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甲本ヒロトの歌詞、「いままで覚えた全部、でたらめだったら面白い」そんな気持ち分かるー!

コロナ禍によって、それまで当たり前とされていたことが、そうではなくなり、反対に少数派だったことが多くの人に受け入れられるようになったりと、価値観の変化が大きく見られる昨今。

「視点の違い」に興味がある私としては、時代の大きなうねりの真っ只中にいるんだ、と思うと感慨深いものがあります。


そして、「本当や本物って何だろう?」と考える時に、私が思い出すことが3つあります。

1つめは、鎌倉幕府の成立年について

鎌倉幕府の成立年は、1192年だと思いますか?
そうでしょ!と思った方はだいたい年代が分かりますよ 笑。実は、最近では1185年に成立されたという説が有力なんだそう。学校の教科書でも1185年と記載されているとのこと。

ですが、1185年というのもどうやら怪しいようで、他にも、1180年・1183年・1184年・1190年の諸説があるそうです。何を持って「鎌倉幕府」と呼ぶのか。その解釈によって年号が違うんだと。


源頼朝は1185年、諸国に守護・地頭を設置する権限を後白河に認めさせたので、実質的にはこの時から「鎌倉幕府」の体制ができていたことから1185年としたんだそうです。ちなみに、1192年は、頼朝が征夷大将軍に任命された年です。

なんと!解釈、定義の仕方で7年も伸びた!

まぁでも、この「時代」の制定も近年の人たちだけでの共通認識でしかないのです。歴史学者という人たちの見解であって、その職業がない時代は「歴史」なんて概念すらなかったかもしれない。考古学に至っては、当時に生きていた人からすると「考古(過去の文化を研究すること)じゃないし。今だし!」と言うでしょうね。

そういえば、近代から見る「その時代」に名前をつけただけという話で、「はい、昨日までは奈良時代でした。明日から平安時代ですよー!」と明確に区切られるものでもなくて、ゆるりとした大きな流れの中の移ろいのことだよねと、友人が話していたことも思い出しました。確かに!こういう視点でみると面白いですよね。

歴史や時代の話になると、定義、解釈、想像、予測に寄るところも多いので、年号制定をする意味があるのやらないのやら。少なくともテストで出すような問題ではないと思ってしまいます。だって、もしかしたら鎌倉幕府の成立年を「1185年」と、数十年前に書いた人がいたとして、その回答で志望校に落ちてしまったとしたら、その人の人生は確実に変わっているはずで…。歴史の問題によりその人の歴史が変わってしまうという何とも皮肉な。

(こういう面白さもまた、考古学や歴史学の醍醐味なので、私は嫌いではないですけども)


2つめは、浮世絵の色について

私は古美術も、近現代の美術も年代問わず興味があり、数年前から浮世絵にも興味が湧いて関連本を読んだり、実際に見に行ったりして楽しんでいるのですが、北斎先生の『富嶽三十六景』全46図中の1図「凱風快晴(通称 赤富士)」をモチーフに、本物について思うこと。

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画像:ウィキペディアより

この絵は木版画で、肉筆浮世絵とは違うことがまず大きなポイント。肉筆浮世絵は筆で描かれた一点物。片や木版画は版画なので、大量印刷をすることができ多くの「本物」が存在します。通常は初摺(しょずり)と言われる最初に摺った200枚は、絵師の指示通りに刷られるそうですが、その後に摺られた後摺(あとずり)は、摺師(摺る専門の人)に一任されるとのこと。

現代でもこの「赤富士」は大人気ですが、時代を超えて人気があるようで江戸時代でもとても売れ行きがよく、一説によると一番多く摺られた浮世絵とも言われています。
ということは、多くの「本物」が存在するこの「赤富士」ですが、これは木版画なのでたくさん摺っていると、木はすり減るので線が変わってしまい、絵も変わって見えます。また、人気のものだと急いで摺りたいので、繊細なぼかしの版は摺らずに工程を減らす時もあったり、それから後摺(あとずり)は絵師の指示は入らないので、摺師の好みの色合いになったり、はたまた売れ行きがよかった色合いをたくさん摺ったり、と、数が多くなればなるほど様々な「本物」が生まれることになるのです。


また、大英博物館で企画展が開かれた”Hokusai beyond the Great Wave“にスポットを当てた映画「大英博物館プレゼンンツ 北斎」の中で、この「赤富士」の初摺(しょずり)について触れられている場面がありました。それは私が今まで「赤富士」と思っていたものとは大きく違った色合いで、映像を通してですがとても美しく自然な色合いが感じられ、北斎先生がこの色合いを求めていたと思うと、そのセンスに改めて感動しました。(本物をみてみたい!)

そして、タイミングよく「赤富士」を同じ時期に違う美術館で見ることができたので、新鮮な記憶を頼りに比べてみたのですが、記憶という曖昧な印象にも関わらずその色の違いは分かりやすかったです。特に富士山の赤の色が顕著で、その絵全体の印象が全く違うものになったのは驚きでした。

個人で見て楽しむ分にはいいのですが、芸術作品なのでここに値段がつけられることもまた興味深いです。
2007年11月8日、ロンドののクリテスティーズでのオークションで、版画では世界最高額となる28万8500ポンド(約6,800万円)で落札されたとのこと。おそらく初摺(しょずり)のものだと思います。ウェブサイト上で販売されているものでは、150ポンド(約22,000円)、13,000円などを見つけました。
※浮世絵は初摺(しょずり)、後摺(あとずり)の他に復刻版も存在します

種類も枚数もあって、現代のものではない浮世絵に贋作が多いと言われるのも、もはや仕方ないことだと思います。
北斎漫画のコレクターで北斎や浮世絵をよく知る方とお話したことがあるのですが、「すごい発見です!」と大々的に報道されたものの中にも贋作があるとおっしゃていました。このお話を聞いた時にも「本物」って、「価値」って何だろうと思いました。


3つめは、「情熱の薔薇」の歌詞

1つめ、2つめの結論として、やっぱり、自分で調べて、考えて、感じる、ことが大切で、自分の中で「これだ!」という自分の正解が見つかったら、それでいいんじゃないか、と思います。情報に振り回されず、人が何と言おうと、結局は自分の感性を信じて、いいな、好きだな、と思ったものに満足できていたら、それで終わり。

そして、そんなことを考えると、決まってこの曲が頭に流れます。

永遠なのか本当か
時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない
そんな物あるだろうか

見てきた物や聞いた事
いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ち分かるでしょう

答えはきっと奥の方
心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る
心のずっと奥の方

作詞:甲本ヒロト


私が好きなのは特に、「いままで覚えた全部 でたらめだったら面白い」です。じゃあ、どんな世界が見えてくるんだろう!?と、新しい景色を想像(妄想)することが、とても楽しく感じます。

瞬間で移り変わるこの世界。人によって見えている景色が違うこの世界。みんなで「これって、本物だよね」って確認なんてし合わなくても、自分の中の「本物」を信じて楽しめばいいんじゃないかな、と思います。

みなさんは、どう思われますか?

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このnoteでは、わたしから見える景色を綴っています。
読んでくださった方の心に止まり、また違う景色が広がったら嬉しいなと思います。

よかったら自己紹介を含めたこちらもご一読ください。
「わたしの景色」

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