生い立ち
普通の社会人には無くて、じぶんにはあるもの。
それは、自由に使える時間だ。
なのでこの記事は、その時間を使い、自分のことをわかってもらうため、幼少期から現在まで。覚えてる限り、書かせてもらう。
家族構成
父母兄の4人家族。仲は良好
みんなこんな自分を受け入れてくれて本当にありがとう。とここで綴っておく
中でも兄とは本当に仲が良く、音楽の趣味嗜好が同じなので
この歳になってもライブやフェスに一緒に行く
こんなふうに育ったのは、親の育て方と兄の性格あってのものだろうと思う。
幼稚園まで
3〜4歳ごろの時に小児がんになる
今では完治しているが、治療の副作用で身長は小さめ。
でも命あってのことなのでそんなの問題ない。
その頃の記憶は乏しいが、良かった記憶でないことは確かなので
このまま乏しいままでいることにしよう。
なので幼稚園は途中入園。
そこで出会ったさおりちゃんが初恋相手。
小学時代
特にこれといってないが、今と違い、割と明るく友好的で
友達も多かったと思う。
うーん本当に覚えてない。
中学時代
中学生ながらも、体力的にきつかった記憶がある。
朝6時に家を出て、部活の朝練、その後諸々の授業を受けて
放課後は、夕練。そして急いで帰宅し、塾に通い、帰宅は夜22時過ぎ。
ちなみにこの中学時代、頭がぷちパッカーんして、2週間不登校。
おかげで併願の私立は受験できず。
そして入った高校は偏差値の低い工業高校。
高校時代
入学式の時に見る初めての面々
その面々はクローズワーストをすご〜くマイルドにした感じ
学校生活は、口開けば、だるい。帰りたい。ばっかりのクラス
英語の授業、初めは席の端から1人づつABCを言っていく
何故か途中で止り最初から。
まじかよと思った。
なので入った時は、ここで成績上位取れればいいとこ就職できるか
あるいは、推薦で大学に行けると思った。
だがそう甘くない。
環境は自分を悪い方に進めていく。
気がつけば、自分も口を開けば、だるい。帰りたい。
放課後はバイトに明け暮れる毎日。
結局は全然勉強もせず、就職もする事も考えてなかったので、
情報系の専門学校へ。
専門学生時代
うん。情報系の専門学校はやめた方がいいよ。
言えることはただそれだけ。
その後
結局専門学生時代ではリーマンショックやらなんやらで就職できず。(自分の努力足らずのせいだろ)
その後思い出したくないニートを経て、某スーパーの青果部門にて働くことに。
人間関係にも恵まれ、小売には珍しくシフトも固定で、8時〜17時だったので
全然苦ではなかったが、去年12月に自身のステップアップを望み、転職。
同じ小売・接客業に転職したのだが、シフトも遅番早番ぐちゃぐちゃ
月数回の通し(朝7時から夜22時まで)
食べてもたべても痩せていく身体。疲れていても寝れない身体。
休みの日でも休まらない身体。
これはおかしいと思いメンタルクリニックへ。
そこで言われたのは適応障害・鬱症状
環境を変える以外治す方法はないと言われ、ドクターストップ。
今年3月退職。
現在は就職に向けて頑張っている・・・と言いたいところ。
なんか辛気くさい内容になったので、次の投稿からは、変えてこ。
では。