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船木の飛型を目指して書いていく。

車で京都市内をウロウロする仕事をしている。

突如として、便意をもよおしたので近くのコンビニに立ち寄った。

店員さんに「すみませんトイレ借ります!」と声をかける余裕もなく、店の角にあるトイレに直行する。

トイレのドアノブの青色に安堵し、即入室。

便器の蓋は閉まっていた。
よっしゃ!排便できる!と勢いよく蓋を開ける。


すると。
いた。


堂々といた。
鎮座している。


堂々と。
それはそれは、堂々と鎮座している。


💩「なんやお前。ここは俺の場所やで」


と言わんばかりのうんちがいた。



先客が流し忘れたのだろうか。
さも当然のようにうんちがいた。


・・・

しかしながら、立派なうんちだ。
存在感のある一本糞いっぽんぐそ
トメ、ハネ、ハライのある一本糞だ。


太すぎず、細すぎず。
どこの誰がみてもビューティフォーなうんちだと判断するだろう。


今も昔も人類たるもの争いの連続。
世代の違い、人種の違い、宗教の違い云々。


目の前に鎮座してるうんちは、多種多様の違いを超え、万国共通の認識としてビューティフォーだと拍手されるだろう。


例えるならば、長野オリンピックのジャンプ個人ラージヒルで飛型点満点を出し、金メダルを獲得した船木の飛型くらいカタチの整ったうんちといえる。


美しい〜



そういえば、私は、毎日更新をしている。


取り立てて、大したことない文章を毎日生み出し続けてる。それは言ってしまえば、毎日毎日ひたすらに1000字のうんちを産み出してるみたいなものだ。


なるほど。
それはそれで健康的か。


本日も快便快調なり。
素晴らしい。





否。




私は、毎日うんちは出しているが、コンビニで出会ったうんちのような文章は書けていない。


私とて、栄養のあるうんちや芸術性の高いうんちを産み出したいもの。


しかし、できていない。読んだ人が何かを感じることができる文章を書きたいとは思うが、できてない。


いわば、トメ、ハネ、ハライのあるキレのいいうんちを出したい。



なるほど。

このコンビニうんちは、伝えようとしていたのか。
出してみろよ、と。

俺みたいなうんち出してみろよ、と。

そんなことをぼんやりと考えながら、ふんぬっ!ときばる。

さて、私のうんちはどうだ。
ふむふむなるほど。
鎮座という言葉は使えそうにない。
私のうんちなんて所詮そんなもんだ。

これは残せない。
このうんちは残せない。

水洗トイレの時代に生きてて良かった。
飛型点の低い予選落ちのうんちをザーッと流す。


はぁ。
まだまだ未熟なり。


おっけ。
精進精進。


私とて、いつの日か飛型点満点のうんちを産み出しものだ。



・こぼれ話

トイレの流し忘れって、開けた瞬間びっくりしますよね。ブツが立派なときは、何かの自己顕示欲の現れかしら?と逆に感心しちゃう時があります。しかし、大概は汚いし、見られたものではないです。なので、皆さんちゃんと流しましょう。そして、私自身、流し忘れに注意してこう。

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