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山県太華『非聖弁』

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#思想

吉田松陰と論争した朱子学の大家 山県太華『非聖弁』2

一日客余を芸窓に訪ひ、一篇の文を出して是を示して曰、「此れ我が邦近世の人の著作にして堯舜湯武より孔子に至るまで群聖人を歴詆せる文なり。我れ聞く、聖人は道徳の宗万世の師にして其の聡明睿智類を出萃を抜き得て間然すべからざる者なりと。然して今口を極めて是れを醜罵するは、実に非議すべき所あるにや。子は聖人の道を以て教へとする者なり。庶幾は我が為に是れを明弁せんことを。」
余が曰く「我れ聖人に非ず。いかんぞ

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保守の源流 山県太華『非聖弁』 吉田松陰と国体論争した大先生1

山県太華
萩藩校明倫館の学頭。朱子学者。徂徠学派だった明倫館を朱子学に転向させた。養子の山県半蔵(のち宍戸璣)は吉田松陰とともに玉木文之進の松下村塾で学んだ。吉田松陰と国体論で論争。

幕藩体制の維持を模索した人物で、吉田松陰とは皇室・幕府のあり方等で意見を異にしたが、その識見と人格には吉田松陰も敬服していた。

保守とは…保守とはなんなのか。一体何を保持し守るのか。時代によって変わるものなのか。

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