保守の源流 山県太華『非聖弁』 吉田松陰と国体論争した大先生1

山県太華


萩藩校明倫館の学頭。朱子学者。徂徠学派だった明倫館を朱子学に転向させた。養子の山県半蔵(のち宍戸璣)は吉田松陰とともに玉木文之進の松下村塾で学んだ。吉田松陰と国体論で論争。

幕藩体制の維持を模索した人物で、吉田松陰とは皇室・幕府のあり方等で意見を異にしたが、その識見と人格には吉田松陰も敬服していた。

保守とは…

保守とはなんなのか。一体何を保持し守るのか。時代によって変わるものなのか。

太華は幕藩体制の維持を模索した点で、幕末当時の保守派といえる。また吉田松陰はよく保守派によって祭り上げられることが多いが、しかし彼の思想・活動は保守というより、革新だ。

では現代日本の保守とはいかにあるべきなのか。しかし、それでは旧態依然として何も。もしかしたら、松陰のような革新的行動こそ必要なのか。

皇室を敬い、国への忠誠心をもつことが日本の保守であるならば、それは佐幕派も倒幕派もともに保守と言える。

浅学なる筆者の頭では混乱してきた。

そこで、幕末当時の保守の頭領ともいえる山県太華の著作『非聖弁』を取り上げて、保守とは何かを考えていきたい。

山県太華の思想に、現在の日本ないし世界をより良くするために参考となるものがあるかもしれない。

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