算数」

学習の下地作りで大切な時期ってありますか?
 中学校からだと、なかなか下地づくりにかける時間がないんですよ。やっぱり小学生のうちの長い時間で、色々試行錯誤ができて自分で気づきながら学んだほうが、子どもたちも面白いですよね。それに小学校低学年はとりあえずみんな勉強好きですよ。うちの塾ではないんですが、プログラミングのワークショップを時々年長さんにやることがあって、そういう時彼らは本当に勉強が好きだなと感じます。新しいことを吸収する力もあるし、発見するし。学ぶ事自体、それはもう人間の「欲」なんじゃないですかね。ただ、受験勉強は決して欲ではこなせないですけど。

受験勉強はまたちょっと別なんですね
 基本的に学習って長距離走と短距離走に分けられると思うんですよね。普段の勉強は長距離走なので有酸素運動。自分で呼吸しながら学習をしていく。受験はもう短距離走でゴールが見えているので、そこは一気にやっちゃったほうがいい。中3の夏休みから受験のための一斉指導をします。「思考力」「読解力」ができていれば受験勉強の時に一気に吸収しますね、スポンジのように。わからない問題を解くことが苦痛じゃないから。例えば東京大学に入った子なんかは、中3の1学期で担任に「水戸一高に受かるのも危ない」って言われた。でもわたしから見たら「考える力が付いてるから、問題のレベルが上がってくれば力を発揮できるな」と。小学校からうちで下地を作れていたので、ここから伸びるって思っていました。

 その子が問題に対してどんな間違いをしているのかも重要だし、どういう学習をしているかも大事。「思考力」「読解力」がしっかり付いていれば、志望校に受かった後の学力も続くので本人が苦しむこともありません。でもうちの場合は受験はあくまで目的ではありません。学びが面白くなった結果として、レベルが高い環境が欲しくなるという感じ。あと、子どもによって向き・不向きはあるということも大切です。

最後になりますが、佐藤さんは子どもたちにとってどんな大人でありたいですか?
 「無責任な関係を維持できる、責任ある大人」ですかね。いま、子どもと関わる大人はみんな責任ある人ばかりなんですよ。親の責任、教師の責任、あとは習い事だって結果を出さなきゃいけない。「無責任な関係」なら、子どもに押し付けがないですよね。こうしなきゃいけないっていう型にはめなくていいじゃないですか。親に怒られても隣のおばちゃんのところに行って泣きついて「そんなねぇ~!」って味方してもらえるみたいな。どこかで読んだんですけど、「子どもの時に自分を否定しない大人がいる」って重要みたいなんですよね。いろいろな困難に出会った時に立ち直れるかどうかは、親以外の信頼できる大人が周囲にいたかどうかなんだそうです。そういう大人がいれば、親との関係もうまくいくんじゃないでしょうか。それでいて、こちらは勉強のプロだからその責任は持つ。外したアドバイスはしませんから、そのへんは「隣のおじちゃん」よりちょっといいかなと。

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 学びというのは本来、人間の欲であるということ。子どもはみな学びを楽しむ権利があるということ。親としてとても大事な目線に気づくことができるお話を聞くことができました。ここから巣立っていった塾生たちはきっと、勉強以外でも何か困難にぶつかった時に試行錯誤し、ふんばり、乗り切る力がついているんじゃないかと想像しました。

この「知的好奇心ってなんだろう?」シリーズを含め、誰かのこれまでを掘り下げさせていただく記事は今後不定期で更新予定です。掘り下げられてみたい方からのご連絡もお待ちしております。

ライター:栗林 弥生(茨城県水戸市)

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