【文章にする】自分を知るための最適なトレーニング方法
瞑想などの積極的に自分の内側へ入っていくやり方とは別に、積極的に自分の外側と関係を持つことで、自分自身を理解していく方法があります。そのためのアイテムが「言葉」になります。言葉を使って書くという行為は、最適なトレーニングだと思います。言葉の力を一人一人が理解して使い、平和な世界になるのを願って書いた文章です。
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メールやSNSで文章を書いていて、ふと気付きました。
気持ちが荒んでいる時、
嫌な人とのやりとりで使う時、
嫌な文章を目にした後、
自分が使う言葉が荒れていることに。
意識していなかったのに、文章が意地悪になっている。。。
そんな文章を見た人が、気分良くなるとは思えません。
あるいは、その文章を目にした人と戦いが始まるかもしれません。
それに気づいた後、静かに全文を消して、書き直しに入りました。
気分が落ち着かなければ、書くタイミングをずらしました。
そんなこんなで、書き直した文章からは「意地悪な感じ」は出ていませんでした。
(あくまで私の感覚ですが…)
メールやSNSやブログであれば、自分の内側から外側に言葉が出て行く時に、フィルターをかけられます。
自分から言葉が離れて行く前に猶予があるのです。
だけど、対面で会話している時は難しさが生まれます。
見直すタイミングは、ほぼ「ない」に等しいです。
そして、一度自分から離れた言葉は、「今のなしね」と引き戻すことができない。
だから言葉選びは、より慎重にならざるを得ません。
その結果、歯切れの悪いコメントになる場面もあることでしょう。。。
メールの返信にしろ、
SNSのコメントにしろ、
ブログの文章にしろ、
脊髄反射的に、感情のままに書いて、返信または公開していると、自分を見直す機会を失ってしまいます。
「文章として何かしらの言葉を書く」という行為は、そのまま「自分を見つめる」行為につながります。
自分で書いた文章を見て「なんだ、自分はそんなふうに考えていたのか」と気付く瞬間が多々ありました。
ヨガとか瞑想とか「自分を見つめる」メソッドは、色々あるでしょうけど「ただただ、自分の内を見つめる」だけでは十分ではないのです。
自分の内側を外に出して客観的に見たり、外に出したことで作られた関係性を観察することで「自分自身に気付く」のです。
自分を見つめる とか
自分を知る のを目的に、
瞑想などで内へ内へ入って行くやり方もありますが、人は最終的に外部との関係性の中で暮らしていくわけなので、「外へ向かう」意識が必要です。
そのためのアイテムが「言葉」なのだと思います。
「言葉」については、こちらの記事でも触れています。
上手く使えば、自分や他人を癒すアイテムになります。
使い方を間違えれば、自分や他人を傷つけ、戦いを生み出すアイテムになります。
過度に恐れず、適切に使い、望む未来へ向かいましょう。
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