僕たちは何者になりたいのか
「自分は何者なのか?」といった疑問を、ふと誰もが考える時が訪れる機会があるんじゃないだろうか。
何のために生まれ。
何のために存在し。
何のために毎日を過ごしているのか。
こう書くと「病んでいる」だとか「メンヘラ」だとかに思われがちではある。
だけど光がある中には、必ず影も存在するものだ。
結論から語ると、何者に対する答えは自分で見つけるしかない。
誰も教えてくれないし、心の中を覗けるわけではないため知ることすらできないのである。
仕事探しや就職・転職活動をしているとよく耳にする”自己診断ツール” がある。
・ストレングスファインダー
・エニアグラム
・コンピテンシー診断
・パーソナリティ診断 etc...
探せばめちゃくちゃ多くの診断ツールが出てくる。
注意したいのは、出てきた診断結果は、あくまでも統計学上の結果ということ。
頭の中ではなんとなく理解していることでも、言語化できない部分を翻訳してくれるのに役立つだけだ。
もちろん、上手に活かすことができればかなり役に立つし、人生をより豊かにできるかもしれない。
ただ、自分が何者なのか...ということを定義するには、物足りなさすぎる情報の質なのである。
なぜ物足りないのか?
それは、僕らは社会的なモラルで生きているのと同時に感情で生きているからである。
喜ぶ。
怒る。
哀しむ。
楽しむ。
もっとわかりやすく例えると、気分。
「今日は天気悪いな」
「今日は寝覚が悪いな」
そんなことで、学校や会社に行きたくなくなる。
友人と約束していた予定でも、急に面倒くさくなってきたりする。
そんな起伏の激しい荒波の毎日を送っているからこそ、『何者』という定義が難しい。
結果、固定化されていかないまま毎日を過ごし、死んでいくのである。
だからこそ考えたい。
自分がここに生まれ、存在し、何のために毎日を過ごしているのか...の認識を。
今の仕事には、きっと役職や担当業務などの役割があるだろう。
その役割が、自分自身の存在意義には留まらない。
もっと、広い定義があるはずだ。
その定義は、自分の意識次第でもあるはずだ。
営業マンは、ただ商品を届けているわけではない。
経理事務は、だた数字を見て資料の整理をしているわけではない。
商品を届けた先の笑顔や満足感を売っているはず。
前線で働く人たちのサポーターとして、安心という名の価値を出しているはず。
仕事だけでも、こんなに存在意義が見つかる。
人生ほど広い定義であれば、もっと大きなものが見つかるはずである。
僕もしばらく考えてみた。
「自分は何者なのか___」
こうしたネットの世界であれば、Nanaseを通じて何かしら、心動くものがあれば嬉しい。
僕は頭の中を整理するために、考えを文章として外の世界に出すために、記事を更新している。
その先が、誰かの何かに繋がるのであれば、それはそれでとても誇りに思えることである。
「誰か」も「何か」も、最初は具体的ではなくても良い。
人生において、100%の正解なんてないんだ。
あるとしたら、全部100%の正解なんだ。
すべて自分の心の持ちようである。
見つけるのは、明日かもしれない。
数日後かも、数年後かもしれない。
もしかしたら、一生かかるかもしれない。
でもそうやって、探していくことことが人生の意義なのかとも、思ったりするのでありました。
※ストレングスファインダー
※エニアグラム