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近代の虚妄(佐伯啓思著)

デジタルorアナログ

神田神保町といえば本屋街。
私は高校時代に漫画の持ち込み投稿をしていたこともあり、この神保町という街にはとても愛着がある。

電子書籍という便利な媒体もようやく浸透してきたと思えるが、紙媒体も捨てがたい。
本屋へ行くとたくさんの未知の本に出合える。
電子書籍のサイトだと、何となく冷たい感じのする、心の通わない”おススメ”がこれでもかと押し寄せる。それはそれで便利ではあるが、さして驚きはない。

ということで表題の『近代の虚妄』は本屋で発見した本だった。
目次を見渡して「面白そう!」と思い、購入を決めた。
500ページもある本を買うのは久しぶりだった。
分野は哲学、現代思想。
コロナ禍によってより鮮明になった現代の諸問題について、より深く理解するためのツールになりえる、と思った。

なぜ『近代』なのか

佐伯啓思さんの本を読むのは初めてだった。
その筋では大分有名な方だったようで、年齢的にも大御所。
目次や帯を見て気になったのは、やはり近代を語りながら日本思想に焦点を当てているところだった。
日本にとって近代とは何であり、どう理解すべきなのか、という問いは自分でも重要だと思っており、色々な思考する上での前提にもなっている。
近代とは欧米が辿った歴史の先に誕生したシステムであり、それは世界を巻き込んで今なお存続している。
そのシステムの綻びは既に19世紀末~20世紀前半に指摘されていた。
延命措置によって生きながらえてきたボロボロの近代システムが、コロナのパンデミックによって、いよいよ自己が抱える矛盾を剥き出しにしはじめた。

グローバル化が進行したがゆえに抱える問題は深刻で、これから先、どのような理解とメンタルをもって生きなければならないのか、そんな問いに対する回答のヒントが、この書にはあるように感じた。
日本思想について書かれているのは、実は最後の方に少しだけだ。
しかし、それは近代とは何か、という幾多の出来事が複雑に絡む歴史を紐解く必要がある。
西洋哲学、主にハイデガーとニーチェの説明に、この本の紙幅の多くを割いているのは当然かもしれない。

『哲学』は難解か

哲学というのは難しい。
言葉は読めても理解に辿り着くには多くの教養と思索が必要になるからだ。
哲学者の著述はまったくその点において不親切なものが多い。
だから研究者が必要で、彼らの理解と翻訳が頼りとなる。
原典を読めばいい、という話ではないのだ。

その点、佐伯氏の説明はとても平易な文章で書かれており、かつ2~3回、内容によっては形を変えてそれ以上にしつこく繰り返されるので頭に残る。
しかし、それでもニーチェとハイデガーである。
ともに難解と言われる哲学者だ。
哲学に関する基礎知識がないと、これでも難しいと思う。
ちなみに、私がいくつか読んだ哲学の入門書で分かりやすい、とおススメできるのは萱野稔人さんの『名著ではじめる哲学入門』(NHK出版新書)だ。

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色々読んだが、これが最強ではないか。
この本で特に重要なハイデガーについては、やはり基礎知識が必要になると思う。それに比べるとニーチェは言葉がラジカルなところもあって(神は死んだ!とか)何となく意味合いは分かる。ニーチェ理解にはむしろ宗教史が重要になるだろう。

『有』と『無』

この本が示したことを端的に言うと、存在の基準が『有』にある欧米(ギリシャ哲学~ユダヤ・キリスト教~理性)と『無』(仏教)にある日本の違いであり、その優越ではなく、今後は共存であり、お互いがそれぞれを理解する必要があるだろう、ということだった。

その『有』の説明に3分の2以上を費やしている。
しかしこれは本当に理解の土台となるので重要な部分だ。
日本についての記述が少ないのは、そもそもその土台が必要ないからだ。別の言葉で表現すると、そういう歴史を持っていない、からだ。
島国の一国一民族であるから、それほど複雑ではないのだ。
陸続きの世界ではヨーロッパを主体とした戦乱が常にあったし、ユダヤ-キリスト教というとてつもない大きな物語が社会に浸透し、更に複雑化した。

どこに真実があるのか、それは本当にあるのか、何をもって真実とするのか、そんなことはそもそも無いのか、という哲学的な問いが今重要になっているのは、始めに書いたように、コロナ禍によって潜在的矛盾が剥き出しになったからだ。

その矛盾がゆえに表出する目を覆うような痛々しい現実を前に、私たちはもう一度大いなる『知の力』を借りなければならない。
存在の意味を問わなければならない。
そうしないと、応急処置ではもう真実も正義も語れなくなってしまった。

そんな内容ではなかっただろうか。
こんな時代だからかそ本質に迫る行為、つまり哲学することが必要なのだと、私も思う。


拙著『∞D - 夢想幻視のピグマリオン -』について

私は音楽や映画や小説を創作する人だが、その中にそういったエッセンスを入れているつもりだ。これらはあくまでエンタメなので、難しいテーマはもちろんメタファーとして物語の中に入れ込んでいる。
特に、コロナ禍の昨年書き上げたSFミステリー『∞D - 夢想幻視のピグマリオン -』は、ライトノベル的なキャラ小説の形態だが、コロナ禍後の世界の行く末を思索した近未来ストーリーだ。
本好きの友人の何人かが、想像の数倍面白い、と言ってくれ、長文の感想まで書いてくれた。
以前の記事にも書いたが、現在とある賞の一次選考通過中の作品だ。(二次選考は残念ながら通りませんでした)

以下の紹介文を読んで興味があれば是非続きを……

満たされた人生とは何か……
一つの未来と二つの21世紀が交錯する、SFライト文芸
物語を読み終えたとき、その答えはあなたの心のどこかに、ぼんやりと宿ることでしょう。

【21世紀の君たちへ】
人生は一度きりだ。それは僕が生きる未来でも君たちの住む21世紀でも同じだ。
しかし未来にはVRL(ヴァーチャル・リアリティ・ライフ)がある。
たった2時間で人生を経験できてしまう凄いシステムだ。
僕が敬愛する天才科学者、木佐貫一博士は2101年に『シンギュラリティ宣言』を発し、その後科学は飛躍的に進化することになる。
ところが、ドクター木佐貫はその宣言の後、『木佐貫黙示録』と呼ばれる遺書を残して失踪してしまう。
VRLシステムは『シンギュラリティ宣言』から200年を経て誕生した。
僕はVRLで21世紀へ行き、ドクター木佐貫失踪の真実に触れたいと思っている。
そこで僕は21世紀の君たちへメールを書こうと思った。
未来でも過去にメールを送ることはできないが、いつかその日が来ることを夢見て。
そのメールはプロローグに綴った。
まずはそれを読んでほしい。

君たちにとっての未来人、柊周より

https://ncode.syosetu.com/n8860gk/

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